I Can't Give You Anything But Love.


 

 この世界中で、毎日たくさんの新しい命が誕生している。その同じ日に、失われていく命もある。
 セイント・ジョゼフ病院の外科医で、ER勤務をしているオスカー・フォン・ロイエンタールは、その両方を目の当たりにする仕事をしている。厭世的になる暇もなく、感傷を引きずることもできないはずが、今年の誕生日に限って勝手が違っていることに驚いていた。
 10月26日の日付が始まったとき、ロイエンタールは外傷室で重症患者を診ていた。このシカゴでは珍しくもない銃撃戦で、彼よりも若い青年が出血多量でこの世を去ろうとしていた。彼らの可能な限りの手を尽くしても、それが届かないときもある。ロイエンタールが死亡宣告をしたときは、24時を大きく回っていた。
 救えなかった患者のことに浸る前に、また次の患者が運ばれてくる。余韻も残さないよう、気持ちを切り替えなければならない。彼らは常に真剣に患者と向き合うべきなのだから。

 深夜という時間帯を過ぎ、朝に近い4時頃になると、ERは一息つけるようになった。今日は忙しい夜勤だ、と誰もが思っていたときだった。
「Dr. ロイエンタール、お誕生日おめでとうございます」
 受付でカルテに記入していると、目の前からナースが話しかける。近くを通りかかった技師も気づいたように、「おめでとう」を言って通り過ぎる。それが小さく波紋のように伝染し、ロイエンタールが行く先々で、同じ言葉が聞こえてきた。彼は少しため息をついて、仮眠という名目の元に奥の部屋へこもることにした。
 暗い部屋の中で天井を見ていると、今の自分が不思議に思えてくる。今年はそれでも静かな誕生日かもしれない、と小さく笑った。一年前は、生まれて初めてのサプライズパーティだったから。
「ウォルフは寝ているだろうな…」
 その声で聞くのならば、と贅沢なことを考える。その人は、自分たちの家でグッスリ寝ている頃だろう。それだけでなく、去年は自分の中に存在しなかった息子が一緒にいるはずなのである。二人仲良い寝姿を想像し、ロイエンタールはそのことにすらムッとした。
 それでも、彼はすぐに子守唄をハミングしてしまう。
「I can't give you anything but love.」
 古いそのジャズが、彼は結構気に入っていた。繰り返し歌うから、彼の恋人も彼の息子も覚えてしまっていることに、ロイエンタールは気づいていなかった。その誕生日まで。


 ロイエンタールが帰宅した朝、その夜から勤務予定のミッターマイヤーは、フェリックスとのんびりと過ごしていた。彼は1歳になったばかりの息子を抱いて、恋人の好きな歌を歌っていた。低く優しい声は大きくないけれど、ロイエンタールの心に響いた。
「…ウォルフ?」
「あ、帰ったのか、オスカー」
 ミッターマイヤーは顔を上げて笑顔を見せた。けれど、体を横に揺らしながら、腕の中で眠るフェリックスにすぐに視線を戻した。
 ロイエンタールはその額に軽く口付けし、素直に尋ねた。
「…その歌は…?」
「あれ…俺、歌ってた?」
 目と目を合わせたまま、どちらもしばらく何も言わなかった。子守唄はいろいろあるはずなのに、とロイエンタールは思うのだ。けれど、そこまで追求するほどのものでもないとすぐに思い、この会話の止め方を考えていた。
「…オスカー、お前、よく歌ってるぞ」
「………その歌を?」
 ロイエンタールは自覚がなかったためか、小さく首を傾げた。その仕草は、ミッターマイヤーにはいつもより幼く見える。その日、彼は一つ歳を取ったというのに。
 ミッターマイヤーは心からの笑顔を浮かべて、恋人にお祝いを言う。
「誕生日、おめでとう。オスカー」
 フェリックスを抱いたまま、ミッターマイヤーはその首を伸ばした。触れるだけの口付けに、ロイエンタールの気分は浮上する。今日の疲れは吹っ飛びそうだった。

「あー」
 機嫌の良いフェリックスは、二人の父親の顔を引っ張ったりする。歩けるようになった息子の行動範囲は、彼らの想像以上に広かった。目が離せない距離が広がったのである。それでも膝の上では、ただのいたずらっ子だ。
「俺にはな、オスカー」
「ん?」
 フェリックスに頬を抓られながら、ロイエンタールは隣の恋人に聞き返した。その顔は、日頃の美丈夫が台無しで、ミッターマイヤーは小さく笑った。
「あ、いや…真面目な話なんだが、フェリックスは俺たちの真似をしていると思うぞ」
「……何の?」
 ミッターマイヤーは答える代わりに冒頭部分を歌った。その声に反応するように、フェリックスも首を上下に振る。ところどころで、誰にも理解できない声を上げるのだ。
「なぁ、フェリックス?」
 ミッターマイヤーに抱き上げられて、フェリックスは嬉しそうに笑う。ロイエンタールは、その言葉をかみ砕くかのように、しばらく考えていた。
 そして、ミッターマイヤーはまた同じ歌を歌う。まっすぐにヘテロクロミアを見つめて、優しい声が響かせた。
「……ウォルフ…」
 愛しかやれない、と自分のために歌ってくれる恋人をロイエンタールは抱きしめようとする。けれど、それはフェリックスによって阻まれた。歌ったまま笑うミッターマイヤーは、恋人の手を握り、最後まで丁寧に歌い上げた。
「…ウォルフ…俺にはそうは思えないぞ」
 相変わらず自分たちの邪魔をするフェリックスが、可愛くて憎たらしいのだ。
 ミッターマイヤーはフェリックスを抱き直し、恋人の肩にもたれた。

 その日、自分と同じ誕生日に、死んでいく命もあった。けれど、同じ数かそれ以上の新しい命が誕生しているのではないだろうか。ロイエンタールはそんなことを考える。自分が産まれた日は、誰かが死んだ日なのだろう。珍しく、ロイエンタールは答えのでない哲学めいたことを考えていた。
 恋人との甘い誕生日を過ごした後、ロイエンタールはフェリックスとお留守番だ。その腕が変わっても健やかな寝息を立てる息子の顔を、ロイエンタールはじっと見つめた。
「お前が産まれた日は…俺はどうしていたかな…」
 何度考えても、何も思い出せなかった。何の気配も、何の虫の知らせもなかったと思う。その頃は、長い片想いに終止符を打ったばかりで、舞い上がっていたのだから。
「それなのに、今年はお前がいる」
 人生というものは、存外何が起こるかわからないものだ、とロイエンタールは口の端で笑った。こんなにも、息子を想う日が来るとは想像だにしなかった。
 けれど、今はこの瞬間が、恋人と息子がそばにいることを切に願っている。
 その穏やかな寝息がずっと続くようにと願うのは父として当然のことだと思う。すべてのものから守るためには。また、何も知らないその脳が、悪いことを知らないままでいてくれるためなら。
 などと、ロイエンタールは自分が思っている以上に親ばかだった。
 けれど、まだ10歳代の少年の銃撃戦なぞ、ロイエンタールは息子には見せたくないし、巻き込まれないように願う。最大限努力して、平和な人生を、と思う。
 そのために、自分は、そして自分たちは何が出来るだろうか。
「I can't give you anything but love.」
 不肖の父は、愛しか与えることができない、と心のどこかで思っているのだろう。
 だから、ロイエンタールは今日もこの歌を歌う。
 自分に与えられるすべては、愛が入っているのだから。
 そしてそれは、恋人と息子へでいっぱいなのだ。

 


I Can't Give You Anything But Love.
1928年
詩:ドロシー・フィールズ
曲:ジミー・マクヒュー
                                                


10月26日誕生日おめでとう! ロイエンタール!
私はこの歌、この部分しか知りません(笑)
歌詞の雰囲気が違ったらどうしよう…

2003. 10. 25 キリコ

 

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