夢の番人
「バルハラの門扉、うち破るを能わず。我現世に足をとどめたり。」
ミッターマイヤー元帥からの通信文だった。
指揮官の生死は戦況に大きな影響を与えることがあり、常に総司令部に報告する必要があった。
やがてミッターマイヤーは総旗艦ブリュンヒルトに移乗してきた。
シュタインメッツの元帥昇進とフロイライン・マリーンドルフの幕僚総監の話のあと、ミッターマイヤーはカイザーラインハルトに休んでいくように申し渡された。
カイザーの元を辞したあと、双璧は無言のまま寝室へ向かった。
「・・・服むか?」
先にロイエンタールが口をきいた。
「・・・そうだな。今日はそうするよ・・・」
ミッターマイヤーはカイザーの前では毅然としていたが、疲れているのは明らかであり、二人きりになったことでますます疲れが顔にでてきた。最前線でほとんど不眠不休で神経をすり減らし、なおかつ指揮官は常に冷静さを求められる。今回ミッターマイヤーは旗艦にまともに攻撃を受けたが、その衝撃は旗艦同乗者すべてに平等の恐怖をもたらしていた。しかし指揮官であるミッターマイヤーは動揺してはならなかった。上官の動揺は部下に伝染するのである。ゆえに戦闘開始からカイザーの元を辞するまで、ミッターマイヤーは気を張り続けていたことになる。
その緊張がやっと抜けるのである。しかし、張りつめていた神経がそう簡単に休まるはずもなく、体力的にはすでに限界にきているため、無理矢理身体を休めるために睡眠導入薬を服用するのである。
最前線に出る軍人にとって、戦場でまともに眠れないのは、誰もが同じである。臨時の短い睡眠はタンクベッドで良かったが、戦闘中または直後は眠ろうと思っても眠れないのである。そのため、戦場に出る軍人は睡眠導入薬を常備していた。
食事もそこそこにミッターマイヤーはベッドに倒れ込んだ。
『あいさつ』もする暇も、「お休み」という暇もなかった。
ロイエンタールはその陰のある寝顔をみながら思った。
”ミッターマイヤーのいない世界・・・? そんな世界は俺が生きている価値のない世界のことだ。・・・頼むから心配かけないでくれ”ロイエンタールはミッターマイヤー死去の連絡を受けたとき、自身が卒倒するかと思った。
かつてミッターマイヤーも同じようなことを考えていたことをロイエンタールは知らなかったが、お互いわざわざ口にしなくても、そう感じていることを肌で理解していた。
柔らかい蜂蜜色の髪をひとなでし、額に触れ、温かい体温を感じ、ミッターマイヤーが生きていることを自分に納得させてから、ロイエンタールは部屋の灯りを消し、ソファに転がった。
ぐっすり眠っていたようだが、うめき声に目が覚めた。ミッターマイヤーの声だ。
「・・・うぅっ・・・・!!!」
ロイエンタールは飛び起きて、ミッターマイヤーのそばに駆け寄った。
額に脂汗を浮かせ、目尻からは汗とも涙ともわからないものが流れていた。
「うわああああぁぁ!!!」
身体を反らせながら、ミッターマイヤーは叫んだ。
悪い夢なら見ない方が良い。ロイエンタールはミッターマイヤーの肩をつかんで揺さぶった。
「ミッターマイヤー! ウォルフッ!」
大声で、しかし優しさを含んだ声で呼びかけた。
呼びかけられた方は、グレーの目をカッと見開き、身体をビクつかせ、起きあがった。
真正面の壁を見つめ、肩で呼吸しながら、自分の置かれた状況を理解しようとしていた。
”・・・夢か? 今のは・・・”
そして、ここはブリュンヒルトの中であり、自分は最前線から離れたことをぼんやりと思い出した。それからやっと自分の背中を撫でている温かい手に気がついた。
振り返ると優しいヘテロクロミアがそこにあった。
ミッターマイヤーは、ほぅッとゆっくり息を吐き出した。”自分は安全な場所にいるのだ。ロイエンタールがいる。彼が自分を守ってくれている”
そう思うと、一気に身体の力が抜けていき、再びベッドに倒れ込んだ。
ロイエンタールはゆっくりと汗を含んだ柔らかい蜂蜜色の髪を梳いてやった。
ミッターマイヤーは目を閉じたまま、されるままになっていた。しばらくどちらも何もいわなかった。
ミッターマイヤーがどんな夢を見てうなされていたか、聞かなくても最前線に出たことのある軍人ならわかっていたからであり、わざわざ思い出させるようなことをロイエンタールは聞かなかった。
またミッターマイヤーもなぜここにロイエンタールがいるかなど、聞かなくともわかっていた。
ミッターマイヤーはベッドの縁に腰掛けているロイエンタールの膝に頭をのせた。
ロイエンタールは髪を梳いたまま
「汗をかいているな。シャワーを浴びるか?」
そう小さく聞いた。ミッターマイヤーは首を横に振った。
「このままでいい。・・・このままがいい・・・」
語尾の方はだんだん小さくなっていったが、ロイエンタールにはよくわかった。
「・・・もう少し眠れ、ウォルフ」―――”俺はずっとここにいるから”
「ん・・・」
ミッターマイヤーはもぞもぞ動き、上に向き直り、
「おやすみ、オスカー」
ロイエンタールの顔を見ながら言った。
ミッターマイヤーはそのグレーの瞳を開いたまま、近づいてくるヘテロクロミアを見つめていた。
「・・・おやすみ、ウォルフ。・・・良い夢を」
ミッターマイヤーの寝顔を見ながら、ロイエンタールは蜂蜜色の髪をすくのを止めなかった。
戦場に出る者にとって、夢は悪夢でしかない。
また、最前線に出る者を見送ることは永遠の別れとなる可能性も大きい。その覚悟は軍人となったときに決めていたはずだ。もともとロイエンタールは物事に執着する方ではなかったが、今のロイエンタールには大切なもの、失いたくないものができてしまい、人が人を心配する、という感情がようやくわかってきたのであった。
そして、その大切なものが少しでも安らかに眠れるように、
その失いたくないものの目覚めが爽やかであるように、
ロイエンタールはこの愛しいものの夢の番人になっている。
1999.5.19
再アップ2000.7.7