お前と私の
なぜ、あんな男の子どもを産んでしまったのか。
ローエングラムに仕えるすべての軍人、または協力する貴族も、おかしいと思うのに、私は無力でなにもできなかった。
殺そうとした私を、あいつは自分の家に置いた。その目的はよくわからない。あいつが滅びる様を見届ける、そういった私に、あいつは小さく笑った。そのことを喜んでいるようにも見えた。
あいつは、あのときからすでに、破滅するつもりでいたのだろうか。ありったけの憎しみを込めた。ベッドの中で、男として自信をなくすように、精一杯したつもりだった。それが、あいつに通じたかはわからない。どんな屈辱を受けようと、絶対にあいつの前では泣かないと私は誓った。
けれど、抱かれることに慣れてしまった頃、それはやどってしまった。
ロマンティックな昔話を読むと、相思相愛となった王子と姫は、「愛の結晶」を育てる、という。そうなのだ、そういう男女の間にしか、できないはずではなかったのか。なぜ、憎しみと無関心との間に生まれてしまったのか。もしかしたら、誰も望まないことかもしれないのに。
少なくとも、あいつは、子どもなど、と思うだろう。
…私は?
お腹の子、と口にしてみると、不思議と温かい気持ちになる。これが、母親になる準備なのだろうか。あいつの子だとわかっていても、知らない間にお腹に手をあてて、穏やかな気持ちになる。
私は、母になりたいのだ。
堕胎させられるのを怖れて、私はあいつに言わなかった。貴族としての財産も、プライドも、家族もなくした今、この子は私にとっての生きた財産で紛れもない家族だから。
利用されようと、あいつと二度と会えなくなったとしても、それよりも無事にこの子を産みたかった。
あいつにこの子の存在が知れたとき、その反応を聴くまでもなく想像できた。
きっと、私達は永遠に顔を会わすことはないだろう、とそのとき思った。
今、目の前で死に行くあいつに、私は言葉もなく立ちすくんだままだった。
何ヶ月ぶりだろう? 青い、というより真っ白な顔は、血の気が失せていることを教えてくれる。よく見ると、マントのブルーが変色している。床が、血の色だ。
会ってしまったら何と言おう、ずっとそればかり考えていたのに。
「…ひさしぶりね」
そんな言葉しか出てこない。
「リヒテンラーデ一族の生き残りか…」
最後まで、私をそう呼ぶお前。その方がお前らしい。
あいつが殺したいなら殺せ、という。あんなにもそうしたいと思っていた相手を目の前にして、私は身動きできずにいた。
そのとき、腕の中にいた愛しい子が小さな声をあげた。それとほぼ同時に、開く気配のなかったヘテロクロミアが現れる。久しぶりに見たその瞳は、この子と同じ色だった。
「…俺の子か…」
尋ねているのではなく、確認しているようだ。
「…お前の息子よ」
お前と、私、の子どもだ。
「その子を、俺に見せに来たのか…?」
違うわ。私はお前を殺しに、そうでなければ、悩ませに来たはずだ。
お前が最も望まない存在を、私はお前にあげることが出来る。私にしか出来ない、私の復讐。
あいつはあっさりと人に預けろという。
でも、言いたいことはわかる気がする。
おかしなことに、こんな時になってお前の考えていることがわかる。これまで私は全く理解出来ない男だった。…いえ、きっとその努力をしなかった、それだけなのかもしれない。
お前と私の子が、幸せに穏やかに楽しくまっすぐに生きるよう、お前はその人に預けろ、と言っているのよね…?
言いたいことだけ言って、意識を失ったらしいあいつは、顔中汗をかいている。憎らしく元気にそばにいたときなら、決して出来なかったことを自然としていた。
お前と会えるのは、これが本当に最後なのだろう。どう?
私からのプレゼントは気に入って?
差し上げた以上、お前の意向に従うから。私は心を込めてこのプレゼントを産み落としたの。
だから、ヴァルハラから、お前と私の一粒種を、見守ってやってよね?
それくらいは、してくれるわよね? オスカー・フォン・ロイエンタール。
気が付いたとき、私は一生取れないのではないかと思うくらいの縦皺を、眉間に寄せていた。ずっと、奥歯を噛みしめていた。
私は走った。あいつのそばで涙を流したくなくて、必死で走った。
2000.10.23 キリコ