初 恋


 

「なあウォルフ?」
「…なんだい、フェリックス」
 ロイエンタールもミッターマイヤーも、息子であるフェリックスの質問には精一杯答えようとする。わからなければ、一緒に調べる。子どもの疑問に何でも答えるのは無理だが、対応はしようと努力していた。
 その父親たちでも、この問いには驚いた。
「俺の髪って、いつになったら蜂蜜色になるかなー」

 こういう考えは、フェリックスだけが特別というものではない。様々な人種の集まりであるアメリカでは、髪だけでなく、肌も瞳も多種多様だ。フェリックスが、自分が大人になったときにはロイエンタールのようにヘテロクロミアで、ミッターマイヤーのような明るい髪の色になることを期待していても、珍しいことではない。
 世間一般の両親はともかく、医師である父親たちは、まず科学的に説明しようとしてしまった。
「フェリックス…残念だけど、髪の色はそんなに変わらないだろうな」
「………そうなの?」
「…俺は生まれつきこの色で、フェリックスは明るいブラウンだ。もう少しダークにはなるかもしれないけど…」
「…暗くなるの?」
 そう呟くフェリックスが、その言葉と同じく暗くなったことに気が付いた。ミッターマイヤーは慌てて言い方を変えようとした。
「あーっと、エルフリーデさんの髪は薄い金髪だったっけ…」
「じゃあ…あんな風になる?」
「……それは…ならないかもしれない…」
「……そう…」
 ガックリと肩を落とし、フェリックスは部屋にこもってしまう。自分の答え方のまずさを、ミッターマイヤーは反省するものの、訂正箇所についてまでは思い至らなかった。
 夜遅くに戻ったロイエンタールに話しても、彼も同じ答えをしただろうと言う。
「まあアイツは小さい頃から、お前にベッタリだったし。お前のようになりたいのかもしれないな」
 少し僻みっぽくロイエンタールがまとめる。ミッターマイヤーは肩をすくめながら、確かに他に考えられず、結局笑うしかなかった。
「…そうかな。俺は艶のあるお前の髪の方がいいと思うけど。俺のはまとまり悪いしな」
 ロイエンタールは眩しそうな目をして、ミッターマイヤーの髪を撫でた。まるで久しぶりに貴重なものに触れたように。
「フェリックスは案外、俺に似ているのかもしれない」
 当たり前のことではないかとミッターマイヤーは首を傾げ、大きな手のひらに耳を当てた。
「顔のことじゃないぞ。好みの問題だ。または、片親を自分のものにしたい成長期の現れか」
 父親の顔と医師の顔とが交互する。恋人モードがずいぶん減ったことを気にしていたが、フェリックスの手前、自制心の方が強く働いていた。
「…いずれにしても、子どもの想像力の働く限り、いろんな質問が出てくるのだろうな」
 ロイエンタールは軽く口付けることで会話を止めた。


 それからほんの数ヶ月後に、父親たちは息子の願いを知った。
「ウォルフ…マリアが引っ越しちゃった…」
 ソファに座る自分に飛び乗ったフェリックスの言葉は、泣きながらでもはっきりしていた。
「…マリア?」
「小児病棟にいたんだよ…」
 ミッターマイヤーはすぐに思い出した。マリアという名は珍しくないが、その少女のことは小児科医である彼にも記憶にあった。それがつい最近のことだというのもあっただろう。
「フェリックス、マリアを知っているのか?」
「…よく遊びに行ってたんだ…」
「…俺は見かけてなかったけど…」
 飛び回る父は、NICUにいることが多い。受け持ち患者は小児科にもいるが、それはごく少数だ。だから、フェリックスが出入りしていることも気付かなかった。
「マリアはね…ウォルフが良かったんだよ」
「…主治医のことかな」
「…そう…それ…。いつも走り回ってるから、声かけられなかったって…」
「…フェリックス、マリアが引っ越したって誰に聞いたんだ?」
 泣き顔を撫でながら、ミッターマイヤーは低い声で言う。温かい手のひらに、フェリックスは頬を乗せた。
「マリアのお父さんがね、マリアはね、お引っ越しするから、もう俺には会えないよって…」
 涙を滲ませる息子に、父親もつられそうになる。その事実が正しくないことを知っているから。
「…フェリックス?」
 穏やかな呼びかけに、フェリックスは堪えられなくなる。父親に首に巻き付いて、本格的に泣き出した。
「あのね、マリアはね、ウォルフの息子っていったら「いいなー」って言ってね、ウォルフみたいな人とケッコンするって…でね、だからね…」
 うわああと声を上げるフェリックスは、それ以上理解できる言葉を発しなかった。けれど、ミッターマイヤーには言いたいことがすべてわかる。先日の、息子の質問の意味も。
 しばらくあやしながら、ミッターマイヤーは何度もキスをした。
「フェリックスはマリアが好きだったんだな…」

 まだ小さい息子の小さな初恋は、ずいぶんとつらい結末になったらしい。ミッターマイヤーは、病院に出入りさせる自分たちの環境を反省する。けれど、どちらも選ぶことはできなかった。自分が自分でいるために、医師を続けているのだから。
「マリアね…ママみたいだったよ…」
 その言葉の意味をどう解釈すべきか、ミッターマイヤーは判断に迷った。けれど、すぐに触れないことに決めた。
「マリアのお父さんが俺のところに来たんだ、フェリックス」
 ヒックヒックとしゃくり上げるフェリックスだったが、ミッターマイヤーの胸にもたれて少し落ち着きを見せていた。
「俺は主治医じゃなかったし、さっきまで理由がわからなかったけど」
 フェリックスは、真っ赤になった瞳を父親に向けた。
「お前がマリアを楽しませてあげてたんだな…優しい子だな、フェリックス」
 実の父から受けついだブラウンの髪を撫でると、フェリックスはまた涙を浮かべる。
「…髪の色が俺と同じじゃなくても、お前は優しくて強い子だよ。俺は大好きさ」
 ミッターマイヤーは、マリアの死を深く悼んだ。両親にも、フェリックスの上にも、幸せがおとずれることを心から祈った。
                                               
 


2003. 8. 8 キリコ

 

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