GENE
『ゼー・アドラー』と書かれたその店は、表向きは品のいいバーであったが、その裏を知る者は少なかった。
ミッターマイヤーは、その店の落ち着いた雰囲気が気に入った。カウンターでバーテンとゆっくり話すと、この界隈のことがわかる。この街の歴史も多少はわかる。それも、楽しかった。自分の仕事とは直接関係のない話題は、滅多に出来なかったのである。
週に何度か訪れるようになり、何人かいるバーテンダーとも顔見知りとなる。自然とプライベートも話すようになる。
「お客様はドクターでいらっしゃいましたか」
すでに埃一つ付いていなさそうなグラスを丁寧に拭き取りながら、そのバーテンは驚かなかった。人を見て、相手の機微を読み取る職業人は、大方の予想はつけられるものなのだ。それがわかっていたミッターマイヤーも、「まぁね」と答えただけだった。
そのとき背後から声をかけられ、ミッターマイヤーは振り返る。しかし、そのときにはすでにその人物は隣りに座っていた。
「ドクター、ご専門は?」
キョロキョロと見回した後のミッターマイヤーの視線が落ち着いた先には、初めて見るような人がいた。初めて会う人の顔をジロジロ見るのははしたないとわかっていても、それを止められないくらい、純粋に驚いたのだ。なので、された質問も忘れてしまった。
「…その瞳は本物…?」
あまりにもストレートな質問に、今度は隣の人物も、そしてバーテンも驚いた。
「その質問は、よく受けるが…。そこまであっさり尋ねられるのは、初めてだ」
「あっ…すまない…あんまりにも綺麗で、つい…」
ミッターマイヤーは、ようやく我に返った。オスカー・フォン・ロイエンタールと名乗った美丈夫は、この店の常連だった。それ以上のことはあまり話さなかったが、ミッターマイヤーは、おそらく説明されても覚えていなかっただろう。それどころか、長身であることも整った顔立ちにも、全く目が行っていなかったのである。ただ一点、右が黒曜石で左が成層圏の色というオッドアイだけを見つめていた。
「…そこまでマジマジと見つめられるとな…」
ロイエンタールが笑うと同時に、ミッターマイヤーがハッとする。そして、謝る。その晩だけで、何度もそれが繰り返された。それでも、ロイエンタールは全く気を悪くしている風でもなく、席を離れもしなかった。
「あー本当にすまない」
穴があったら入りたい、といった風情のミッターマイヤーに、ロイエンタールが逆に問う。
「…ドクターはもしかして、遺伝子の研究でも?」
「…なぜ?」
「このヘテロクロミアは、突然変異だからだ」
ミッターマイヤーは、黙り込んだ。
すべての遺伝子がわかっているこの世の中で、説明がつかない変化はすべて突然変異と名付けられる。父親と母親、またはその祖先の遺伝子の中から決まるそのパーツで、瞳は同じ遺伝子から決まる。つまり、左右同じ色であるはずなのだ。しかし、ロイエンタールは実際にヘテロクロミアである。これは、遺伝子を研究する者にとって、興味の対象となって当然なのである。
どの遺伝子、どの染色体、どのゲノムの突然変異なのか。
調べたいと思ってしまうのが、研究者の性だった。
「……本当にすまない」
ミッターマイヤーは、心から謝った。自分の頭の中に、たとえ一瞬でも研究の対象として位置づけてしまったことを、心から悔いて反省した。
「だけど、…本当に綺麗だ」
真正面から見つめられ、嘘のないグレーの瞳に、ロイエンタールはまた笑った。
これまでにも、何人もの遺伝子研究者が彼を調べようとやっきとなった。手を変え品を変え、彼に付け入ろうとする。ミッターマイヤーも、そんな輩の一人かと、最初は思ったのだ。
ロイエンタールは、そのまっすぐな言葉に俯いて小さく笑うしか出来なかった。
えー目標としましては、1ヶ月に1回くらいは更新したいなーと思ってますが…
わかりにくい話かもしれませんねぇ。
おいおい遺伝子の話なぞしていけたらなぁと思います(^^)2002.8.30(祝!)