無 題 

 

 
                              

 その日の練習で最初にジャンプしたとき、流川は自分の体が軽く感じた。よく休んだというよりは、昨日は花道との再会で落ち着かなかったり、ぐっすり眠った気もしないのに。不思議と気持ちが落ち着いているというか、何かに安心しているような、バスケットに集中できていると感じた。
「アイツのせいなのか」
 おかげ、とは言えないけれど。
 スポーツ選手が早く結婚をと勧められる理由が少しわかった気がした。
 経済的にも生活でも何も安定していないのに、花道がそばにいると思うだけで、悔しいほどリラックスしていた。
 それでも、練習から帰る道中には、これからどうしようと少し舌打ちした。
 一度近くにいることを覚えてしまったら、離れる生活を送ることは可能なのだろうか。
 とりあえず花道の出方をうかがおうと決めて、流川は玄関を開けた。
 そこには、他のルームシェアメイト二人と笑い合う花道がいた。
「よう」
 花道の明るい声が懐かしいけれど、この場で聞くことに違和感があった。
 まだ彼たちには何も話していない。それなのに、花道は住人かのようにくつろいでいた。
 アメリカ人らしい仕草をしながら花道は彼らと別れを告げ、一緒に流川の部屋に戻った。
「この家のルールとか、聞いてなかったけどよ。とりあえずアイサツしとこうと思って」
 その言葉に、花道はアメリカで生活したことがあるんだなと再確認した。実際にどんな生活だったか、聞いた覚えはない。もしかしたら、昨夜話していたかもしれない。けれど、流川は本当に会話が記憶になかった。
「いま…アイツら、1週間くらいいいぜ、って言ったか?」
「うん。オレがそう言ったから」
 彼らより、流川の方が花道の動向がわからない。そして、順序立てて聞き出す能力もなかった。花道も説明を端折り過ぎだと思う。
 花道が勝手に用意した晩御飯を食べながら、ゆっくりとお互いが確認し合った。
「1週間か…まあ近いうちに新しいチーム探して、引っ越す」
 と、花道は言っているらしい。日本語はわかるのに、内容が今一つ入ってこなかった。
「1週間とか…フザけてんのか…どあほう」
「今のオメーのチーム、日本人は二人いらねーって」
 花道がこのチームに来ていたのはそういうことだったのか。
「オレらのプレー見てねーからだな」
 花道のその自信はどこから来るのだろうか。
「テメーとのプレーって何だ…」
「さぁ……まぁコンビプレーで売り込むしかねーだろ?」
 花道の言葉を聞くたびに、流川は頭を抱えたくなった。
 直接的な言葉ではなかったけれど、花道は自分たちが別々のところにいるのはおかしいと言った。違うチームも変だし、それぞれの部屋があるのも意味不明だと。
 流川は右手を額に当てて、しばらく俯いた。
 花道が離れる気がないことにホッとした自分がいた。けれど、バスケットに関してはどちらが良いのか正直わからない。今のチームに在籍していることでどこか満足していたことも事実だった。上を目指したい。花道と共に行くことがその助けになるのかもわからない
 流川はそれほど長く悩まなかった。
「わかった」
 顔をあげて返事をしたとき、花道が両肩を落として笑顔になった。
 自信満々に見えたけれど、それなりに構えていたらしい。その様子が流川に伝わった。


 それから約1年後、狭い二人の部屋で流川は夕食を作っていた。
 今日は4月1日なので、花道は朝から何かとうるさかった。けれど、自分の誕生日もいたって日常だったし、特別なことが必要とは思わなかった。
「そういえば…ケーキとか言ってたな」
 お付き合いしたら、一緒にケーキを食べたい。
 流川は花道とそうしたことはなかった。アメリカのケーキが日本のものよりも甘いせいもあった。
 あれから何年経つのだろうか。
「あの土下座」
 いま思い出しても、本当に驚愕ものだった。
 あの時には全く自覚はなかったけれど、きっとすでに花道を意識していたのだろう。そうでなければ、その後花道の部屋に行ったりしない。長い時間静かに二人で過ごしたのだ。そう考えると、意外にも長く花道を想っていたようだし、全く気付かなかった自分の鈍感さにも呆れた。
 花道は洗濯に行っていた。やはり日常なのだ。特別なものも作れるわけではないし、外食などお金がかかりすぎる。
「あー疲れたーー」
 花道の大きな声で、止まっていた包丁を流川は慌てて動かした。
 乾いた洗濯物をソファに散らかしながら、花道がおかしな鼻歌を歌い始めた。これも、一緒に暮らしてからずっと聞いてきた。
 1年前、花道が自分を訪ねてこなかったら、こんな毎日はなかっただろう。
 あの日、花道はエイプリルフールではないのにウソをつく、と言っていた。
「そういえば…」
 一つといったはずなのに、全部ウソだと感じたことを、流川は今更ながら思い出した。
「テメー、上のチーム行くっつったじゃねーか」
「……はい?」
 突然流川に話しかけられて、花道は驚いた。
「そういや…ガールフレンドと同棲するとか…」
 なぜそんな話題を忘れていたのだろうか。そしてなぜ今頃思い出したのだろう。
「あー……エイプリルフールのウソってヤツな」
「…テメーは一つって言ったろ?」
「…そーだっけ?」
 花道も詳しくは覚えていなかった。どのウソを並べようかと考えていたけれど、実際に流川になんと言っただろうか。
 流川の手は止まったままだし、背中が何となく怒っている気がした。
「まぁ…もういーじゃん」
「…テメーが言うことじゃねー」
 全部ウソなのだ。それがわかっても、出てきた言葉にこんなにもイライラさせられるとは。流川は自分の嫉妬心に改めて驚いた。
「なぁルカワ」
「…なんだ」
「今日もエイプリルフールだろ? またいっこウソつこーと思うんだけど」
「…どあほう…」
 ウソなどついて、何が面白いのだろうか。
 振り返ると、花道は洗濯物をたたみながらニヤニヤしていた。
「オレさ…ちょっとだけだけ…ウシロに興味でてきたなーなんて」
 花道の声が少し上ずって、流川はちょっとの間理解できなかった。
「ああ…なるほど。オレもだ」
「ええっマジで?」
「…オレがする方なら」
「えーーーーーっそりゃチガウ!」
 花道が大げさに倒れこむので、流川は顔を隠して笑った。
 あまりこういうことを話題にしたことはなかった。二人でひっそりと暗い中で、もぞもぞと互いに触れ合うだけだった。

 それからまた1年後のエイプリルフールに、花道の願いは叶えられた。
 狭いベッドの中で、花道はぐったりする流川を抱き寄せた。
 やはり腕枕では、流川の髪の毛を撫でることが難しい。日本の畳が恋しいなと思い出した。
「桜木」
「なんだ?」
「テメー…なんで4月2日に来た」
 唐突な話に、花道はすぐに理解できなかった。
 2年前、流川のところを訪れたのは、確かにその日だった。
「ああ…まだ仕事の手続きとかあって1日に来れなかったんだ」
 流川もそんなことだろうと思ってはいた。可能ならば何としても1日に来ただろう。
「けどな、日本時間なら1日だろ? じゃあちょうどいいかと思ってよ」
「……へー」
 流川は目をつぶりながら、とりあえず呟いた。
 二人ともそのときは気づかなかったけれど、日本時間はアメリカよりも進んでいる。花道の勘違いなのだ。
 4月1日は、花道の誕生日というよりエイプリルフールであり、なんとなく二人が本音を小出しにする日になっていた。
「だからなルカワ。そろそろスキって言ってみねー?」
 花道に肩を力強く握られて、流川はほんの少し目を開けた。
「まぁ……」
「…まぁ?」
「結婚したあとでなら」
「えっ」
 それが流川の本心なのかウソなのか、花道にはわからない。けれど、そんな単語を聞けたことが、果てしなく幸せに感じた。 
 
 

 

2018. 5. 7 キリコ
  
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おしまい