GENE


 

 ミッターマイヤーの家に、ロイエンタールは遊びに来るようになった。『ゼー・アドラー』で会う以外は、彼の部屋が新しい会話の場となった。約束もない夜に自分の部屋の前で待っているロイエンタールを見て、ミッターマイヤーは合い鍵について考えた。けれど、それを渡して良い間柄かどうかが、彼にはわからなかった。信用ということではなく、二人の距離が掴めないでいたから。

「ミッターマイヤー、今日はいい物を持ってきた」
 勝手知ったるキッチンへ向かいながら、ロイエンタールはワインを取り出した。今日は、と付け加えるが、彼が手ぶらでやってきたのは最初の酔いつぶれた日だけだ。
「お、今日は白か」
「…お前は味わって飲んでいるか?」
 からかうような口調に、ミッターマイヤーは軽く頬をふくらませた。
「失礼だな、ロイエンタール。俺にはちゃんと味覚はあるし、お前のように底なしではないからな」
 予想通りの反応に、ロイエンタールは小さく笑う。いちいち真面目に取る友人は、からかいがいがあった。
「俺は底なしではないぞ。現に一度は潰れただろう」
「…あの量ならな」
「ならば、俺も世間一般人と何ら変わらないということだな、ミッターマイヤー」
「……どういうことだ?」
 「冗談だ」と呟いて、ロイエンタールはグラスを取りに行く。ごく普通の会話としては、今のは変わった部類に入るのではないだろうか。ミッターマイヤーは首を傾げたが、それ以上追求しなかった。

 酒のつまみらしきものがないのは常で、ロイエンタールにはミッターマイヤーが日頃どうやって生活をしているのかが丸わかりだ。
「お前は料理はしないのだな、ミッターマイヤー」
 特上の白に舌鼓を打ったばかりのミッターマイヤーは、その話に苦い顔をする。
「…まあな。そういうお前はどうなんだ?」
「…俺も全くだ」
 ミッターマイヤーは心の中で閃いた。小さな探りを入れるチャンスだった。
「独り身はつらいな」
「…そうだな…」
 グラスを静かに動かして、ロイエンタールはその液面を見つめている。気負いのない返答は、正直なものに思えた。
「ロイエンタール、お前、結婚は…?」
「…結婚?」
「…その、しないのか?」
 ヘテロクロミアに見返されても、ミッターマイヤーは怯まなかった。
「……一生涯、するつもりはない」
 少し冷たく吐き出された言葉に、そうかと肯くことも出来ず、なぜかと訪ねることも出来なかった。
 しばらくの沈黙の後、ロイエンタールの声は穏やかなものに戻った。
「ミッターマイヤー」
「…な、なんだ?」
「…子どもというのは自然に産まれるものだろう?」
「……ああ、だいたいは」
 ミッターマイヤーはゴクリと唾を飲み込んだ。
「不妊治療なども行われるが、それはただ偶然取られた卵子と精子だ。そうだな?」
「……ああ…」
 性別や髪の色や、その子の罹りやすい疾患や寿命など、わかるはずもない世界だ。ロイエンタールは独り言のように言いながら、ワイングラスを握りしめていた。
「強引に自分の思い通りにしようとすると、どこかで歪みを生じるのだろうな」
「……ロイエンタール?」
 名を呼ばれてハッとした。
 ミッターマイヤーには彼の言いたいことがわからないままだった。けれど、やはりそれ以上の説明もなく、ミッターマイヤーもそれ以上質問しなかった。
 
 二人はどこか気まずいまま、それでも狭いベッドに一緒に入る。酔っていなくてもそれは変わらない。
「なあロイエンタール、狭いだろ?」
「…狭いな」
 そう言っているのに、喉が笑っていた。
 彼が嫌でないのならば、とミッターマイヤーも口だけで笑った。

 

 


2003.10.18 キリコ

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