再 会
「ドクター」の本の方から続いている話です。このままでもわかる話ですが、ネタばれしてます。
フェリックス・フォン・ロイエンタールは、額に汗をかいていた。
美丈夫といわれた父によく似た面差しはやや色がなく、緊張からか唇を何度も舐めていた。
若手医師をそろそろ脱出し、後輩も指導する彼が、久しぶりに萎縮していた。「フェリックス…私、妊娠したみたい…」
大事な恋人の発言から、フェリックスは眠りが浅くなった。彼女と結婚して家庭を持つことが嫌なわけではなく、むしろプロポーズするつもりでいた。けれど、医師同士のカップルが「デキちゃいました」でよいのだろうか。ご両親への挨拶は、などと、順序も関係なく考え込んでしまうのだ。それは彼が真面目だからだろう。
「…ウォルフたちがいたら…」
相談したかった、と思う。そして、彼らの反応を見たかった、と心から願う。
「グランパだって」
フェリックスは一人笑い、少し切なくなった。「マリア」
エルザ=マリアという名の恋人を、フェリックスはそう呼んでいる。それが初恋の人の名だと、彼は覚えていなかった。そして、彼女は親友の妹なのだ。
「フェリックス、悪いけど後にして」
同じ職場で働く後輩である彼女は、まだ新人を脱出するかしないかという頃だった。妊娠がわかっても、これまでと変わらないペースで働いている。フェリックスはそれを止めさせたかった。
「イヤよ」
「……なぜ?」
「両親のような医師になりたいの」
「でも…お腹の子は大事にしないと…」
「もちろん大事にしてるわ。ごめんね、来週休むのに代わってもらったから」
そしてまた金髪をはためかせて仕事に戻るのだ。その後ろ姿は、疾風の父のようだった。
実はフェリックスはエルザ=マリアの両親のことを知らなかった。たった今、両親も医者だということを告白されたのだ。そして、来週二人で休みを取ったのは、その両親に挨拶に行くためだ。フェリックスの胃は、だんだん動きが鈍くなっていった。
そして、フェリックスは約30年ぶりにシカゴを訪れることになった。「君のことは聞いているよ。ロイエンタール君」
「は……はいっ」
「ファーター、フェリックスって呼んでってさっき彼が言ったでしょ」
フェリックスは、彼女がシカゴから来たことも知らなかった。あまり何も知らないまま、ただ人柄に惹かれていた上、エルザ=マリアもあまり話さなかったから。
「ま、マリア……こんなお屋敷とは…」
「……パパの家よ。私のじゃないわ。いずれアレクが継ぐのかしら」
「アレクが?」
「エルザ=マリア。お前は少し黙っていなさい」
「…イヤよ。ファーター。こんな年齢になって親の意見を聞きたくありません。今日は報告に来たんです」
「…マリア?」
フェリックスは、とてもよく似た面もちの親子を見比べた。意思を通そうとする厳しい目をすると、ますますそっくりだった。
「私ね、知ってるのよ。アレクってデキちゃったなのよね」
「マリア!」
ここで初めてエルザ=マリアの母親の鋭い声が聞こえた。
「だからね、二人には私たちを止めることはできないのよ。行きましょう、フェリックス」
こんなに気の強い人だっただろうか、とフェリックスが戸惑うほど、両親の前での彼女は頑固者だった。それは、両親を目指し、憧れているものの、反発できる唯一の存在だからだろう。
フェリックスは、先ほどの発言に、少し心が軽くなったのも事実だった。「マリア…ご両親に反対されても結婚してくれる?」
「…ええ……フェリックス、ご両親のことを話してくれる?」
付き合って1年になる彼らだが、あまりゆっくり話す時間もなかったのも本当だった。けれど、フェリックスは聞かれるまでは話さなかった。父達が恥ずかしいのではなく、まだ大事な思い出にしておきたかったから。
「じゃあ…写真を見せようか」
フェリックスにとっては、医師としてだけでなく、人間としてもとても尊敬できる父達だったこと。彼はまずそこから話した。
「彼らの出会いは16歳くらいだったって…でも、そのパートナーになったのは、ずっと後だよ」
「そうなの…フェリックスは…このオスカーの子どもね?」
「…わかる?」
「そっくりだもの」
「ウォルフもファーターなんだよ」
「…そうだったわね…」
この瞬間、エルザ=マリアが綺麗な笑顔になった。フェリックスはこの顔を一生忘れないと思った。
「マリア…あの、結婚式に呼びたいから、話しておこうと思う」
「何のこと?」
「その、俺には妹がいるんだ」
あまり物事に動じないエルザ=マリアだが、このときばかりは大きく目を見開いた。
「…妹? 誰の?」
「マリア…だから、俺の妹だよ」
聡明な女性のおかしな質問は、フェリックスにはかなり新鮮なものだった。
説明して、という視線を感じ、フェリックスは俯きながら話を続けた。
「あの、そのウォルフには奥さんがいて…その二人の娘だよ」
「……フェリックス、ちょっと年表作ってみてちょうだい」
頭を抱えて冗談を言った。実際、エルザ=マリアの頭脳をもってしても、理解できなかった。
「なんか…俺にもよくわからないけど……いろいろあったんだろうな…」
そして、昔の話ではなく、どのようにして妹と出会ったか、そこばかりを話した。
「不思議ね…神様って」
「…マリアの口からそんな言葉が出てくるなんて…」
「フェリックス! 私は真面目なのよ!」
冷静に会話ができる彼女を尊敬し、ときには見せる女性らしさを大切にしたいと思う。
そんなフェリックスの姿は、彼らの父が望んでいたものだと、彼は知らなかった。
2005. 4. 6 キリコ