予知夢?

 

 ずっと目を開けることが出来なかった。それでも、眩しさや暗さを感じているから、目が悪いわけではないらしい。なぜか、瞼が重たい感じなのだ。
 耳はちゃんと機能しているようで、様々な物音や、談笑する声、そして俺自身に話しかけてくる声も聞き取れる。そういえば、この声は聞き覚えのある親友の声、な気がするが…。

 ローエングラム候にお仕えするようになり、忙しい日々が続いている。毎晩疲れ果てると同時に、言いようのない充実感や高揚感を味わう。この心地よさは女にはわからないのではないだろうか。膝を屈するべき相手に出会い、何が起ころうとも揺るがない気がする親友を得、俺は今、人生の中で最も素晴らしいときを過ごしているのかもしれない。

 そんな俺が、今のこの状態はどうしたことだろうか。
 知らない間に怪我でもしたのだろうか。
 どうも先ほどから何度も俺を抱き上げる、もの凄い輩がいるらしいのだが。
 はて?

「さぁ―――ちゃん いらっしゃい」
 優しい甘い声、もしかしてこれは、親友の奥方ではないだろうか。そう思ったと同時に、俺の体がふっと浮いた。抱き上げられ、抱きしめられたのだろう、温かい柔らかい体を感じた。
 これは、ヤバイのではないだろうか、俺は横恋慕するつもりはないのだが… いや、これも俺のフェロモンの為せるワザか、いや喜んでいる場合ではないぞ、ここは徹底してお断りせねば。俺は、親友を裏切りたくはない。
 いや待てよ… あの華奢なエヴァンゼリン嬢が、俺を、この俺を抱き上げたってか? しかも、「ちゃん」付け?
「お、起きたかな? さ、ファーターのところへおいで」
 どう聞いても親友の声に、しかもがっしりした軍人の手に抱かれ、俺は男らしい体に抱きしめられた。この腕は、親友のものなのだろうか、そうならば、なぜ俺を抱き込めるのだろう?
「ほらご覧―――、お前の弟の―――だよ?」
 親友が誰かに話しかけ、その相手、おそらくは子どもだろうが、俺の顔をベタベタと触ってくる。はじめは恐る恐るだったのに、頬をつねったり引っ張ったり、そこに愛はあるのだろうか。
 いや、待て、オイ、弟? 俺が、このガキの弟…?!

 俺は、必死で瞼を開けようとした。

「おっ! エヴァ! 坊やが目を開けたよ」
「まぁ本当。はじめまして、私がムッターです、―――ちゃん」
「さ、―――、お前も挨拶しなさい」
「―――? 俺がお兄ちゃんなの、ファーター?」
 会話はところどころ聞き取れない。が、しかし、俺の目から飛び込んでくる情報は、俺のよく知っている人々なのに、その意味が理解出来ないでいた。
 俺はなぜ親友の腕の中にすっぽり入り込んでいるのか。
 俺はなぜ奥方まで見上げているのか。
 そして、この横のチビ、成層圏の色の瞳を大きく見開いているコイツは誰だ?
 誰のことをファーターと呼んでいるのか… いや、エヴァンゼリン嬢がムッターならば、ミッターマイヤーが、…ファーター?
 俺は、…俺は誰なんだーーー!!!

 

「おいっ! ロイエンタール! 大丈夫か?」
 肩を揺すぶられ、俺はビクッとしながら飛び起きた。荒い呼吸を整えようと座り込むと、目の前にミッターマイヤーの顔があった。その腕は、俺を支えるようにずっと添えられ、俺はため息をつきながら俯いた。親友の他に、奥方もあのチビもおらず、俺の目線が親友と同じだったことに、思いっきり安堵したのだ。
「ロイエンタール? 魘されてたけど、悪い夢でも見たのか?」
 俺は、ウンという前に、ゴホゴホとせき込んだ。そういえば、頭も痛い。ようやく思い出したのだが、俺はひどい風邪を引いてしまったのだ。そして、親友が様子を見に来てくれたんだ、と思う。
「…大丈夫だ、水を一杯くれないか…?」
 誰の声かと自分で訝しむくらい、おかしな声だった。親友は疾風のごとく、サササと行動する。一気に飲み干した俺に安心したのか、またベッドに腰掛けて俺の顔をのぞき込んだ。
「…本当に大丈夫か? お前、変な夢だったんじゃないのか?」
 また夢の話をする。なぜなのかわからず、少しだけ首を傾げると、躊躇いがちに親友が話してくる。
「…昨日の夜から、お前魘されていたから…俺が話しかけたら、その、しがみついてきて、ずっと腕枕してやってたんだ」
 俺は、わからない程度に目を見開いた。
「ときどき、呻き声の中に寝言を言っていて、「奥方いけません」とか「お前は誰だ」とか、…「成層圏の色の瞳」とか、なんだかよくわからないけれど、ずっとしゃべっていた気がするな…」
 ミッターマイヤーは、特別現実とは結びつけていないようで、半分笑った感じで真夜中の俺を教えてくれる。正直言って、そんなにたくさん寝言を言うのは珍しいはずだし、たぶんそんな俺だったから、親友はますます心配したのだろう。俺が起きてから、しゃべり続けてばかりだ。
「あとな、…「ミッターマイヤーがファーター」って何のことだ? いったいどんな夢を見たんだよ?」
 そんなことまでしゃべってしまっていたのか、と俺は自分を呆れた。もちろん夢は夢だし、ましてや高熱に魘されてのものだから、とはっきり覚えている夢だが、黙っていようと思った。しかし、ずっとファーターとなりたいと願っている親友は、目を輝かせて俺の夢の話を待っている。話してやってもいいが、かえってショックを受ける、のではないだろうか。
「…いや、…卿には二人の息子がいた」
「ほう?」
 ミッターマイヤーは本当に驚いたようだ。
 それにしても、この続きを話してもいいのだろうか。
 その二人ともが、少なくとも一人は俺によく似ていた気がするのだ、あの瞳とか。そして、もう一人が、俺の生まれ変わりらしいぞ、だなんて…。
 ふむ…。ということは、俺は結構早死にするのかな、などと呑気なことを考えながら、枕に突っ伏した。
 親友は、まだどんな夢だったのか、尋ねてくる。予知夢かもしれないじゃないか、と笑いながら。

 

 


2000.11.1 キリコ