GENE
「そういえば…一度だけ潰れたな…」
「………彼が、ですか?」
グラスを拭く手を止め、数秒経ってから、ようやく口を開いた。そんな驚き方だった。
「うん…しょうがないから、うちに連れて帰った」
「…まさか…泊まっては…」
「もう動ける状態じゃなかったし」
ミッターマイヤーは最後の一口を終えて、作ってくれた本人に軽く頭を下げた。
あれは先月のことだっただろうか。
いつものようにこの店で会い、呑んで、珍しく一緒に店を出た。ミッターマイヤーは明日が休日という気楽さで、確かにいつもより歯止めが利かなかった。おいしいお酒と親しい友人、という状況すら、酔っていたのかもしれない。
そして、どういうわけか、ロイエンタールも量を超していた。いつもの呑み方ではない、とミッターマイヤーは後から思った。けれど、その場でストップをかける人はいなかった。
『ゼー・アドラー』を出た後、ロイエンタールはミッターマイヤーを見送ってからどこかへ行く。普段ならそうするところだったけれど、その夜はロイエンタールが一人で立っているのが難しくなっていた。
「ロイエンタール? 珍しいな」
自分より高い位置にある肩を支え、ミッターマイヤーはどこかウキウキした。
それ以降のロイエンタールの言葉は、ミッターマイヤーには意味不明で、正真正銘酔っていることだけがわかった。ミッターマイヤーは誰とでもすぐに親しくなり、オープンなつもりだったが、自分の部屋に人を招くことはほとんどなかった。この土地に引っ越してからは、皆無だったのである。
「…しょうがない…か」
ミッターマイヤーは俯いたダークブラウンの頭を見ながら、大きなため息をついた。獣道で人を引きずると、道が広がるのは当たり前だった。ロイエンタールの長い足は、ミッターマイヤーにしかわからない荷物の山を蹴飛ばしていく。もっそも、ほろ酔い気分でいた家主も、部屋の状況に気づいたのは朝になってからだった。
「ロイエンタール?」
狭い部屋の唯一のベッドに寝かせ、ミッターマイヤーはもう一度声をかけた。その声に、生返事を返したロイエンタールは、完全に眠っているわけではないらしい。けれど、起きる気もないこともわかった。
「…言っておくが、うちにはソファもない。毛布も一組だ」
この言葉が意味することを、ロイエンタールは理解しないまま頷いた。それも想像がついたが、とにかくミッターマイヤーも疲れていたのである。一人だけシャワーを浴びたあと、ゆっくりと狭いベッドに潜り込んだ。静かな寝息を立てていたロイエンタールは、それでも目覚めなかった。
「…ロイエンタール…くつろいでる?」
ミッターマイヤーは、いつもより柔らかく見える表情に、小さく笑った。ずいぶん近づいた気がしたから。夜が更けると、冷え込みはきつくなる。けれど、いつもよりぐっすり眠れたのは隣人のおかげだろう。夢の中でもミッターマイヤーはそのことを認識していた。また、ロイエンタールも慣れない場所にもかかわらず、温もりのおかげで一度は深い眠りについた。互いの体温を与え合うように寄り添ったまま、朝を迎えたのである。
「思ったより、寝覚めのいい奴だった。いつもビシッと決めてる髪が寝癖になってたんだ。それで笑ったら、部屋のことを鼻で嗤われた。仕事場と一緒だって…そりゃそうだよな」
ミッターマイヤーは、何度思い出しても楽しい記憶を、細切れにバーテンダーに説明した。話すのに夢中になっていて、向かい合う人が驚いたまま固まっていることにも気づかなかった。
「なんであの晩だけ、酔いが回ったんだろう。体調でも悪かったのかな…」
「…そうかもしれませんね」
「それにしても、今日は来ないのかな…」
何杯目かのグラスを傾けて、ミッターマイヤーは入り口の方を見る。ドアの開閉の音が聞こえるたびに、目か耳で友人の気配を探した。
「…ま、しょうがないか。俺、明日からまた仕事だし、帰るよ」
「……そうですか」
「ずっと付き合わせてごめんよ。食事もありがとう」
「…いえ…またいつでもどうぞ」
作り物ではない笑顔を見て、ミッターマイヤーは少し嬉しそうな顔をした。
2003. 3.14(←この日付/笑)
この連載(と呼べますか?)も
そろそろ一年! ちぃとも進まん…
2003.7.30UP キリコ