クルト

「ミッターマイヤー、今晩飲みに来ないか。」
 朝、ミッターマイヤーの執務室に現れたロイエンタールはいきなりそう言った。
 誘っているというよりは、決定事項のように有無を言わせない雰囲気だった。
 例の事件以来、それぞれ忙しく、ゆっくり飲む暇もなかった。
 ミッターマイヤーが黙ったままでいると、ロイエンタールは「夕刻迎えに来る」と、結局返事を待たずに踵を返して、さっさと執務室から出ていった。
「・・・おいっ、ロイエンタール!」
 朝のあいさつが今日はまだだぞ、と言いかけて別にわざわざ確認しなくても、ロイエンタールが忘れてるならそれでいいじゃないか、とミッターマイヤーは自分に言い聞かせた。
”それにしても例の事件が解決してから2週間か。あいつがあいさつを忘れたことは
なかったのに・・・。どうしたんだ?”
 なんのかんの言って、あいさつがすっかり習慣になってしまっていたミッターマイヤーであった。

 午後一番のメールチェック時に、ミッターマイヤーは一通の手書きのメールを見つけた。
今時珍しいな、と思いつつ読み始めた。

 夕刻、執務終了時間ぴったりにロイエンタールが迎えに来た。
 仕方なくミッターマイヤーも執務を切り上げ、帰り支度をした。
「今日はあの別荘に行く。その前につきあってもらいところがある。」
「・・・どこへ行くんだ?」
 ロイエンタールは黙ったまま車を走らせていた。
 30分以上走っただろうか、ようやく車は郊外の静かな墓地についた。
 ミッターマイヤーは少なからず驚いた。ロイエンタールは黙ったまま先をずんずん歩いていき、やがて真新しい墓碑のそばで立ち止まった。
 ロイエンタールがいつまでも黙ったままなので、ミッターマイヤーは話しかけるタイミングを失い、ただロイエンタールの横からその墓碑銘をみた。

『クルト・アイゼンフート』

 ミッターマイヤーはロイエンタールが口を開くのを待った。
 ロイエンタールはじっとその墓碑を見つめていた。
 やがて静かに話し出した。
「あの別荘の管理人だ。おとつい突然自宅で亡くなった。」
 ミッターマイヤーは「そうか」と答えただけで、他には何も言わなかった。
 それからまた、しばらくの間ロイエンタールは墓碑をその金銀妖瞳で見つめていたが、ミッターマイヤーには、それは話しかけているような瞳に見えた。
 ミッターマイヤーも言葉にはしなかったが、心の中でミッターマイヤーなりに話しかけた。

 別荘は手入れする人もいなくなったというのに、まだ整然としていた。
「ここをどうするんだ? 誰かに管理してもらうのか?」
 ミッターマイヤーは尋ねたが、ロイエンタールは墓地を離れてからほとんど話さない。
 買ってきた軽食を肴に飲み始めたが、ただ黙々として、お互いピッチが上がっていった。たぶん二人とも相当飲んだであろう。珍しくロイエンタールの方が先につぶれた。
 ミッターマイヤーは「こんなところで寝ては風邪を引くぞ」との忠告むなしくソファに崩れてしまった美しい友人を、再びベッドに運んでやった。
「重いな。」
 そう言って例の事件のことを思い出した。
”あの時は管理人と相談して、あれがベストと思ってやったっけな・・・”
 ドサリと重い友人をおろし、ベッドから降りようとしたが、ロイエンタールの腕が袖をつかんで離さなかった。
「おい、また寝たふりか?」
 そう聞いてみたが特に反応はない。
”本当にあの時はいったいいつから起きていたんだ? 薬が効かなかったはずはないんだが・・・?”
 仕方なくミッターマイヤーはロイエンタールの隣りに潜り込んだ。

 肩肘をついて、眠る友人を見つめ、あいかわらずキレイだよな、などと考えていた。
”前はこの顔を見ながら子守歌を歌ったけな。エヴァにも歌ったことなどなかったのに。”
 あの時自分はなぜ子守歌を歌ったのか。歌を歌っても良かったが、なぜ子守歌だったんだろう。
 それはロイエンタールがきっと歌ってもらったことがないと考えたから・・・。
 ミッターマイヤーはまたロイエンタールの髪を梳いてやった。
 まるでそれはいい子いい子しているようだった。

「・・・クルトもな・・・」
 突然ロイエンタールが話し出してミッターマイヤーはまた驚いた。
”あの日と同じような日だな、今日は・・・”
「あの管理人がどうしたって?」髪を梳く手を止めずに聞いた。
「・・・今の卿を同じことを・・・してくれた。先日の卿と同じように、子守歌を歌ってくれた」
 ミッターマイヤーは黙ったまま、ただ手を止めなかった。
 ロイエンタールは目を閉じたままだ。
 やがて一筋、目尻から美しい涙が流れた。
 ミッターマイヤーはあまりの驚きに手を止めた。
”ロイエンタールが泣いている!?”
 そのまま静かに涙を流しているロイエンタールを見て、ミッターマイヤーも自然と涙があふれてきた。
 上から滴がロイエンタールの頬に落ちてきて、ロイエンタールは口の端で笑った。
「卿はお人好しだな。そんな卿だから、クルトは・・・」
 ようやく金銀妖瞳が開き、グレーの目を見つめた。
 ロイエンタールはもう泣いていなかったが、ミッターマイヤーの方は止まらない。
 3色の瞳は見つめ合ったまま、やがて自然と唇を重ねた。
 これ以上、言葉は双璧には必要なかった。


 軽いまどろみのあとミッターマイヤーの方が先に目が覚めた。
 ミッターマイヤーはもう一度眠ることが出来そうにないと考え、シャワーを浴びに起きあがった。
 シャワーから戻ってもその友人は起きていなかった。ミッターマイヤーはそう思ったのだが。
 グラスを取り、窓辺に近づいた。
 ミッターマイヤーは昼間の手紙を思い出した。

『ミッターマイヤー閣下。 
 
 先日の事件のおりには私の勘違いのために旦那様とのご友情に亀裂を生じさせるようなことをし、
 大変失礼いたしました。改めてお詫びさせていただきたいと思い、お手紙を差し上げました。
 閣下にはすでにご存じであられるとお見受けしましたが、旦那様はご幼少の頃より寂しさを
 他の方より多く味わっておいでだったと私は思っておりました。
 旦那様がまだお小さくてお母上様が生きておられた頃から、旦那様はこの別荘に来たがって
 おいででした。自分で言うのもおこがましいようですが、私には懐いて下さってました。
 それが奥様がお亡くなりになられ、その後幼年学校に進まれてからはほとんどこの別荘にお顔を
 お見せ下さいませんでした。
 私はそのお姿がおいじらしいと申しては失礼にあたうかもしれませんが、ますますお寂しさを
 ご自分の中に取り込んでいらっしゃるような、そんな気がしておりました。
 ですが、ミッターマイヤー閣下。あなた様と会われた後の旦那様は変わられました。 
 いえ、元に戻られたと申しましょうか・・・。雰囲気が和らいだようにお見受けしました。
 閣下のおかげでございます。ありがとうございました。
 旦那様をお疑いしてしまったこの私を旦那様は首にはなさいませんでした。
 私のことで思い出したことがある。思い出したのは閣下、あなた様のおかげだ、と。
 私は旦那様によく歌を歌って差し上げました。そのことを思い出されたのでしょうか。
 どうか閣下にはこれからも旦那様の良きご友人でいていただきとう存じます。
 随分長々としてしまいました。これにて失礼いたします。
 これからも旦那様をお願いいたします。
                       
                               クルト・アイゼンフート』


”お前に「旦那様を頼む」と言われたのは何回目かな。クルト。
 お前はこうなることをわかっていたのか・・・。自分の死期が近いことや俺達のことを・・・。
 俺に何ができるかわからないが、俺はロイエンタールを裏切らない。
 守れるなら可能な限り精一杯守らせてもらう。だから安心して眠れ。クルトよ。”

 ミッターマイヤーは真っ暗な空を見上げながら、そう誓った。
 いつの間にか隣りで金銀妖瞳が同じ空を見つめていた。
 その美しい横顔にもう一度さっきの誓いをしながら、
「眠れないなら子守歌を歌ってやろうか?」
 ロイエンタールはミッターマイヤーにキスしながら
「もう少しオンチが直ったらな。」
「なっ!!!もう絶対歌ってやらん!!!」

 そんなやりとりをしながら、双璧はまた眠りについた。
 ヴァルハラでクルトがこの双璧を見ていたら、安心して眠れることであろう。

 


1999.4.29 
再アップ2000.7.7

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