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一. アスターテ会戦の戦略的分析

二万のラインハルト艦隊によるアスターテ星系侵入は自由惑星同盟に大きな動揺を引き起こした。同盟政府は、帝国軍の動きにアスターテ星系への恒常的な前進基地建設の意思を見て取った。時期を同じくして一〇〇〇隻にも及ぶ高速コンテナ船団がイゼルローンを発して同盟領深部へ向かったことが、イゼルローン宙域の哨戒を担務していた第二艦隊からハイネセンへ伝えられ、同盟の為政者たちの肺腑を恐怖という名の槍で貫く結果になった。
イゼルローンだけでも手に余り、先年はヴァンフリートの小規模な基地を排除するだけで制式一個艦隊が振り回された挙げ句に、その後は数万の大軍を動員しての泥沼のような戦いに陥ってしまった。この上、アスターテ星系に基地を作られ、エル・ファシル他の有人星系にまで侵入ってこられたのでは、政府の支持率への致命傷になる。総選挙も近いと言うのに!
周知のように、同盟政府は三個制式艦隊四万隻の動員を決定し、同盟軍最高司令官のロボス元帥に『ダゴンの殲滅戦』再現を厳命することになった。
絶対に負けられない状況下、負けるはずのない兵力を与えられたロボス元帥と彼の幕僚は、アスターテ星系深部での分進合撃による包囲殲滅戦を企図した。
「帝国軍<やつら>に逃げ帰らせてはならぬ」
それが作戦会議におけるロボス元帥の最初の発言であると伝えられる。後世、『勝ってもいないのに、大勝利を取り逃がすことのみを案じていた』として批判を集めることになる発言である。
これ以外にも、参加した三個艦隊の統一指揮官が明示されていない。密接な相互連絡が欠かせないにもかかわらず、アスターテ星系内に通信中継衛星を増設しなかったなど、ロボス司令部の戦略的な準備不足への批判は枚挙にいとまがない。前者は会戦開始直後、ラインハルトに意表を突かれたにもかかわらず、最先任指揮官のパエッタ中将が積極的な対応を行えなかったこと。後者は、ラインハルトが大量に散布した妨害衛星によって三個艦隊が通信路を遮断されたことにつながり、いずれもアスターテにおける同盟軍大敗の素因を形作った。
が、何よりも会戦の帰趨に最大の影響を与えたのは、包囲に気づいた帝国軍がアスターテを脱出してしまうのを恐れる余りに下された命令だった。曰く、『過早<かそう>の包囲を避け、決定的段階まで相互距離の保持に留意せよ』。第二艦隊次席幕僚ヤン・ウェンリー准将は、この命令を一瞥した瞬間に各個撃破の可能性に思い至り、いわゆる『緩包囲による漸減作戦』への切り替えを具申するが、先任指揮官であるパエッタ中将の却下するところとなる。
このため、ラインハルトの放った哨戒部隊からの触接を受けてなお、同盟軍の三個艦隊は通常の航行速度を維持し続けた。結果として同盟軍艦隊の位置を把握した瞬間に突進に移ったラインハルトにより、その包囲網は完全な崩壊へと追い込まれていったのである。まさにヤン准将が恐れたとおりの展開だった。
この戦いの途上、パエッタ中将は敵将ローエングラム伯を『若くて経験も少ない』と評したとされるが、彼自身、もしくは彼の幕僚がラインハルトの戦歴を研究した形跡はない。一方、パエッタの戦歴に対する詳細な分析から、ラインハルトが『考えに柔軟性がなく、自分の好みで情報を取捨する癖が強い。状況の急変への即応など望むべくもない鈍将』と評価し、最も劇的な形での各個撃破が可能と判断していたなど、知るよしもないことだった。

会戦の最終段階、同盟軍第二艦隊の反撃に対して、ラインハルトはそれ以上の戦勝に拘泥しなかった。中央突破を逆手に取った側面逆進・背面展開という鮮やかな戦術は、一つ誤れば形勢の逆転をすら招きかねなかったし、事実、エルラッハ少将の戦死を含む艦艇一〇〇〇隻以上の損害は、まさに第二艦隊の反撃によって被ったものだった。後背に敵を受けて敵前回頭したエルラッハ少将を、ラインハルトは一度は『無能者』と罵倒したものの、その後、少将の率いる分艦隊の反転により、艦隊全体が態勢を立て直す貴重な時間を得たことを認めている。
後日、最高司令官の命に反して戦死した提督としては異例なことに、エルラッハ少将は帝国軍大将の地位を追贈される。ラインハルト自身の上申によるものだった。

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