みんな間違いだらけ
宇宙艦隊指令長官ウォルフガング・ミッターマイヤーには、帝国軍FTL専用アドレスの他に、プライベート用のアドレスがあった。これはもちろん特別なことでなく、たいていの将帥は2つ以上使用していた。
ミッターマイヤーの場合、ほとんどが妻エヴァンゼリンとの連絡であり、それ以外では親友のオスカー・フォン・ロイエンタールと幾人かの僚友くらいだった。部下とはいえ、バイエルラインですら存在しか知らなかった。ある日、定期的に行っているメールチェックの折、プライベートメールに珍しく受信があった。妻からの帰宅時間問い合わせか、親友からの誘い以外ほとんどカラのメールに1件、差出人不明のメールが受信音とともに画面に浮き出る。不信に思いながらも、添付ファイルのないことを確認し、とりあえず開いてみることにした。苦情などを捨て置いてはいけないというカイザーと自分の気持ちが、迷い込んだメールを救うかもしれないからであった。
しかし、第一行目を見た途端、側近ですら驚くような奇声をミッターマイヤーは上げてしまった。
「…閣下?」
「あ、いや…なんでもない」
その画面を、グレーの瞳を大きくあけて何度も見る。何度見て、一文字一文字読んでみても、自分宛てとはミッターマイヤーは思えなかった。けれど、その内容は、決して無視できるものではなかった。第一行目から親友の名がフルネームで登場し、最後まで出てくるような、その主役らしい親友のためにミッターマイヤーはしばらく考え込んだ。その間も、同時に開いている軍務用の受信箱は次々チャイムを鳴らしていたが、それすらも手をつけないくらい、珍しく勤務中に親友のことだけを考えていた。当のロイエンタールがこの状況を知ったら、喜んで笑顔など見せたかもしれなかった。帰宅後、ミッターマイヤーは愛する妻を目の前に、愛妻家らしからぬことを躊躇いがちに切り出した。そんな夫の弁を、最後まで黙って聞いていたエヴァンゼリンは、返事をするときも少女のような笑顔を顔に乗せたままだった。
「わかりましたわ、ウォルフ。家でお食事なさるときは、必ずご連絡くださいね」
文句一つ言わない妻に感動しつつ、また自慢の種を独身の同僚達に振りまくことなど、自分では思いもよらないミッターマイヤーだった。
そして、考えに考えあげた宇宙艦隊司令長官の作戦は、翌日から決行されることとなったのである。
「ロイエンタール、今晩呑みにいってもいいか?」
メールではなく、忙しく人が行き来する軍務省内を、疾風ウォルフはそれこそ疾風のごとく現れて親友をつかまえた。振り返った長身は、皮膚の下で眉を寄せ、ここ連日誘ってくる親友に諭しを入れた。
「…卿は奥方とけんかでもしたのか?」
「いいや? なぜだ?」
蜂蜜色の髪を振り乱し首を傾げるさまは、宇宙艦隊司令長官には傍目にも見えなかった。向かい合うロイエンタールですら、目の前の親友が怒号を浴びせる姿は、今すぐには脳裏に描くことは出来なかった。
「…ここ連日俺と飲んでいて、2回に1回は泊まっていくだろう? 愛妻家のミッターマイヤー提督らしくないじゃないか?」
「あっ…まぁそれはだな…」
実直なミッターマイヤーは嘘がつけなかった。まして親友の前だと気を許している分、感情が顔に出やすくなるのだ。
「ま、俺としては、卿と呑むのに何の理由もいらない。またうちに来るか?」
「…あ、ああその方がいい」
高級仕官ともなると、大勢の部下の一人や二人いたりして、外の飲み屋も行きにくくなってしまうのだった。そして、これこそがミッターマイヤーの苦肉の策であり、自身の平和な夫婦生活を犠牲にしているとも言えた。そんなことは想像もしていないロイエンタールは、ここしばらく機嫌が良かった。親友を独占している気がしたから。
しかし、そんな楽しい時間も1ヶ月を過ぎるとさすがに変だと思うくらい、遅れ馳せながら気づいた統帥本部総長であった。「…ミッターマイヤー、卿は俺に何か隠していないか?」
いいワインで舌を滑らかにした後、ロイエンタールはぼんやりしている親友に問うた。問いかけられたミッターマイヤーは一瞬困った顔をしたが、「悪い」とだけ呟いておさまりの悪い髪をかき乱した。
黙っていたとはいえ、騙したわけではないけれど、ミッターマイヤーはこの1ヶ月、心苦しく思っていたのだ。問い詰められて、ちょっとホッとした。
「実はな…こんなものが俺のとこに来たんだ…」
ミッターマイヤーはプリントアウトした件のメールを内ポケットから出した。遠めにも派手な色使いのその紙を、ロイエンタールはグラスを置きながら受け取った。文字がヘテロクロミアに飛び込むと同時に、先日親友が発した奇声と似たような声を出した。
「…なんだこれは…」
「さあ?」
「さあって…卿はどこでこれを手に入れた?」
「間違って届いたみたいだ。それとも俺にも入れってことかな?」
すっかりデキあがっているミッターマイヤーは、親友に悪いと思いつつも冗談を言う余裕が出てきたようだった。
「『オスカー・フォン・ロイエンタールファン倶楽部』にか?」
「そうそう、それ。他にネーミングはなかったのかねぇ」
『オスカー・フォン・ロイエンタールファン倶楽部、ヘテロクロミア通信』という題から始まって、今月号だの緊急速報だの、その内容はとにかくロイエンタール尽くしだった。
無言、無表情でそれを見つめる親友の肩に手を乗せ、ミッターマイヤーは感心したため息をついた。
「卿はモテるんだな… たくさんの女性が卿と出会いたい、そう思っているんだな」
「…だからといって協定というのは…」
たった一枚の紙から目が離せないでいるロイエンタールの動揺振りを、はじめは楽しんでいたミッターマイヤーだったが、やはり心配になってきた。
「…すぐに卿に知らせようか悩んだんだけど、…すまなかった」
「……いやそれはともかく、これと卿が俺を呑みに誘うのとどう関連しているのだ? ミッターマイヤー?」
「あ、それは…ほら下の方に書いてあるだろ? オーディン支部規約? 支部ってことは、あちこちの惑星にも支部があるのか?」
ミッターマイヤーはその場所を指差しながら、けれど説明は逸れていった。
一方、親友の疑問を聞こえぬふりで飛ばしたロイエンタールは、第1条から読み進めていき、だんだん手が震えてくるのを止められなかった。
「第5条:出会いは自然に(新しく行き着けの店が出来た場合、ファン倶楽部に連絡すること、第6条:振られた場合はすみやかに諦め、ファン倶楽部に報告すること、…第9条:…」
「避妊せよ、ってな」
何度も読んだミッターマイヤーは、諳んじてしまっていた。
「そういうの、大事だと思うけど…けど、そういう協定で決まってたなんて、驚いたよ、ロイエンタール」
「……それで、卿は俺の家での呑むようにしたのか…?」
「ああ。俺と卿とで呑んでいれば、卿は誰とも出会わず、漁色家も少しは改まるかと思って」
これが宇宙艦隊司令長官の親友の漁色家撲滅計画だった。ロイエンタールはただただ脱力するしかなかった。
それ以後、オスカー・フォン・ロイエンタールは、オーディンの女性と付き合わなくなった。それは親友の捨て身の愛情の報いるためでもあったし、ロイエンタールが呆れ果てたこともあったが、ファン倶楽部オーディン支部会員からの情報で、ロイエンタール邸に女性がいることが判明したからというのもあったかもしれない。
それから約1年以内に望まれない子が誕生することは、誰も知る由もないことだった。
2001.6.19 キリコ
つくづく悟りまいた… 小官にはギャグは書けん(><)