GENE


 

 ミッターマイヤーは、どちらかというと自分のことをオープンにする方だった。研究内容は別としても、家族や友人のこと、自分の考えなどを、それほど深く秘密にはしない。
 最近、友人と呼べるくらいの間柄になったロイエンタールという男は、その辺りが自分と違うことをもどかしく思い始めた。知らなくても友人でいられるけれど、どこかに強く一線を引かれている。そんな気がするから。
 けれど、研究畑できたミッターマイヤーは、ロイエンタールの巧みな話術の前にいつも負けてしまう。自然な流れで話をはぐらかされているのだ。そのことにすら、後で気づくくらいに。
「ロイエンタール、お前はいったい何歳だ」
「…女なら、誕生日は覚えていても年齢は忘れろ、というのにな」
 ミッターマイヤーのストレートな質問も、いつものらりくらりと逃げる。ただ、年齢だけは彼より一つ上だとうち明けた。
「お前、もしかして俺の誕生日まで知ってるんじゃないだろうな」
「…なぜ「もしかして」なんだ? 研究者名簿を見れば、お前が卒業した大学まで載っているぞ」
 こんな微妙にすれ違うような、けれどどこかおかしさを含んだ会話を、ミッターマイヤーは楽しんでいた。わからないことだらけの相手でも、ロイエンタールと呑むのは仕事後の日課となっていた。

 

 そんな日々は、ミッターマイヤーの研究が忙しくなって中断した。ただでさえストレスが多い中、息抜きもできない毎日に、ミッターマイヤーは友人と連絡を取る元気もなかった。そして気が付くのだが、ロイエンタールの方から電話がかかるのは、滅多になかったのである。
「友人のような…そうでもないような…?」
 疲れていると、思考はネガティブになりがちである。その上、ミッターマイヤーは友人の住まいも知らない。会うのはほとんどが『ゼー・アドラー』でである。連絡先も、そこしかしらない。
 新しい土地に来て、初めて親しくなった人物だけれど、そう思っていたのは自分だけかもしれない。ミッターマイヤーは、暗い思考のまま眠りに落ちていった。

 翌朝、久しぶりの熟睡にかえって気怠く、ミッターマイヤーは家の片づけなどもやる気が起きなかった。けれど、ぼんやりしていても一人暮らしではご飯が出てくるわけではない。自分の頬を軽く叩き、ミッターマイヤーはスックと立ち上がった。
「よし。まずは掃除掃除」
 研究室でもそうだが、あまり整理整頓が得意ではない彼の部屋は、他人からすれば地震の後にしか見えないかもしれない。けれど、本人には物の位置がわかっているし、逆に動かしにくいともいえる。結局、掃除といっても時間はかからなかった。
「…どうしたって獣道さ」
 それでも綺麗になっていくのが嬉しくて、次第にミッターマイヤーは鼻歌混じりに動いていた。

 夕方、空腹を訴える胃に対し、ミッターマイヤーは戦略を練る。
「買いに行く…か、食べに行くか」
 一人暮らしの気楽さである。そして、久しぶりに『ゼー・アドラー』に立ち寄ろうかとも考えた。
 本来は落ち着いたバーなのだが、ミッターマイヤーはかなり頼っていた。遅めの食事を、である。
「…また作ってもらおっかな…」
 自分で用意するものとは比べ物にならない夕食を、胃の方はすでに心待ちにしていた。


 ミッターマイヤーは、まだ空いている時間帯にいつもの店のドアを開けた。彼がこんなに早い時間に現れるのは珍しいし、まして久しぶりだった。だからなお、馴染みのバーテンダーは笑顔で迎え入れる。
「あれ、ドクター…なんだかお痩せになったんじゃ…?」
「…そう? ちょっと忙しかったからね」
 そんな気遣いのある言葉に、ミッターマイヤーは視線を動かしながら応えた。
「ちゃんとお食事なさってます?」
「うん…まあ…」
 少し困った表情をバーテンダーに向けたと同時に、ミッターマイヤーのお腹も盛大に返事をした。
「……ドクター…」
「…ごめん…なんか食べさせてくれる?」
「はいはい」
 仕方なそうに肩をすくめるバーテンダーも、嫌々しているわけではない。年齢の割には素直な笑顔を浮かべるミッターマイヤーは、ここでも人気者だった。
「…今日は空いてるね」
「まだ早いですから」
「でもまあ、いつも混んでる、というほどでもないよ」
「…ドクター、それは誉め言葉ともそうでないとも取れますが…」
「あ、ごめん。いや、のんびり呑んでいる人もいれば、出入りの早い人もいるし」
 けれど落ち着くのだ、とミッターマイヤーは笑った。
 そして、会話していたバーテンダーも彼の意外な観察力にも驚いていた。
「…その割にはいつまでもお気づきにならない…」
「なんだって?」
「いえ…何でもありません。冷めないうちにどうぞ」
 手際よく目の前に用意された夕食に、ミッターマイヤーは目を輝かせる。
「ありがとう…ところで、ロイエンタールは?」
 温かいスープを一口入れてから、ミッターマイヤーはさっきから聞きたかったことを尋ねた。何度見渡しても、見慣れた長身がいないのである。
「あ…えーっと、今日は来ない…かもしれませんね」
「……そうなのか?」
 明らかにミッターマイヤーは肩を落とした。
「最近お忙しいようですよ」
「…忙しい…俺、何で忙しいのかもわからないよ…」
 客のことにはバーテンダーも笑顔で対応するしかできない。知っていても、話せないのはわかる。
「ロイエンタールって…まるでここの店員みたいだよな」
「…そうですか? 大事なお客様なんですよ」
 それまで柔らかく自分をまっすぐに見返してきたバーテンダーが俯いたのは、本当にグラスを取るためだけなのだろうか。ミッターマイヤーは、だんだん探りを入れ始めた。
「常連客とは聞いたけど…でもいつも決まったバーテンダーとしか話してないし。他の客と話してるのもあまり見たことないよ」
「…そんなことはないですよ、ドクター」
「ねぇ…あいつっていつ頃からここに来てるの?」
「さあ…どれくらいになりますか…」
 考えるふりをしているけれど、あくまでも具体的な話はしない。ミッターマイヤーはしばらく黙って考えた。
「どうもこの街の人間は秘密が好きらしい…」
 そう結論づけた。やはり、聞くならば本人だ。
 ミッターマイヤーが一人頷いたのを見て、バーテンダーも少し肩の力を抜いた。

 

 


ロイエンタールが出てこない…(笑)
次の更新は数ヶ月も先ではないです。
果たして、これも「連載」と呼べるのかどうか…

2003. 3.14(プロージット!ラインハルト!) キリコ

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