テレパシー 後日談
1月2日の朝、流川はまだ薄暗い朝方に目覚めた。花道の家に泊まると自分は早起きだ、と驚く。
「眠れないわけじゃねー」
小さく呟きながら、ため息をついた。けれど、やはり落ち着かないのかもしれない。
自分の首の下には、花道の腕がある。昨日腕枕をしたがった花道に、最初は密着していた。けれど、寝にくく感じ、すぐに離れた。それでもどうしても腕だけは抜かなかったので、枕と同じ扱いだ。
目を閉じて、昨夜のことを思い出すと、下半身に熱がこもり始める。慌てて忘れようとするけれど、それは難しいことだった。電気は消されたものの、結局ストーブの前ですることになり、目を開けて何度も花道を確かめた。覆い被さって自分の上を動く花道を、今でも不思議な気持ちで見つめていた。昨夜初めてフェラチオをされた。自分は自分でも聞いたことのない嬌声をあげた。やり返そうとしたら花道に逃げられた。
どうして自分にそんなことをするのか。
ではなぜ、自分はそれをされたままでいるのか。
以前話し合った「お付き合い」の内容についての先にはキスやセックスがあると、口に出さなくても二人ともが思っていた。そのときは決して身近なものではないと思っていたけれど。あのくすぐりからすでに、セックスだったのではないだろうか、と流川は思う。
自分たちはお付き合いしているのだろうか。
流川はほんの少し頬が熱くなったことを自覚して、ため息をついた。これからまた離れている間は、花道の手や口まで思い出して、一人モンモンとするのだろう。自分で選んだこととはいえ、流川はもう一度息を吐いた。外が明るくなってきたのをきっかけに、流川は静かに起きあがった。ひんやりとした部屋の空気に、体がブルッと震える。洗面所で顔を洗おうとして、水の冷たさに驚いた。
こたつの電源を入れて座り込んでも、花道はまだ眠ったままだ。自分が抜け出したまま、その腕はまだ流川の頭を乗せているかのように伸びている。
ふと机の上を見ると、花道のノートがあった。
「あれ…?」
昨日は見あたらなかったと思う。ノートに書くときだけ自分に隠すようにしていたけれど、その後しまっていたはずだった。一番新しいノートで、珍しくシャーペンが間に挟んであった。
「これは…見ろ…ってか?」
ご丁寧に流川が座る目の前にまっすぐ置いてある。以前写真を持ち去ったときに、流川がノートを見たことにも気付いたはずだった。やはり、わざとなのだろうか。
流川は少し振り返るように花道を見た。寝ているように見えるけれど、実は自分の行動を盗み見ているのかもしれない。そう考えると、素直に見るのを止めようかと思う。
「ま、いーけど」
見て欲しいというなら見てやろう。流川は軽い気持ちでノートを開いた。――― 1月1日 ルカワ 誕生日おめでとう
オレとつきあってください
いつもより大きい字で書いてあった。自分の両目が大きく見開いているのに気付いたのは、しばらく時間が経ってからだった。
「……は?」
今更何を言い出すのだろうか。
流川は舌打ちしようと思うのにうまくできず、心臓がドキドキしていることに驚いた。
もうすでに「お付き合いの先」まで進んでいる、と先ほど考えたばかりだった。
そしてこれは、返事を書いていけ、ということなのだろうか。言葉にしなくても伝わっていると思うのに。
流川は花道の方を向きながら、しばらくシャーペンを握ったまま動かなかった。
流川が帰ろうと決めたのは、7時30分くらいだった。
「桜木」
上を向いて口を開けている花道を、流川は揺さぶった。
「あがっ」
よくわからない返事で、花道は慌てて目を開けた。
「帰る…から、カギ閉めろ」
「……へっ?」
すでに上着まで着ている流川の姿に、花道は大急ぎで脳を起こした。
「えと……今日コート行く?」
花道の問いに、流川は首を横に振った。
「これからアメリカ」
「…なぬっ」
帰ってきたばかりなのに、もうあちらへ戻るのか。
花道は体を起こしながら、流川と向き合った。じっとその顔を見つめて、いろんな思いを巡らせた。
もっとバスケットをしたかった、ランニングして、ビデオを観て、夜の二人もたくさんして、同じふとんで眠りたい。ずっとずっと一緒にいたいと強く思った。
流川は花道から目線を逸らさず、無表情のまま言った。
「またな」
抑揚のない声だったけれど、今の花道には胸に響いた。それは再会の約束だったから。
「お、おお……またな!」
初めて自分からそう言えて、花道はホッとした。
表情のなかった流川が、唇の端をほんの少し上げた。今のも笑ったのだろう、と花道はおかしく思う。
膝を抱えて座る流川の腰あたりを引き寄せて、花道は顔を傾けた。次に会うまでの、お別れのキスだった。一人ポツンと残された部屋で、花道は急いでノートを見た。閉じていたノートが開いているから、流川が見たことは間違いない。何か返事があるといいな、と期待した。
「…な…ない……」
流川からの返事らしきものは、何も書かれていなかった。ただ一言「ヘンタイ」とだけ。これは、どういうことなのだろう。他のページをめくってみても、白紙のままだった。
「そ、そりゃ…オレもオメーも男だけどよ…」
そのことについてだろうか。花道は肩を落としてため息をついた。
「まあ…「またな」って言ったしな」
振られたわけではないと思う。これまでのように、ちゃんと面と向かって言わなければいけない、と花道は思った。
そして、自分がアメリカに行く能力があるか、と考えるのではなく、行くにはどうしたらよいか、流川の近くでバスケットをする方法を、安西に相談しようと決めた。これまでの迷いを、ようやく振り切れた。
「よし!走りに行くか」
今日は海岸デートができなかったけれど。何事も一つ一つ順番に進めていこうと思う。流川が言ったように、二人のこれからはまだまだ長く続くだろうから。
2月下旬、花道は一人ビデオで勉強していた。4月になると新入生が入ってくるので、それまでに今のチームをまとめておきたい。そのために、個性を見極めたいと思っていた。流川とのハガキによる文通も相変わらずの内容で続いていた。お正月のノートについては、どちらも触れなかった。
ページをめくって真新しい白さを埋めようとする。ふと、ノートのつなぎ部分に何かが挟まっているように見えて、指で擦った。
「ま…まさか…」
ものすごく小さな文字で、ノートの紐沿いに書かれていた。流川が旅立った日に見たときに気付かないほど、それは目立たない薄い文字だった。――― 4月1日 誕生日おめでとう オレとつきあってください 流川楓
あの写真のように、いらずらをするかのように唇を突き出しながら書いたのだろうか。これを一生懸命書く流川を想像して、花道はすぐに涙が浮かんできた。そして急いで虫眼鏡で確認した。流川の予想よりも、自分の書き込みは多かったのだろう。少し早めのお祝いの言葉になった。これまでのどんな誕生日プレゼントより、嬉しいものだった。
そして、これは流川の返事ではない。人に頼まれたから付き合うのではなく、これが流川の意思なのだ、と言われた気がした。
「初めて「つきあって」って言われたぞ…」
頬が熱くなって、花道は机に突っ伏した。
今すぐ流川に会いたいな、と心から思った。今そのテレパシーを送ったら届くだろうか。花道は天井を見上げながら、両腕を開き、電波を送り続けた。