バスケット人生
寄って行けよと誘われるままに、車を降りた。
桜木の部屋は、片づいてないんじゃという予想を裏切って、それなりに住む環境になっていた。というよりは、物がない気もする。
「適当に座れよ」
アメリカでの生活に慣れた俺は、床でも絨毯の上でも平気で座るが、桜木を目の前にすると、なぜだか畳に座らなければいけないイメージがある。けれど、ここには畳はないのだ。
見覚えのある湯飲み茶碗に、ぬるめのお茶が懐かしかった。
「これ…あっちに持ってってたのか?」
「ああ、いや。実家で預かってもらってたんだ」
「……実家?」
俺が聞き返したことに桜木は驚いたらしいが、俺はちょっと驚いた。知り合って10年になるが、実家の存在も知らなかった。
「俺にだって親はいるんだぜ? コーコーセーが一人暮らし出来るかってーの」
ヘラヘラと笑い、それ以上説明しようとしないので、話はそこまでになる。高校生だった自分はあまり深く疑問に思わなかったが、よく考えればその通りだった。車の中と違って、音楽もなければテレビもない。雨の音以外何もない部屋で、何も話さずにいてもいいという感じ、これは桜木と以外に感じたことはない。不思議な気もするが、久しぶりに会っても構えることもない。
「お前は何でこの会社に入った?」
お茶のおかわりか、トイレかに立ち上がろうとしていた桜木に話しかける。日本に帰ってくると聞いたときも驚いたが、就職先にはもっと驚いた。
桜木は、俺の後輩になるのだ。
「…バスケがしたいから」
それだけ言って、本当にトイレに行ってしまう。そして、俺はというと、急に思い立って家に戻った。桜木に一言も告げずに。桜木の浮気、いやこの表現が正しいのかもわからなかったが、そういう事実に気付いていた俺は、本物を目の前にしたときの自分の反応が予想出来なかった。怒るのか、呆れるのか、仕方のないことさと諦めるのか。未だによくわからない。
わからないけれど、身支度を整えた俺は、桜木の部屋に舞い戻った。
「あれ… おめー、帰ったんじゃなかったのか?」
「今日からここに住む」
「はあっ?」
「いいから入れろ」
ボストンバッグを押しつけて、ズカズカと上がり込む。外はもう日も暮れかけていた。
玄関で呆けたように立ちつくす桜木を横目に、さっさとくつろぎ始める。俺に迷いはないので、後は桜木次第だった。
「おい」
「えっ…?」
「メシ」
「なっ…何言ってやがんだ、オメーはよー」
文句を言いながら、それでもキッチンに向かう。冷蔵庫の中身を見て、一人分しかないと呟いた。また鼻歌を歌い始めた。
見慣れない新しいエプロンの背中を見つめながら、面と向かっては聞けないだろうことを聞く。はっきりさせておかなければ、すっきりしない。
「桜木…」
「あんだ?」
振り向きもせずに、鼻歌も止めずに返事をした。
「何か、俺に言うことはないのか?」
ゴキゲンだった腕はいきなり固まって、包丁をシンクに落とした。その音が無くなるまで、桜木も俺も何も言わなかった。どうやら俺は、怒るよりも桜木の反応が楽しみらしい。
無言のまま俺の前に来て、大きな体を小さくまとめて正座する。エプロンで手を拭く姿はまるでお袋で、おかしかった。
「お、俺よ…」
「…なんだ」
「俺、ルカワとバスケがしたかった」
思ってもみない言葉が出てきて、俺は目を見開いた。俯いた桜木は見てなかったけど。
「…したかった?」
「あ、いや、したいから帰ってきたんだ。弱気になって帰ってきたんじゃねぇぞ」
2年も向こうで活躍していたのだから、弱気のまま帰ってきたとは思わない。けれど、桜木の弁を聞いていると、俺とバスケがしたいがためだけに帰国したと取れる。
「バスケなら、あっちでも日本でも出来るじゃねぇか」
「だから! てめーとしたいんだよ。…本当の本音だぜ」
目尻を赤く染めて、やっと目を上げる。自信なさげな様子がまたおかしかった。コイツは、俺が知ってると知らないのかもしれない。ウソがつけないどあほうのくせに、誤魔化せたと思っているのだろうか。
けれど、真剣な口調と内容に、胸が熱くなった。から、追求はヤメた。
「なら、許してやる」
「えっ?」
「え」という形で空いたままの唇に俺は吸い付いた。ここで一緒に暮らしていれば、もうそんなこともないだろう。俺に見合いの話が来たことは黙っておいて、取り敢えず今は愛を確かめ合う。言葉じゃなくて、体でってのが俺達流。
「テメーは俺の後輩だからな。言うこと聞けよ、どあほう」
荒い息の中で、言ってみる。嬉しいという気持ちを別の言葉で言ってるのが、コイツならわかるはず。でも素直に返してきたら、ブキミだぜ。
「なんだとこのヤロウ! 実力はトントンだ! 入社の後先なんて関係ねーよ!」
「誰と誰がトントンだ、どあほう」
「るせっ せっかく帰ってきてやったのによー」
「頼んでねー」
「なぁ…マジな話、スキって言えよ」
「イヤだ」
「俺はスキだぜ?」
「…あっそ」
「このってめっ 他に言い方ないのかー!」
口げんかして、笑いあって、一つになって、重なり合って眠る。明日は、会社でバスケットだ。堂々と、コイツと一緒に出来る。
それでいい。それだけでいい。最高に、シアワセだ。もしかしたら、人生の幕を下ろすその瞬間まで、これ以外に望むものはないかもしれない、ってな気がする。「おいコラルカワ! 聞いたぞてめーー! 見合いすんのかあ!!」
入社後一週間くらいで、やっと噂を聞きつけたらしい。そのうちテメーにも来るだろうぜ。それにしても、まだわかんねーのか、コイツは。するわけねーだろうが。
「…どあほう」
お前は俺の目の前で、そうやって俺に向かってろ。
おしまい
2001.10.23 キリコ
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