オスカー&フェリックス
Alles Gute zum Geburtstag
変わりやすい秋の空が珍しく快晴となるらしいその日、オスカー・フォン・ロイエンタールは休日にも関わらず、発生したトラブルをチェックしに元帥府に向かった。急なことだったため、一人息子であるフェリックスを隣人であり、親友であるウォルフガング・ミッターマイヤーに預けることになった。
「すまない、こんなときに」
ロイエンタールは小さな手を引き、親友にまず言った。ミッターマイヤーの妻であるエヴァンゼリンは切迫流産の恐れがあるために入院しているのだ。
「いや、朝から面会というのも嫌がられるからな。卿が帰ってきたら行くよ。それよりも、休日にご苦労なことだな」
親友の気遣いや労いに、返すべき言葉も見つからず、ロイエンタールはすぐさま出府した。「さて、フェリックス。何をして遊ぼうか?」
ほんの数ヶ月前までは、フェリックスはこの家の子だった。ミッターマイヤーの養子だった。実父に引き取られた後も、頻繁に出入りしているこの家で、フェリックスは遠慮しなかった。まだその言葉を知らなかったのかもしれない。そして、気を遣いすぎているのはミッターマイヤーの方だった。
「ファーター、散歩に行こうよ」
「ああ…そうだな。いい天気だし」
勢いをつけて、わざとらしい大きな声を出す。ミッターマイヤーは、久しぶりにフェリックスと二人きりになって、ほんの少し緊張していた。
しかし、わずかなぎこちなさは、あっという間に取っ払われるほど、この父子も仲が良かった。
ロイエンタールが帰宅したのは、まだ午後の日差しが緩くなり始める頃だった。軍服のままで親友宅に立ち寄ると、庭の方から声がした。
「ロイエンタール? おかえり。着替えて来いよ」
「オスカー、きかえて〜」
機嫌良さそうな二人の声に、ホッとしながら素直にその言に従った。フェリックスが遊んでいるのを中断しようとは思わなかったからだ。
シンプルな綿のシャツ姿で庭に入ってきたロイエンタールに、二人はどろんこの顔をして笑顔を向けた。
「ミッターマイヤー… 卿のそんな顔、初めて見るぞ…」
彼らは、養子のために作られた砂場の中で、泥遊びをしていたのだ。そして、服だけでなく、顔や髪にまで泥が飛んでいる。フェリックスにいたっては、泥が付いていない部分の方が少なかった。
「あ、そうだったっけ? 俺は結構こうやって遊んでたんだけどな」
「…フェリックスは…泥遊びが好きなのか?」
「好きーー!」
どろんこの笑顔で、はっきりと言う。けれど、父はそのことを初めて知った。まだ砂場を作ってほしいなど頼めるような父子ではないのか、とほんの少し寂しく思った。
「ロイエンタール、勇気を出して触って見ろよ。一度汚れてしまえば後は同じさ」
病院に電話してくるとミッターマイヤーは立ち上がり、自分がいた場所、フェリックスの向かい側に親友を座らせた。
ロイエンタールは彼らのように泥の中に座ることにかなり躊躇い、また取り敢えず腕をまくったが、指先以外は泥に触れようとしなかった。彼は、このような遊びはしたことはなかったのだ。
「オスカー?」
とにかく泥をこね回す息子は、自分と全く遊ぼうとしない父に不満そうな声を上げた。
「フェリックス、楽しいか?」
「うん。はい、これ」
本当に楽しそうに、フェリックスはロイエンタールの手に泥を乗せた。一瞬ウッと驚いたロイエンタールだったが、触ってみると特別怖いものでもなく、どうせ手を洗うなら、と開き直ることにした。
ようやく泥の中に腰をつけた父に、フェリックスは満足そうな笑顔を向けた。
「あのね、今ね、おみせやさんしてたの」
「おみせやさん?」
「うん、ボクがね、おみせやさんでね、ファーターは買う人なの」
「…何を売ってるんだ?」
「オスカー、買う人する?」
「あー… わかった。で、お店には何があるんだ?」
「んとね、おだんご」
しゃべりながらも、ずっと泥をこねくり回し、小さなボール状に丸めていた。なるほどこれがだんごか、とロイエンタールは少し感心した。
「あー… おだんご3つほしいんですが、おいくらですか?」
作り声で、躊躇いながら、小さく尋ねる。フェリックスは嬉しそうに答えた。
「おきゃくさま、おうちようですか、プレゼントですか?」
たどたどしくても、しっかりした発音に、どこで習ってくるんだろうとロイエンタールはまた驚いた。
「あ…じゃ、プレゼント用にお願いします」
「かしこまいまいた」
ほんの少しおかしな言葉になったが、黙々とプレゼント用の泥団子をこねる。どうやらこれまでのより大きめらしい。
「おまたせしました。オスカー、手出して」
「…こうか?」
両手ですくうように、柔らかい泥を受け取った。
「えとね… Alles…zu…?」
「……Alles Gute zum Geburtstag…か?」
「そう! ファーターに教えてもらったの。オスカーに今日言わなきゃって」
「…フェリックス、意味はわかるか?」
「オスカーが生まれた日でしょう? ボクのときもケーキ食べたってファーターが言ってたの。オスカーのケーキ、ファーターと買いに行ったんだよ」
誕生日という意味を、まだ小さな息子は理解していないかもしれない、ロイエンタールはそう思ったが、自分の身内で自分の誕生を祝ってくれたのは、フェリックスが初めてだった。息子からの予期せぬ祝いの言葉に、ありがとうを言うのを忘れるほど感激していた。
「オスカー?」
「あ…いや、ありがとう、フェリックス」
泥だらけのフェリックスを抱き寄せて、泥の付いた額に口づけた。喜んだフェリックスは、自分の状態も忘れて父に抱きついた。そんな父子の様子を、ミッターマイヤーは部屋の中から見守っていた。
「さ、エヴァのところに行こうかな」
安心と寂しさとが混じったため息をつきながら、ミッターマイヤーはそっと玄関へ向かった。その後すぐに、ロイエンタール家に砂場が作られた。
2001.10.22 キリコ