月の光

 ちょっと、ミッチ×ロイ…かな(^^) ご注意下さいませ 

 

 
 ロイエンタールとけんかした。共に酔っ払いとけんかした、ということだ。月がもの凄く明るい夜だった。
 こういうことは初めてではない。どちらも喧嘩っ早いわけではなかったが、理不尽だと感じたとき、自然と体が動いてしまうのだ。今夜も、二人ともヨレヨレになって、支え合って、何とかロイエンタールの官舎までたどり着いた。そのままの状態で、気付いたら朝、ということもあったが、今日は違った。珍しく、というほど、ロイエンタールの戦歴をよく知っているわけではないが、彼が怪我をしたのだ。

 痛そうに顔をゆがめたりするくせに、血を流しているくせに、「平気だ」と言い張るロイエンタールは、傷ついた獅子が死の寸前までその気配を見せないのと同じように思えた。周囲に、そして俺にすらその姿を見せてはくれないのだろうか。
「いいから大人しくしてろ」
 救急箱を取ってきた俺がソファの隣に座ると、大きなため息をついた。
 ナイフで切られたその傷は、ロイエンタールという獅子を間違いなく死に追いやろうとしたのか、うなじあたり、そう中枢神経の真上にあり、もしも深く切りつけられていたら、と思うとゾッとした。その切り口を見つめて止まってしまっていた俺に、聞こえるようにロイエンタールは呟いた。
「俺としたことが、油断したな」
 そして、小さく自嘲した。
 後頭部から頚部にかけての傷なのだが、真後ろからではなく、俺はロイエンタールの頭を自分の肩に乗せさせた。はじめ、その体勢を嫌がって暴れた彼だが、いきなりかけた消毒スプレーに大人しくなった。
 流れていると思った血液は、流れ出たものが乾燥しただけで、すでに血は止まっていた。消毒には邪魔な、でも切り揃えられた襟足の髪をかきあげ、改めてゆっくり消毒する。スプレーをかける度に、ロイエンタールは体を硬くした。その様子がどんな表情をもたらしているか、俺には見えないが、興味をそそられて、わざとゆっくり行った。
 ロイエンタールをこの角度から見たことはなかった。
 俺より背が高いため、彼の後頭部を見上げたことはあったが、今のように俺の肩に額を乗せたこともなかったし、彼のうなじをみたこともなかった。いつもは、固い軍服に隠れて見えなかったから。今のようにシャツ一枚でいるのを見たことはあったが、手当てのために左肩だけはだけられている、こんな状態は初めてだ。
 こうやってみて、気付いたことがある。
 意外と小さい頭や、しっかりして見えるのに割とほっそりした首や、無駄な贅肉一つないだろう滑らかな肩が驚くほど綺麗だとか。そう、こいつは綺麗な男なんだ、と改めて、気が付いた。
 確か、初めて見るつむじ。左耳に手を近づけて髪をかきあげると、形の良い耳が露わになる。少し鼻を近づけると、男らしい、でも爽やかなコロンの匂いが汗に混じっていた。
 そして、差し込んだ指がダークブラウンの髪に絡まる様子に、俺はそこに女性の影を見た。我ながら、何を考えているのだろう、と首を傾げつつ、自分の軍人らしい指を短い髪に絡め、頭全体を往復させていた。こうやって、彼に何か、そう例えば快感とか要求とか、訴えた女性は、これまでに何人いるのだろう、とぼんやりと考えた。
「何をしてるんだ、ミッターマイヤー」
 そう言われるまで、俺はひたすら彼の頭髪を乱していた。手を止めたとき、これ以上はない、というくらいに髪をたたせ、好き勝手な方向を向かせていた。
「あっ、いや。次は肩だな」
 俺の言葉に、ロイエンタールはため息をつきながら顔を上げた。その顔には驚きも嫌悪もなければ、苦痛に耐えている様子も見られず、この男は今いったい何を思っているのだろう、とこちらが考えてしまうくらいだ。
 傷は左肩の少し後ろなのに、俺はまたロイエンタールの後ろに回らなかった。
 ロイエンタールは黙ったまま、先ほどよりシャツをくつろげ、首から肩を惜しげなく晒していた。俺が傷口を覗き込むのをはじめは見ていたが、消毒スプレーを手にした途端、視線をあちらへやってしまった。その方が、俺としてはやりやすいからいいのだが。
 やはり、ここでもいちいち体をピクリとさせ、一瞬の痛みと驚きに耐えているのがわかった。俺は目線だけをロイエンタールに向け、その反応を見た。こちらから見えるスカイブルーの瞳は開いたままだが、俺がスプレーを吹きかける度に瞬きをする。時々ギュッと音がしそうなくらい閉じられる。形の良い眉が寄せられるのがわかる。薄めの唇を噛み、声を出すまいとしているのもわかる。彼は今、耐えているのだ。
 俺は、というと、俺よりも白い肌に目がくぎ付けになっていた。女性の円やかさとは違う滑らかな曲線を描く首から肩にかけてを、俺はどうしても全部見たかった。気が付いたとき、俺はロイエンタールのシャツを腰あたりまで引き下ろしていた。同時に、先ほどまでのように彼の頭を抱え、自分の肩口に押し付けた。
 首から肩までの、引き締まった筋肉の丘陵はなだらかで、窓から入る月明かりを反射するかのように白い肌が光っていた。少し浮き出た肩甲骨の影に、なぜかため息が出るくらいうっとりした。俺はまた、彼の髪の中に手を差し入れていた。整えてもいなかった、乱れきった髪をより一層乱し、空いている手を背中に回した。
 白い背中に浮き出た、小さな赤い筋がやけに煽動的で、目を離すことが出来ず、俺はそこに舌を這わした。はるか昔の人類が、消毒として唾液を使っていたらしいことを漠然と思い出しながら、たいして意味もない効果を試しているかのようだった。
 今、俺の目の前にあるうなじ。そこには彼が生きていられる重要なものがあり、そこをやられたら流石のロイエンタールでも無事では済まないだろう。彼が生きていて良かった、と思っているのに、俺はなぜそこを噛んでいるのだろう。今、彼の命が、俺の手にゆだねられているのが心地よいから、かもしれない。間違いなく、俺は彼を手中にしている。こんなことが、なぜ嬉しいと感じるのだろうか。
「俺を殺したいのか、ミッターマイヤー」
 肩口に直接伝えられた小さな声は、怖がっているというよりは、むしろ楽しんでいる口調だった。確かに今は、獅子を狩ろうとする殺気よりも他の気配を匂わせすぎたかもしれない。こんな思いを、このロイエンタールに持つことがあるとは思ってもいなかったし、こうなった今でも自分で自分が不思議でならない。俺は、血の匂いに酔ったのだろうか。
 それでも、この瞬間、強くそう思った。

―――喰ってしまいたい

「お前がほしい。ロイエンタール」
 そう正直に言って、ロイエンタールの耳の裏に口付ける。言葉に驚いたのか、行為に驚いたのか、ロイエンタールは体をビクリとさせ、固まった。首を支えたまま、自分の顔を彼の前に運ぶ。瞑っていると思われたヘテロクロミアは、ただ俯いているだけで、相手が俺だとはっきり見えているらしかった。その目線の先、彼の細い鼻の天辺にキスをする。唇にされると思ったのか、目をギュッと瞑った。
 しかし、ロイエンタールは逃げなかった。

 
 ロイエンタールという男と、親友と呼べる関係になって、俺だけしか知らない彼がいる。こんな、月の光の中で乱れる彼を知っているのも、きっと俺だけだろう。彼のダークブラウンの髪を乱す女性がいるとしても、彼自身を乱すのは俺だけだ。
 もっとも……、彼の心を揺さぶるのはまた別の存在なのかもしれないが。

 

 

 こういう双璧なイラストは久しぶり(^^)ゞ

 2000. 8. 22 キリコ