鈴鹿までの長い道のり

本当に鈴鹿ミーティングはあっという間にやってきました。

なぜか寸前になって僕は風邪を引いてしまうという大チョンボをやってしまいました。風邪薬を飲みながらの準備はつらかったです。

今回のミーティングももちろんテント持参です。やっぱり野営はテントに限ります。車中泊を決め込んだ人もいましたが、僕はテント寝が好きです。10月ならあんまり寒くないので僕の持っているシュラフ(スリーシーズン用の安物)でも十分約に経ちます。しかし、今回は風邪引いているゾッ!

手打ちうどん用の板やら、鍋やらを積み込むと結構な荷物になりました。一人の参加ででこんな荷物になるとはと少々感心。もちろん後部座席のシートは取っ払いました。Cabriolet以外の初期型CITYは取り外せます。リアスピーカーも取り外します。そういえば2年前のキャンプのとき線を切ったのでリアスピーカーは既に飾りでした。ミーティングから帰ったらつないでみよっと(^o^)

準備をしているとCity of lifeのkazzeeさんから電話が、数名が既に「ホテルkazzee」に集結すべく、まもなく到着とか言ってました。で、なんとか積み終わり就寝したのが、11時過ぎになっていました。

次の日起床したのが、3時前。「うーんよく寝た」というのには程遠いですが何とか出発。時間は、3時50分でした。もちろんまだあたりは真っ暗。ちゃんと暖気はしました。

鈴鹿までは四国からだと、どうやっていくのかという事ですが、まず、奥さんを高松(実家)に連れて行きました。ミーティングに連れて行くとどうも機嫌が悪くなるので今回も留守番をしてもらいました。ここで手打ちうどん用の小麦粉を高松の義母から受け取りました。実は10キロ用意していましたので、100人分はあったと思います。(^o^)

そして、鳴門まで早朝の国道11号線を東へ走りました。普段は込み合う道路もさすがに空いています。鳴門着がおよそ6時でした。そうそう僕は家を出たときからGANさんの指示どおり、黄色のリボンをつけて走っていました。途中走り屋らしい集団が僕のCITYを追い抜いていきまいたが、なんか不思議そうにこっちを見ていたのを覚えています。最近のHONDA車に混じってGA2も一台いました。(さすがにリボンはついていませんでした)

淡路島を縦断し(30分かかりました)、いよいよ本州に。明石大橋(98年4月開通)を渡ると長いトンネルになっています。たぶん明石市の下を抜けたんだと思います。そして、未体験の都会の高速道路へ。

僕の場合(CITYも含めて)田舎道しか走った事がありません。四国にも高速道路があるのですが、広いです。車もあんまり走っていません。自分専用道路になることもよくあります。てなもんで、本当に慣れない道にすっかり疲れてしまいました。壁が両方にあって怖い〜。しかも交通量が多い。さらにスピードが速い〜。

阪神高速を走りながら、ふと「僕はどこを走っているんだ?」という不思議な間隔に陥りまして、高速の下のPAに。地図を見るとまだまだ待ち合わせの大内ICは遠いという事にはじめて気がつきました。

さらに悪い事に松原JCで2キロの渋滞、天理ICでも9キロの渋滞。と掲示板(BBSではない。念のため)に出ているではないですか。「こりゃもうあかんな。時間までに着く事は無理だな。」と思い、遅れてつく事を連絡しようと思ったが、みやび西日本組隊長の携帯番号を忘れた。「何たる失態〜」「でもよく考えてみると鈴鹿サーキットってどうやっていけばいいんだ?みやび隊長と合流して運んでもらう事しか考えていなかった(涙)」という状態で西名阪を東へと車を走らせた。

「こりゃやべーどこかで道聞かないとたどり着けないな。」と考えつつ、追い越し車線を走っていると、ふと視野の中に、懐かしい車が、「中田さんだ〜」助かった〜これで安心だ。ついて行こうと思い、道を譲ると、助手席のナビさん(与島のときも来ていた人名前知りませんゴメン)が地図をこちらに向けてにっこり笑っていました。

まあ、これで安心と思いながらひたすら着いていく事に。中田さんが(田舎者の僕らを気遣って)かなり安全運転で先導していただきましたので、やっぱり時間には間に合わない事に。鈴鹿市に入ったところで、10時10分に。ここで高速対策として少し縮めていたアンテナをびよーんと伸ばし、臨戦状態に。(^o^)

なんかよく分からないのどかな光景のところを10分ほど走ったでしょうか?みんなの待つ鈴鹿青少年の森へつきました。

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ここのページのイラストはOriginal by gagaga-san
/ Arrangement by ikki-sanによるものです
参加されました方一人一人に承諾を得ていませんので
転載はご遠慮願います。(^o^)