初夏の摩訶不思議

 


 いつものコートへ向かう。このときだけ、ペダルは軽く感じ、居眠りもしない。一人で過ごす週末。落ち着いて、静かに自主練出来るからいい。自転車が跳ねると、背中のボールも背を叩く。

 どんよりと曇った早朝、すでに夏を感じさせる湿気。けれど、まだ爽やかだ。体を動かすにはちょうどいい感じ。ディバッグからボールを取り出し、茂みからコートに出る。
 自分がバウンドさせると、コンクリートのおかしな音。外ではバッシュも砂の音に近い。
 そんな中、意外な先客がいることに気がついた。

 リングのポールに背をもたれさせ、小さな肩を丸めている。膝を抱えて、額を乗せる姿は、眠っているようでもある。俺がその場でドリブルしても、こちらを向かないそのボサボサの頭。
 ほんのしばらく見つめた後、ため息をついて、無視することにした。

 ストレッチや準備体操で筋肉をほぐし、いつもの練習メニューをこなす。驚かれるような技術は、すべては基礎のたまものだ。ベースなくして、何も発展していかない。
 ふとそこまで考えて、未だにそれがわかっていないらしい奴を思い出してしまい、首を振ってそいつを追い出した。

 夢中になってボールを追う。リングに向かって何度も手を伸ばす。
 シュッという音が聞こえなかったとき、その存在に改めて気がついた。

 立ち上がっても小さいその姿で、ポールをつかんでじっとボールを見つめている。俺がボールを追わないでいると、離れていくそれを自ら取りに行った。
 自分の胸と変わらないくらいの大きなものをしっかりと抱え、こちらを振り返る。上目遣いの、少し怯えた双眼。少し明るいその色が、またアイツを思い出させた。
 ゆっくりと右手を伸ばすと、静かに頭の上から振り下ろす。何度かバウンドしたボールは、俺のところに届くときには転がっていた。
 しばらく見つめ合った気もするが、その無表情な顔に、俺はまた自分の世界に戻った。

 しかし、気づいていしまった今、完全に無視するというのも難しいものだと思った。
 相手がアイツなら、放っておくことも出来る。傷だらけでも自業自得だと思える。
 けれど、この小さな子の、早すぎる薄着や、裸足の足や、目に見える傷は、どうだろうか。
 新聞や授業中に聞くような単語が頭を駆け巡る。バスケット以外にはあまり使わない脳が動いた。

 何も出来ないならば、何も手を着けない方がいい。そう思うのに、体は違うことをする。

「…やってみるか?」

 じっとボールを見つめる少年に初めて話しかけた。驚きで、落ちそうなくらい開いた瞳。すぐ後に、少しだけ笑顔が見えた。
 ボールを差し出すと、小走りに駆け寄ってくる。受け取るときに、躊躇いがちに俺を見上げた。こんなとき、笑ってやればいいのかもしれない。あいにく俺には無理だった。
 そんな無愛想な俺相手なのに、その少年は必死でボールを追った。俺がやっていたことと、同じことをしようとする。出来もしないのに、出来るはずだって顔をしている。また、アイツを思い出させる。
 顔より大きなボールを目の前に持ち、ブツブツ唱えてジャンプシュートに移る。ワンハンドは無理だと悟ったらしい。けれど、まぐれなのか、ビックリするくらい決まった。見事な2点獲得に、俺は自然と拍手を贈る。
 頬を赤らめて、満面の笑顔で振り返った少年は、鼻を指でこすり、自慢げに背をそらせた。
 同時にグーッと腹がなり、次の瞬間には両手をあてて、俺に近寄った。

「…かーちゃんが帰ってくるから」

 それだけ言って、俺の横を通り抜ける。しばらくして、遠くから「ありがとう」と大手を振る。そして、短い自己紹介に、俺のポーカーフェイスが崩れた。

「オレ、花道。桜木花道ってんだ!」

 俺は、まるで演技でもしたかのように、見事にボールを落としてしまった。

 

 これはきっと夢。俺は寝ぼけているに違いない。
 でなければ、初夏の幻。
 ただ、こんなにも俺の意識の中にアイツがいるらしい、ということだけは確かなようだ。

 

 


2001.3.20 キリコ
2001.4.24up