リンゴな奥様  

 

「新婚生活はどうだ? 花道」
 水戸洋平は花道を見上げて、からかうように聞いた。一方、問われた方は期末試験後でかなりぼんやりしているらしく、珍しく照れもしなかった。
「あ? 新婚?」
「まだ新婚さんだろ、お前たち」
「あー…」
 花道は、その言葉にはどうしても戸惑いを見せる。けれど、嬉しくないわけではない。

 花道がバスケットボール部に戻ってきて、新しい年を迎えたその日、花道は長年でもない想いを流川に告げ、誰もが玉砕すると思っていた花道の51回目は見事実を結んだ。その日は流川の誕生日だと、花道は知らなかった。
 お付き合い、というぬるま湯が面倒で、流川は花道の家に押し掛けた。もちろん一悶着はあったが、流川に押された花道と二人で意志を貫き通した。
 二人は、家族友人が見守る中、結婚した。実際には、籍を入れることもできないので、公然たる同棲である。

 料理は洗濯は収入は…という質問は、何度も聞かれたことだ。うやむやに応える花道だが、流川の場合は遠慮無く無視する。結局のところ、誰もその生活を知らないのだ。
「で、やっぱりお前が料理するんだろうな」
 花道が台所では器用なことを知る洋平は、確信のように呟いた。
「ああ…あいつ、なっっっっっんにもできねーの」
 怒りをためるようなセリフなのに、口元は楽しそうだった。
「洗濯も掃除もか?」
「ああ……あ、でも…」
「…でも?」
「リンゴだけ」
 花道はのんびりとした歩みを止めて、少し話すのを躊躇った。
「あいつ…なんでか知らないけど、リンゴだけ毎日むきやがる」

 

 口の堅い洋平は、花道から聞く新婚生活を誰にももらしていない。周囲に聞かれても、笑顔か拳で黙らせてしまう。
 こうして徐々に、洋平は新婚二人の唯一のはけ口になっていくのだ。

 ある日、洋平は花道に家に呼ばれた。それは結婚して初めてのことで、洋平はお土産片手によく知ったアパートを訪ねた。
「…帰ってねー」
「あれ…?」
 出迎えた奥様は、そこの主人と同じような体格で同じような格好をしている。エプロンなど持っていないに違いない。洋平は、頭の中であった新婚のイメージに自分が染まっていたことに気が付いた。ここの奥様は、あの、全国でも注目されている流川楓なのだった。
「待ってれば」
「あ、ああ…サンキュ」
 動揺した自分に気づくような相手ではない。洋平はお茶も出せない流川を小さく笑った。

 昔から来ていた部屋は、特に変わったところはなかった。持ち込んだ荷物はたいしてないため、その187cmの存在だけが増えた感じだ。新婚というと、ピンク色とか、レースのカーテンとか、そういうのだと洋平は思っていた。花道に負けず劣らずのロマンティストな自分に気が付いて、洋平は自嘲した。
 部屋の隅にリンゴの箱が見えて、洋平は思わず呟いた。
「あ、リンゴ…」
「…食う?」
「あ、いや…お気遣いなく…」
 その言葉の意味が通じないのか、それとも流川が食べたかったのか。流川は黙々とリンゴをむき始めた。
 その手つきは、見ていてかなりハラハラするものだった。
「る、流川…包丁に慣れてないな?」
「……全然」
 かなり集中しているのか、流川の眉間にシワが寄っていた。
「花道に聞いたんだけど、お前いっつもリンゴむいてやってるんだってな」
「……話しかけンな」
 確かにこのままザクッと指をいってしまうのではないか、洋平は流川から包丁を奪いたかった。けれど、黙って待っていた。それはどうも流川の仕事らしいので。
「……食え」
 元の大きさが想像できない小さなリンゴを、洋平は丁寧に食べた。時間がかかった分、色が変わっているところもある。花道も同じ思いで食べているのだろうか。
「なぁ流川」
「…うまいか」
「ああ…なんでリンゴなんだ?」
 何のことだ、と流川は目を見開いた。
「お前、包丁ももちろん料理なんかしたことねーだろ? なんで毎日リンゴなんだ?」
「ああ……新婚だから」
「…はぁ…?」
 たった一言で説明を終えられて、洋平はのみこめない顔をした。

 その後、ゆっくりとした口調の説明をまとめると、こうらしい。
 以前、音楽の授業の後、眠っていた自分は終わったことのも気づかず、教師と女子生徒との会話を聞いてしまった。
「先生、先生、新婚ってどんな感じ?」
 回りでキャーキャーうるさかった、ということも、流川は話した。そういえば、結婚して名字が変わったと言っていたと思い出した。
「うーん…いろいろ新鮮かな」
「新鮮?」
「…でも、夢と現実部分が見えちゃったかなー」
「えーっ それって例えば?」
 いちいち悲鳴付きで盛り上がる女子高生の心境など、流川にわかるはずもなかった。
「たとえばね、「リンゴ食べたいな」と思っても、自分でむかなきゃいけないのよ。今まで母親がむいてくれてたでしょ。でも、旦那さまのためにむいてあげるの」
 

「で、何で毎日お前がむいてンの」
「…新婚は、自分でリンゴむくんだって」
 そのセリフだけ、流川の脳にインプットされたらしい。しかも、ちょっと違った形で。てっきり、リンゴのビタミンCが多いからとか、そういう返事が来ると思っていたのに。
 リンゴだけで生活してるわけではないと思いながら、洋平はしばらく開いた口が塞がらなかった。

 その後、風邪一つ引かず、花道と流川は春を迎えた。リンゴを食べ続けたおかげかどうかは、誰にもわかることではなかった。
 

 

 

オチてないまま終わる(笑)
私が高校生のときの実話だったりします。
当時の私にはナゼだか衝撃的な話で、
今でもリンゴむくたびに思い出します。
一人モンも自分でむかにゃならんのよね(笑)

2004.9.23 キリコ