オスカー&フェリックス 外伝(?)
ファーターの誕生日
最近激務に追われる父親は、大事な一人息子を最も信用している親友に預ける日々が続いていた。オスカー・フォン・ロイエンタールは、それでも深夜に迎えに行き、少しでも交流を持とうと朝食だけは共にした。一方、息子のフェリックスは、優しいムッターに迎えに来てもらい、家で温かい夕食を食べ楽しんでいたが、仕事で帰ってこない父を心配もしていた。フェリックスも、一緒にいたい、そう思っていたからこそ、言ってはいけないと思っていた言葉を口にしてしまったのだ。
「……オスカー、次のお休みはいつ…?」
父親が朝からでも焼けるようになったホットケーキを口にしながら、フェリックスは言ってるそばから後悔した。しばらくロイエンタールは返事に困ったのか、黙ってしまったことを怒ったと取ったフェリックスはすぐに謝った。
「…ごめんなさい…」
これには、ロイエンタールの方が慌てた。
「いや、フェリックス。俺こそすまない。…もうしばらくは……」
ロイエンタールも俯いてしまった。すまないと思っても、どうしようもないこともあった。ロイエンタールが不真面目な軍人なら良かったのかもしれないが、幸か不幸か、帝国軍内でも真面目で優秀で有能だった。
「お仕事頑張ってね、ファーター」
「……ああ。ありがとうフェリックス…」
父子はほぼ同時にためいきをついた。フェリックスは、5歳になっていた。今でもファーターと呼んでいる養父ウォルフガング・ミッターマイヤー家と行き来するのは変わりなかった。フェリックスにとって、ムッターはエヴァンゼリン一人であり、ロイエンタールのことは「オスカー」とも「ファーター」とも呼んでいた。
ミッターマイヤーは、というと、数年前国務尚書となり、忙しいのは同じだがロイエンタールと同じ仕事とは言えず、フェリックスの面倒を一緒にみていた。毎日この家に来ていて、楽しそうなのに、どこか寂しそうな息子に、ミッターマイヤーは小さな声で話しかけた。
「…寂しいか? フェリックス」
「えっ? ううんそんなことないよ、ファーター」
話しかけられた瞬間は笑顔になるが、すぐに俯いて手にしたコップを持ち直したり、落ち着かない様子だった。
「ロイエンタールは人の上に立つ軍人なんだ。わかってやってくれよ…?」
「…うん……」
頷きながらも、子どもが大人の事情を素直に納得するとはミッターマイヤーには思えなかった。遊びたいさかりなのだ。フェリックスは、父親であるロイエンタールと一番共にいたいと思っていることが、ミッターマイヤーにはよくわかった。
ミッターマイヤーは、困ったように笑顔を浮かべながら、話題を変えることにした。
「…そういえば、もうすぐファーターの誕生日だな」
「えっ?!」
フェリックスは、演技でもなんでもなく、両目を見開いて驚いた。この反応には、ミッターマイヤー自身も驚いた。
「フェリックス?」
知らなかったのか、とは聞けなかった。だが、本当に知らなかったのだろうと誰にでもわかるくらい、フェリックスは驚いていた。
「そうなの? もうすぐ誕生日? オスカーって、いくつになるの?」
「さあな。ファーターに聞いたらどうだ?」
フェリックスは、しばらく考え込んでいた。手を顎に乗せて、「考えてます」というポーズで考えていた。ミッターマイヤーは、息子の成長が目に見えてわかり、おかしかった。
「……ダメ。ファーターには聞けないから、教えてファーター! でね?」
フェリックスは、ミッターマイヤーの耳元にヒソヒソ話のように囁いた。周囲にはミッターマイヤーとフェリックスしかいないのだが、内緒話は耳元へ、とフェリックスは思いこんでいた。
話し終えた息子の顔を見つめながら、ミッターマイヤーは少し躊躇った。
「…ほんとにやるのか? フェリックス?」
「協力してよ、ファーター!」
ミッターマイヤーは、フェリックスがこんな短い時間にそこまで思いついたのか、と頭の回転が速い様子に感心しつつ、親友を心配した。
ロイエンタールの誕生日の前日、まだ忙しい日々を送っている父に、フェリックスは反抗し始めた。深夜、迎えにいっても「帰らない」と言い張ったのだ。
「もういいよ! オスカーなんて知らない! 俺、ファーターといる!」
反抗期の子がよく口にする、「余所の家の子になる」というセリフだけは、フェリックスは決して言わなかった。それくらい考えられる、かしこい優しい子だった。
そんなフェリックスも、毎日毎日週末ですら会えない父についに切れた。
「…フェリックス…」
その声は、そばで聞いていたミッターマイヤーですら聞いたことのないような、落ち込んだ、ショックを隠しきれない口調だった。ロイエンタールに出来る精一杯のことをしてきて、それを否定されたとき、生き甲斐をなくしそうなロイエンタールの目の前は、真っ暗になりそうだった。
戸口のところで立ちつくした親友に、ミッターマイヤーは出来るだけ優しく声をかけた。
「ロイエンタール? その、フェリックスはちょっと今気が立ってるんだ。本心じゃないさ。だから、考えすぎるなよ? と、取り敢えず今日は家に泊まって、明日の朝また来いよ……な?」
フォローになっているだろうか、と必死に考えて言葉を選びながら、ミッターマイヤーは一気に話しかけた。
「……ああ…すまないが、頼む…」
無理矢理小さな笑顔を作ろうとしたのか、かえっておかしな表情になっている親友がますます哀れに感じたと同時に、最後の「頼む」が以前聴かされた「頼む」に似ている気がして、ミッターマイヤーは少し焦った。ロイエンタールは、通い慣れた暗い道を一人で歩いていた。家の中に入っても、トボトボと歩き、軍服を脱いでソファにかけても、怒ってくれる息子がそばにいないことを実感し、寂しさでふて寝しようと2階に上がった。
部屋の入り口ですぐに電気をつけると、質素なはずの自分の部屋がやけに明るい、というよりはけばい装飾がされていることに気づき、一瞬呆然となった。ここは、自分の部屋のはずだと確認したくて廊下を振り返ったとき、そこに、先ほどまで怒っていた息子が立っていた。
「…フェリックス…?」
「ファーター。かがんで」
わけがわからない状態で、今最もよくわかる指示に素直に従った。
フェリックスはロイエンタールの顔を小さな両手で包み、口付けた。
「お誕生日おめでとう! ファーター!」
そういって、満面の笑みを至近距離の父親に送った。
「…誕生日……?」
そういえば、自分の誕生日だったか、とようやく気づいたロイエンタールは、息子を抱き上げて部屋に入った。本当に自分の部屋だろうか、と何度も疑問に思うそこは、壁中派手な装飾品がつるされ、ナイトテーブルに小さなケーキが乗っていた。そのケーキには、大きさに合わない数のローソクが乗せられ、ちゃんと火がともっていた。飾りはよくみると、すべて手作りで、おそらくは子どもの手によるものだとわかり、フェリックスが作ったのだとわかる。だけどどうやって飾り付けたのか。たぶんケーキのデコレーションもそうで、クリームが曲がって大きさもバラバラだった。火は危ないから、と使わせないでいる。
ミッターマイヤー夫妻の協力の元だ、とようやくロイエンタールは気がついた。
「……ファーター? 怒ってるの?」
黙ったままの父親が、部屋を勝手に変えたことを怒っているのかと心配したフェリックスが、肩口からのぞき込んできた。ロイエンタールは自然と笑顔になり、そんなことはない、と頬にキスを贈った。
「よかった! あのね、このケーキね、ムッターと作ったの。でもね、ローソクは俺が立てたの。ちゃんとお歳分ね!」
そういってフェリックスは数え始めた。
「あ、フェリックス。いいんだ、俺の年齢は……」
「……なんで?」
「それより、なんで部屋に飾り付けを? お前、今日帰ってくるの、嫌がったじゃないか…」
心臓が凍るような思いをしたことを、指摘しておきたかった。ロイエンタールとしては、二度と聴きたくない言葉だったのだ。
「…だってファーター……」
「だって、と言ってはいけませんといつも言ってるだろう?」
「…はい。でも、ファーター、ファーターのお誕生日、教えてくれなかったもん…」
「誕生日か…」
「俺がここに来てから、俺の誕生日ばっかりお祝いして! 気づかなかった俺もバカだけど、ファーターにも誕生日があるって…。でも、なんで教えてくれなかったの…?」
「あーいや、深い意味はないんだ」
ロイエンタールは、真剣な質問の答えが、ばかばかしいものであることを申し訳なく思って、ついに言えなかった。もっとも、この答えは、ミッターマイヤーがもしかしたら、と教えてくれてはいた。ロイエンタールは、自分の誕生日をしょっちゅう忘れていた、と。
とにかく、お互いの怒りがおさまった二人は、真夜中を過ぎた時間にケーキを食べた。
「ねぇファーター?」
フェリックスは、クリームを顔につけながら、隣に座る父親を見上げた。
「ん?」
「ファーターにも、俺くらいのときがあったの?」
「……ああ」
「そのとき、お祝いしてもらった……?」
「……さあどうだったかな…」
ロイエンタールは、産まれてきたことを歓迎されなかった過去を思い出した。そして、フェリックスには何があっても話さないと決めていた。
「フェリックス、昔の写真見るか?」
「あるの?」
フェリックスは嬉しそうに立ち上がった。小さなファーター、というのに興味はあったが、どんなに想像しても、今の顔に小さな体をつけた父しか思い浮かばなかったのだ。
父親の膝の上で、フェリックスは映し出された立体映像装置の中央を見つめていた。
「…これが、ファーター?」
「ああ。7、8歳くらいかな」
体格は、自分と似ている気がしないでもないが、顔が似ているとは思えなかった。その小さなファーターが、笑顔ではなかったからかもしれない。そのことについて、フェリックスはなんとなく尋ねることは出来なかった。
「この頃も、ヘテロクロミアなんだね?」
「…産まれたときからだ。フェリックス」
「ふ〜ん。俺も大きくなったら、ファーターみたく綺麗なヘテロクロミアになれると思ったのに…」
口を尖らせて、子どもらしい発想を言うフェリックスに、ロイエンタールは自然と笑顔になった。自分ではこの瞳は呪われたものだとずっと、そうこのローソクの数だけ思ってきたが、大事な息子がそういうならば、それも正しいのかもしれないと思うことにした。フェリックスが綺麗と言ってくれるなら、明日から自分もそう思えるかも、とロイエンタールはフェリックスの頭のてっぺんに口付けた。
フェリックスは、かなり眠くなってきているようで、父親の膝の上で体が崩れてきていた。
「ファーター、あのね、これからはね、ファーターが忘れても、俺が覚えててあげるから… 俺が必ず祝ってあげるからね…… だから、だいじょ、うぶ……」
「フェリックス?」
上から話しかけても、もうむにゅむにゅという声しか聞こえず、しばらくしたら静かな寝息が聞こえてきた。ロイエンタールは小さな体を自分の広いベッドに横たえ、その横に寄り添うように滑り込んだ。
その小さな体は、ここに来たときよりはるかに大きくなって目の前にいる。同時にその存在というのもますます大きくなってきており、ロイエンタールは手放せない大切な宝物を抱きしめた。
「…ファーター?」
寝ていたと思ったフェリックスが、目を開けずに呼びかけてきた。
「…なんだ? フェリックス?」
「明日は、早く帰って来てね…? お誕生日だから…ね?」
「…ああ。約束する」
小さいと思っていた息子は、反抗、という演技も出来るくらい大きくなり、同時に気遣いもしてくれる。疲れているだろうと心配してくれると同時に、かわいい注文をつけてくれる。ロイエンタールは顔に笑顔を浮かんでしまうのを止められないまま、すぐに眠りに落ちていった。こんなに静かで穏やかな気持ちで、自分が産まれた日を過ごせたのは、これが初めてだと感動しつつ。
2000.10.23 キリコ