春
桜木花道は、先輩という身になっても相変わらず平気で遅刻していた。廊下を堂々と歩き、各教室をのぞきつつ、ゆっくりと自分の今いるべき場所へ向かう。慌てる様子もなく、また見かけた教師、生徒達も、誰も注意もしなかった。
たくさんの黒い頭が一方向を見つめ、開け放たれた廊下側の窓からはそれぞれの教師の声が聞こえた。それを横目に、ブラブラと靴音を鳴らす。長い廊下だけれど、風景はいっこうに変わらない気がした。
ところが。ガランと誰もいない教室があった。一瞬おやと思ったが、体育や美術などの移動教室だろうとすぐ思い当たる。こうしてみると、教室って広いなとなんとなくため息をついたとき、いるはずのない人が窓際で太陽の光を受けていた。花道には、それが誰なのかすぐにわかった。見慣れた後頭部や、座って突っ伏していてもわかる長身や、はみ出した長い足。最も会いたくなくて、なのに必ず見つけてしまうその存在に、花道の足は意志に反して動いてしまう。一番後ろの席の前に、音を立てないように座った。
こうして黙って上から見つめていると、悔しいくらい、まるで絵本を見ているかのように、そして目が離せないくらい、綺麗だと認めてしまう。大嫌いなヤツなのに、大好きな顔。安心しきったその寝顔は、春の強い日差しをまともに受けている。真っ黒い艶やかな髪が、いっそう光って明るく見える。今日はヨダレを垂れてないんだ、となぜだかホッとした。
いつもキツイ眼差ししか向けてこない人物の、この穏やかな表情は、互いの氷をちょっとだけ溶かす感じだと、自分の頬も緩んだのを自覚していた。いつもなら、すぐに叩かれそうな手を、今日はゆっくりと伸ばしてみる。
サラリと音がしそうな髪は、花道がちょっと触れただけで揺れる。風が吹くと、逆らわずに流される。その素直な様子は、持ち主とは正反対だとちょっと呆れる。
「ん…」と小さく呻いて、起こしたかと慌てて手を引っ込める。けれど、目覚めた気配はなかった。そしてまた、前髪や頬に軽く触れる。こんなにも、触れて、見つめて、穏やかでいられるのは滅多にない、と花道は、自分達の居場所も忘れてウットリとなった。
「…何してやがる」
「……おめーこそ」
ゆっくりと上半身を起こしながら、不機嫌そうな第一声。花道は想像通りでおかしくなった。そして同時に安心していた。
「あれ…?」
やっと目を開いた流川楓は、自分のおかれた状況が変だということに気付いたが、それがなぜなのかは瞬時に把握できなかった。
花道は、おそらく眠りこけていたために移動することも忘れていた流川をからかう気はなかった。けれど、教えてやるほど親切でもなかった。
流川も回らない頭を必死でフル回転させた。窓の外からは、聞き取れない掛け声が聞こえる。シーンとした廊下が、まだ授業中なのを教えてくれた。
「…おめー、サボりやがったな?」
真っ赤な頭を日の光にあてる花道を、ぼんやりと流川は眺めた。「テメーこそ」と言いたいけれど、ケンカするにはあまりにもいい天気過ぎた。
流川は後頭部をポリポリとかき、また眠りにつこうとする。
花道は、その顔と向かい合うように突っ伏し、珍しく小さな声で呟いた。
「春だよなァ…」
そして、軽く口唇を触れ合わせる。
「…春だからな」
流川も珍しく、比較的まともな返事を返した。春だから、穏やかで気持ち良くて、いい気分になったから。
そのまま、チャイムが鳴るまで目を閉じていた。
2001.4.18 キリコ
実はこの構図が頭に浮かんで、文にしようと思ったら、上のようになってしまって…
挿し絵とは言えないけど、まぁちょっとリンクしてるかなってことで、ここにアップ。2001.5.10