オスカーとフェリックス
=フェリックス引き取られる=
「フェリックス。落ち着いて聞いてくれ。今日からお前はファーターと暮らすんだ」
突然の、ファーターからのつらそうな言葉を、フェリックスはすぐには飲み込めなかった。
「ファーター?」
「ロイエンタールは、お前の本当のファーターなんだ、フェリックス」
全部を理解するまで、ミッターマイヤーは何度も説明した。そばにはエヴァンゼリンもいる。そして、ソファの向かいには、ロイエンタールと呼ばれる背の高い人がいる。フェリックスは、言葉を理解はしたが、納得出来なかった。たが、大好きなウォルフがそうした方がいいというならば、きっとそうなのだろうと頭から信じられる。自分を邪魔にするような人たちではなかった。ならば、きっとそれが自分にとって最善の道なのだろう、と。
そうして、フェリックスはある日突然、見知らぬ人の息子になった。しかも、お隣さんだった。
その人は、黙っていると、ある種の威圧感のある美丈夫で、真正面から瞳を合わせると引き込まれそうなヘテロクロミアで、自分が彼の息子だと聞かされても、クールで口数の少ない同居人に、フェリックスは当初かなり戸惑った。記憶にはなくても、ミッターマイヤー夫妻の温かい家庭を肌で覚えており、笑い声が絶えなかった気がしていた。
ところが、自分を引き取った父親は、かなり手間暇かけて自分の面倒を見てくれているのはわかるのだが、どうも自分とあまり話さない。そうなると、騒いではいけないのだろうか、と自然大人しくしてしまう。
突然の環境の変化に、まだ幼いフェリックスが戸惑わないはずはなかった。しかし、フェリックスが、オスカー・フォン・ロイエンタールに引き取られて1ヶ月ほど経った頃、どうやらそれが彼らしさであり、自分のことを想ってくれていることを漠然と理解した。
ロイエンタールは、眠りが浅い方だった。ある夜、小さなもの音に、ふっと目が覚めてしまった。父子で住むには広すぎるこの家の中で、物音というと、風や雨、または自分かフェリックスしかなかった。のどの渇きを感じ、階下に行こうとする途中、フェリックスの部屋から小さな声が聞こえた。
「フェリックス?」
ノックもせずにドアを開けると、ふとんがビクリと動いたのが暗闇でもわかった。
「フェリックス? 起きてるのか?」
「…オスカー?」
フェリックスは、掛けふとんからようやく顔をのぞかせた。
ロイエンタールは、息子の枕元に腰掛け、その頬を両手で包み込んだ。そしてそこはおそらくは涙で湿っていた。
息子の小さな頭のてっぺんにキスをしながら、ロイエンタールはフェリックスを抱き上げた。
「どうした? 怖い夢でも見たのか?」
フェリックスはしがみついてきたが、何も答えなかった。
この年頃ならば、何かに怯えることもあるだろう。フェリックスがたとえ気丈であったとしても、眠れない夜もあるだろう。
「そんな時は俺の部屋に来ていいぞ?」
「…ほんと?」
何度も追求せずに、ただキスを贈り、背中を優しくなでる父親に、フェリックスは今、心から甘えていた。
その夜、フェリックスは初めて大きくて温かい腕の中で包まれながら、深い眠りについた。
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自分が眠りに落ちるまで、ずっと何かを話し続けていた父親は、朝になったらやっぱり以前の父親で、二重人格という言葉を知っていたら、そうかも、と訝しむくらいだった。
しかし、ミッターマイヤーとの思い出話を頭の上から聴かせながら、ずっと背中を撫でてくれた腕の感触は、その小さな体に確かに残っていて、ゆうべのオスカー・フォン・ロイエンタールが夢ではなかったことを教えてくれる。―――――もしかして、照れ屋さん?
そう気付いたフェリックスは、ファーターに少し近づけた気がした。
2000.7.7 キリコ
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