無題
こんな日が来るとは思わなかった。
「いや、わかってたけど、想像したくなかっただけだな」
終わりのないものは何一つない。桜木花道は胸にやどった暖かく痛いものを、感傷と呼んだ。
「また始まることもあるからな」
顔を上げて、前をしっかり向く。花道らしい、エラそうで自信満々な歩き方で、新しいスタートを切った。その横から「どあほう」とため息をつかれながら。
桜木花道と流川楓という、日本中を騒がせたバスケットプレイヤーは、その技術やコンビぶりだけでなく、バスケットを日本の隅から隅まで浸透させたという点でも有名だった。彼らが無名の公立高校出身であることも驚かれ、時期を同じくして渡米し、そこで名を馳せた後、日本のバスケット界を強くした。バスケットがわからなくても二人の名は知っている、それくらいの存在になった。
そんな彼らも、加齢という現実からだけは逃れることも出来ず、彼ら、特に流川の尊敬してやまないアメリカのスタープレイヤーのように、限界まで挑戦し続けた。花道も、一度は痛めた背中を大事にしながら、そのジャンプ力が衰えるまで跳び続けた。
惜しまれつつ、彼らは同時に引退した。
引退後も、監督として引く手数多だったが、
「もーじゅーぶんバスケ、やりましたから」
「黙って見てられねー性分ですから」
記者会見で、簡単にそう述べた。
驚くほどあっさりとバスケット界から身を引いてしまった。
世間も驚いたが、当人同士も相談したわけではなく、それぞれ相手の弁に目をむいた。
関東の、静かな山と海に囲まれた地域に移り住んだのを知っているのは、花道と流川のごく一部の知り合いだけで、マスコミもいっさい寄せ付けないよう注意した、二人きりの世界を築いた。
「バスケバカのテメーが満足することなんかあるのかよ」
「どあほうがいるだろ」
そんな小さな言い合いを交わし、早くも余生を送りはじめた。
「オイ、犬飼わねー?」
「猫がいい」
大きな3匹の犬と捨て猫3匹とに囲まれて、時々裏庭でバスケットをする。そんな毎日だった。花道にも流川にも、何の不満もなかった。
どちらかが、またはどちらも死んだら、どうなるのだろうか。
何気なく見ていた番組の一言が、その静かな生活に波紋を呼んだ。
花道も流川も子供ではなく、日本という狭い意識の中で自分たちの存在がどういう位置にあるか十分知っていた。まして有名人ともなると、大騒ぎになるだろう。勘ぐるマスコミやファンもいたが、表面上はケンカばかりの二人をしつこく追求してくるものはいなかった。
親や親戚のもとへも戻れない。
自分たちには子孫は残せず、それどころか家庭というものもない。
一度は出た「養子縁組」という話は、花道が養子になるのは嫌だと半分冗談半分本気で反対したため、うやむやになっていた。
アメリカで許可されている州に移り住むことも提案されたが、死ぬときは畳の上がいいという意外と古風な二人の考えにより、却下となった。
それでも二人でいることには変わりはないと、なんとなく先送りにしていた。
二人が二人だけの生活を始めて10年経ったとき、流川が病床についた。医師の診断に愕然とし、延命拒否にサインをしたパートナーを殴って、花道はしばらく一人きりの旅に出た。犬がついてこようとするのを止め、花道は久しぶりに一人きりで泣いた。
「…俺って何にこだわってンだろな…」
鼻をすすって役所に向かった。新しい自分になるために。「…ルカワ? 起きたか?」
「…帰ってこねーのかと思った」
ベッドと部屋の中だけが生活の場となった流川の、痩せこけた背中から目を逸らして花道は声をかけた。
「俺…流川になる」
「…なに」
「流川花道になる。ホラ、サインしろ。しょーがねーよな、テメーの方が3ヶ月先に生まれたんだし」
「…ちょっと待て、いきなり…」
花道は、力無く立つ流川を抱きしめた。
「ちゃんと家族になろうぜ。ンで、一緒の墓に入るんだよ。な?」
少し震えている声が、流川の肩に響いて涙を伝染させる。
「…どあほう」
ゆっくりと長い両腕を回すと、ほぅっとため息が漏れた。
「ちっ テメー、もう60年はそのセリフ言い続けてるぞ」
「テメーが成長してねーからだろ」
そこまで話した流川は咳き込み、花道は慌ててソファに横たえた。
「…オイ、ちょっとそこに座れ、どあほう」
「どあほうどあほう言うな」
チンと鼻をすすって、花道は流川のそばに正座した。細った右手を自分の暖かい大きな右手で包み込み、軽く頬を当てた。
「あと…5年、いや10年くらい経ったら、堂々と出来るんじゃねー?」
「…何の話だ?」
「結婚」
花道は顔を上げた。
「テメーの一大決心もいいけど、俺は結婚がいい。俺が、桜木になってやる」
「…プロポーズみてー」
眉を寄せて、口を一文字に震わせる。花道が涙を堪える顔だった。
「そんな言葉はいらねーだろ、もう」
腕同様、やせてしまった胸に、花道は耳を当てる。トクトクという心音と体温が、まだ流川が生きていることを教えてくれた。
「桜木楓… なんか樹ばっかりだな」
「どあほう」
「…長生きしやがれ…ルカワ」
「誰に物言ってやがる」
流川がついたため息の上に、花道は小さなキスをした。誓いの口づけのつもりだった。
流川がいなくなってから、花道はバスケットを止めた。庭に作られたコートは草が生え、リングは錆びていく。犬や猫も年老いて、花道をおいていった。
「そろそろ…俺の番かな」
花道の戸籍は、流川の知らない間に流川となっていた。
「文句ならあの世で聞いてやる。だから早く迎えに来い」
ライバルでケンカ仲間だったパートナーと、同じ墓の中でまたバスケ談義でもしよう。そう思いながら、花道は目を閉じた。
同性同士の結婚が日本で認可されたのは、それからまもなくのことだった。
ふと思いついて高齢者な二人(…)を書いてみました。
口調はどう変わるのかな…変えられなかったんですが。日本の体制というのは、「前例がないと変えられない」という、
長い期間が必要だと思うんですよ。何か、たとえば法律改正とか。
これだけ世界のあちこちで同性同士の結婚が認められてても、
日本はまだまだ時間がかかるんじゃないかなぁと思っております。
2002.1.11 キリコ