GENE
20世紀の末に遺伝子の研究が急激に進み、21世紀に入ってまもなくすべての遺伝子が解析された。動植物の研究もなされ、人類の始祖である存在の確認、また疾患の発症の有無など、ヒトがヒトであるすべてが解明された。
その後、医療界では遺伝子診断が主流となった。これは、先行診断が可能であり、病気の発症を予防し、遺伝性疾患の場合の堕胎など、人類は、”病気”と呼ばれるものから無縁になろうとしていた。
しかし人類が子孫を「選ぶ」ことに伴い、より優秀な人材を残そうと、クローンを造ろうとする輩が激増した。世界中の有名大学に在学の学生たちの卵子や精子は、闇で高額で取り引きされ、それによる利益収入は地球を乗っ取るかのような金額・地位となった。人々は、争ってでもそれを欲し、22世紀にならない内に、世界は戦場となった。
ヒトの人口はそれ以前の1/1000となり、他の種も絶滅したものが数えられないくらいだった。食物連鎖が狂い、人類も絶滅するかに思われた。多くの研究所が破壊され、その技術はなくなるかに見えた。
しかし、ヒトは繁殖を続けた。時代(とき)は、23世紀の半ば…
世界は一つとなり、それまで国と呼ばれていたものは州となり、地球単位で物事を取り決める中枢的存在が出来、人類が、二度と同じ過ちを犯さないよう、平和で穏やかで、そして滅亡の危機を回避する努力がなされた。医療に関しては、遺伝子診断・治療は可能であるが、クローンや遺伝子組み換えについては全国的に禁止となり、厳しい処分がくだされることとなった。
欧州ドイツ郡の若き医師ウォルフガング・ミッターマイヤーは、未だに完全とは言えない遺伝子治療の研究に携わっていた。
人々がどのように生まれ、どの時期にどの疾患にかかり、またその子供達へ遺伝する確率もわかり、その生死までもが予測出来る時代であるのに、まだまだ完治出来ない疾患があるということは、熱心な医師にとって頭痛の種であり、同時に研究対象でもあった。しかし、その研究により救われる人がいることを思うと、立ち止まる時間はないと、ミッターマイヤーは考えていた。
「すべてのDNAがわかっているのに、治療法がわからないとは…」
自分の全知全能を使い果たしても、亡くなっていく患者を前に、苦悩する。医師同士、励まし合う。
人口が少なくなってしまった今、人々は互いを大事にし合い、励まし合い、古き良き時代と呼ばれる穏やかな時間だった。しかし、ミッターマイヤーが大学を卒業し、研究職に携わる頃には、少しずつ、いろいろな輩が現れた。否、奥深くに潜んでいた人々が、本性を現し始めた、そう表現出来るかもしれない。
ある年、ミッターマイヤーはハイデルベルグの大学に移り、そこで研究員として働くようになった。研究室には、プロフェッサー、アシスタント、レジデンスなど、様々な職種がいたが、賑やかでもあり、研究熱心でもあり、ミッターマイヤーは初日からホッとしていた。元々人見知りしたり、物怖じするタイプでもなかったことも大きかった。
「今日から入る、ミッターマイヤー君だ。みな、よろしくな」
真っ白いヒゲのプロフェッサーがのんびりと紹介する。ミッターマイヤーは、すべての視線を自分に感じながら、はきはきと自己紹介した。
「ウォルフガング・ミッターマイヤーです。これまでミュンヘンで肥満遺伝子に携わっておりました」
よろしく、という挨拶のあと、にこやかな拍手で迎えられ、ミッターマイヤーは今日からそこで、別の遺伝子の研究に入ることになったのだ。
早速、歓迎会という名の飲み会が催され、派手に呑みまわり、酒に弱くはないミッターマイヤーですら足がふらつき始め、互いの氏名を覚え合った者同士、肩を支え合った。
そんな日が穏やかに過ぎ、ミッターマイヤーも少しずつハイデルベルグに慣れた頃、下町にいい飲み屋があると教わり、初めて一人で出かけることにした。どんな時代、どのような状況下でも、決して無くならないものがある。もちろん需要次第なのだろうが、しかし常にどこの世、どの州にも存在する。春を売る店だ。
ミッターマイヤーは、言われた下町にそのような店が多いのに閉口していた。独身のいい男が寂しいだろう、と思った同僚が、さりげなく勧めたのだ。
帰ろうかとため息をついたミッターマイヤーは、来た道を戻るのも躊躇われ、知らない道をまっすぐに進む。しばらくして、落ち着いたクラブ風の店が並び、客を引き寄せる派手な女性達も消え、ミッターマイヤーは心底ホッとした。疑うことを知らない彼は、同僚がここら辺りを勧めてくれたのだ、と信じ込んだ。
その中で、雰囲気がなんとなく気に入った店に、ふらりと引き寄せられた。
2001年1月(21世紀入ってすぐですかね)に書いた話らしいです(笑)
またドクターですが、今度は研究者です。
のんびーーーりと更新していきたいと思います(^^)2002.8.30(祝!)