二人のクリスマス
シカゴの厳しい雪の中にもクリスマスはやってくる。白一色に染まる街の中に、赤や緑や色とりどりの電飾が飾られる。街中で音楽がかかり、寒い中でも気持ちはウキウキする。
セイント・ジョゼフ病院のERスタッフ達も、同じ気持ちだった。しかし、それと同時にクリスマス明けの厳しい現実も覚悟しておかなければならなかった。小児科医であるウォルフガング・ミッターマイヤーは、連日の夜勤に追われていた。この時期は体調を崩す子どもが多く、休む暇もなく走り回り、ほとんど家に帰ることも出来ないでいた。クリスマスだからと誰かが焼いてきたクッキーを片手に廊下を走る姿にスタッフが声を掛ける。
「Dr. ミッターマイヤー? 少しは休んだ方がいいんじゃないですか?」
目の下にクマを作ったその顔はそれでも笑顔で振り返った。
「ありがとう」
飛び跳ねる蜂蜜色の髪は、自由な方向を向いており、クシを入れる気力もないことを窺わせた。
そんな座る暇もないミッターマイヤーを、親友であり、外科医であるオスカー・フォン・ロイエンタールは何とか引き留めようとしていた。しかし、すれ違うばかりで、しかも相手は立ち止まらない。ため息をつきながら、ロイエンタールも同じような激務に追われていた。クリスマスイヴから当日にかけては、たいてい独身者が勤務することになる。クリスマスを家族で過ごすのは当然であり、独身者は自ら進んで夜勤に入る。恋人や友人と過ごしたい者も、この日だけはスタッフだけで盛り上がる努力をするのだ。
病院全体が休日の雰囲気の中、ロイエンタールは自身が関わったオペ後の患者やERの急患を診るくらいだった。しかし、ミッターマイヤーは相変わらずで、昼間も真夜中も、患者はキリがなかった。
「…ねぇミッターマイヤー、倒れないかな…?」
同僚であり、内科医でもあるヤン・ウェンリィが心配そうに話を切りだした。
「そうよねぇ! 少しでも休んで、って言っても、座りもしないの!」
「いつから勤務してるんだっけ? 私が勤務に入るとき、いつもいるけど?」
休憩室でスタッフで話し合う。クリスマス用の飾りや帽子で賑やかなこの部屋で、クッキーやらケンタッキーを食べながら、それでもスタッフを心配しているのだ。専門が違うから、手伝えることにも限界があり、心配するしか出来ないでいるのだ。
「俺が、倒れるしかない、かな」
隅の方に座っていたロイエンタールが小さく呟くと、ドクターもナースも全員黙ってそちらを見た。その一言で意図することを理解した全員は、早速準備に取りかかる。ERスタッフは、あうんの呼吸で動くことが多く、この辺の息はピッタリだった。
「Dr. ミッターマイヤー!」
珍しく歩きながら、それでもカルテに書き込みながらだったミッターマイヤーを、ナースの一人が呼び止めた。
「急患?」
「そうなんです! こちらへお願いします!」
ミッターマイヤーはカルテを手渡しながら、患者の容態を尋ねた。
「あの…Dr. ロイエンタールが…」
「えっ? 患者って、ロイエンタールなのか?」
「今、Dr. ヤンが診てくださってますが…」
「わかった。俺もいくよ」
並んで走っていたナースは立ち止まり、ミッターマイヤーの背中を目線で追った。その顔は、微笑んでいたが、誰もいなくなった後、大きなため息をついた。運ばれたという小さな処置室の前で、ミッターマイヤーはヤンに出会った。
「ヤン? ロイエンタールはどうなんだ?」
「ああ… その、過労だと思うけど、会っていく?」
「…ああ、ありがとう」
ヤンはミッターマイヤーの疲れた笑顔に、目の前でため息をついた。そして、どこかホッと顔が弛むのを止められなかった。
「…ヤン?」
「あ、いや。何でもないんだ。後はよろしく」
手を小さく振りながら、先輩ドクターが入るのを見届けて、すかさず振り返ってスタッフを呼んだ。出来るだけ音を立てずに、ヤンはカギを閉めた。
「…これで、よし…かな?」
ヤンが両手を上げると、スタッフはガッツポーズを取った。騙すようだったが、すべてはミッターマイヤー自身のためでもあるし、これは患者のためでもあった。
「さ。忙しくなるわよ!」
ドクターもナースもキビキビ動き出した。一方、真っ暗な部屋の中でミッターマイヤーは小さく呼びかけた。親友が倒れたときけば、やはり心配でたまらなかった。普段が元気なだけに、尚一層顔を確かめたかった。
「…ロイエンタール?」
遠慮がちに小さく声を出し、広くない部屋であっという間に枕元に辿り着く。規則正しい呼吸音が聞こえ、少しホッとしながらもう一度耳元で呼びかけた。
「ロイエンタール? 大丈夫…えっ?」
ミッターマイヤーは突然自分が天井を向いたことを、他人事のように感じながら勢いが止まるのを待った。
「おい、ロイエンタール?」
「よぉミッターマイヤー」
低いけれど、元気そうな声が耳元で聞こえ、ミッターマイヤーは驚くとともに呆れ果てた。
ミッターマイヤーは、その体をロイエンタールの上に乗せ、長い手足が自分を捕らえていることに暴れようとした。
「痛いぞ、暴れたら」
「…なら放せよ! いったい何なんだ? お前、元気そうじゃないか?」
「…いいから寝ろって」
ロイエンタールはミッターマイヤーの小さな頭を自分の肩に押しつけた。
「寝る暇なんかないじゃないか!」
「…あのな。少しは他のスタッフも信用しろよ。お前、自分がどんな顔してるか、知っているのか?」
そう諭すように言われ、ミッターマイヤーは少し黙った。自分が寝ていないことも、顔色が悪いことも、スタッフが心配していることも、自分が一番よく知っていた。
「……でも…」
「いいから。後は他の奴らに任せろ。…いいかミッターマイヤー。お前のような状態で働いているのは、お前の大嫌いな医療事故の元だぞ?」
少し怒ったようなロイエンタールの言に、ミッターマイヤーは本当に心配をかけたことに気付いた。わかってはいても、止められない。自分がしなくてはならない、という責任感の強さが、かえってミッターマイヤーのドクターとしての生命が絶たれかねない事態を引き起こすかもしれないのだ。それもわかっているのだが。
しばらく力を入れていた体を、ふっと緩めたミッターマイヤーはため息をついた。
「…お前の言う通りだ、ロイエンタール。お前が、止めてくれたんだな…」
誰にも遠慮なく、力強くミッターマイヤーを止めることが出来るのは、10年来の親友であるロイエンタールしかいなかった。
「一緒に寝ようぜ」
ロイエンタールは抱え込んだ頭をポンポンと叩いた。
「…狭いぞ、ここ?」
「…我慢しろ。俺もシングルで寝るのは久しぶりだ」
「シングルに二人だぞ? お前、元気なら仕事に戻れよ!」
ミッターマイヤーは少し体を起こして見下ろした。ロイエンタールはその肩を抱いたまま、そのへテロクロミアすら見せなかった。
「…俺も、出られないんだ…」
「…なんで?」
「…カギ」
その言葉で、すべてはロイエンタールが謀ったことであったことがよくわかった。
大きなため息をつきながら、ロイエンタールの胸に顔を埋めた。小さく笑いながら、ミッターマイヤーは呟いた。
「…なんでお前まで寝てるんだよ。俺一人の方がゆっくり休めるじゃないか」
「…いいじゃないか、クリスマスなんだし」
そういって、ゆっくりと肩を撫でる、大きな温かい手を感じながら、ミッターマイヤーは少しずつ眠りに落ちていった。
「…そうだな…毎年、一緒に過ごしてきたっけ…」
「…メリークリスマス、ミッターマイヤー」
すでに、ミッターマイヤーは返事も出来ない状態に陥っていた。ロイエンタールは蜂蜜色の髪にキスを贈り、シーツを引き上げて、親友を抱いたまま眠りに落ちた。
目覚めたら、辛い現実が待っている。クリスマスを一緒に過ごす相手がいない人は、寂しい中で自らの命を絶とうとする。クリスマス明けには、ERは悲しい戦場となるのだ。
そして、二人で過ごすクリスマスは、これが最後だったことを、ロイエンタールもミッターマイヤーも、知る由もなかった。
いやぁ…あまりにも昔過ぎて、ちょっと感覚が違っております…(笑)
説明しなきゃわかりにくいくらい、皆さまもお忘れだと思いますが、このときはまだ二人は親友で、来年のクリスマスには坊やが登場いたします…(^^)
初めてドクターを書いた第一話から、二人がデきてしまったので、親友だった二人をちょっと書いてみたいなぁと思って、今回の話になりました(*^^*)
ああなつかしーーー!!!(;;)
2000.12.12 キリコ