ROOTS
ROOTS:根元、基礎、祖先など
「」が日本語、『』は英語です。
ややこしくてすみません。
流川のアメリカ行きを不思議がる者は、湘北高校バスケットボール部内にはいなかった。おそらく、県内でバスケットをする高校生も、何の疑問にも思わなかっただろう。そのくらい、彼の技術がずば抜けたもので、「彼ならばアメリカでも通用するのではないだろうか」と思わせるものがあったから。
誰とも連絡を取らない流川は、まるで行方不明者だった。安西監督を含む、一部の湘北バスケ部のメンバーですら、生存中だろうくらいしか確認できなかった。流川楓の名が日本に響くときは流川が有名プレイヤーになったときだ、と誰もが無意識に考えていた。その勤勉さが変わるとも思えず、心配しつつも、誰も無理に連絡を取ろうとしなかった。
そして、流川がアメリカに行って2年。19歳の春だった。
突然その名が日本のニュース番組に登場した。その名を知るものは日本全国にいたが、身近な関係者は誰よりも驚いていた。それが、もろ手を上げて喜ぶべきことだとわかっていても、首をかしげる方が自然だと思われたからだ。
その報道は、流川楓の入籍についてだった。
◇ ◇ ◇
湘北高校が創立30周年を迎えた翌年、バスケットボール部はちょうど30年目となった。最年長の部員は、今の日本を引っ張る世代で、昔を懐かしむ年代でもある。バスケット部の同窓会の話が持ち上がったのは、彼らからだった。
20年ほど前、安西が監督として着任して数年後、その部員たちはインターハイに出場した。それは、先輩たちとっても誇りとなることで、直接お祝いを言いたいのもあった。上下の繋がりを求めるのは、体育会系の性なのかもしれない。
3月という、どの会社も年度末で忙しい時期、その同窓会は実現した。
「赤木のダンナ!」
懐かしい呼び名に、赤木と隣の木暮は振り向いた。壮年期、働き盛りの彼らは、彼らの生活も変化する頃だ。けれど、久しぶりに顔を合わせると、その気分は高校生のノリだった。
「おい、俺にも挨拶しやがれ」
三井が偉そうにいう。相変わらずスラッとした体型で、彼が最も変化が見られない部員かもしれない。
「三井サン…なんていうか、変わってないッスね…」
そういう宮城も、ピアスは今でも耳で光っている。おしゃれなのは相変わらずだ。
「あら…みんなお揃いで」
当時から大人っぽい仕草の彩子と、今でもキャピキャピ言いそうな晴子がともに現れた。そこへ、安田や桑田たちも加わった。
自然と同年代で集まってしまうのは、仕方のないことかもしれない。
特に待ち合わせしたわけでもなく、あのインターハイメンバーが揃い、会場へ向かった。受付では年輩のバスケ部員とその手伝いが出迎える。男子バスケットボール部だけというのもあるが、女性の姿はほとんど見なかった。
その受付で誰もが驚いたのが、どこから見ても白人の若い男の子がいたことだ。誰かの息子なのだろうか、とそこを通った人は不思議に思う。あまりにもその場にそぐわない爽やかさは、周囲と同じような長身であっても消えていない。モデルと言われても誰も疑わなかっただろう。
「…赤木…さん?」
その少年が、赤木を見上げた。その薄い茶色の瞳を大きく見開き、驚いたように動かなくなった。木暮や三井がその名札を見たが、まるきりカタカナで、誰の記憶にもない。けれど、彼は、次々と彼らの名を呼んだ。
「木暮さん、三井さん、宮城さん…あ、アヤコさん、晴子さん…ですね?」
まだまだ続いた。なぜ顔と名前がわかるのか。
赤木が尋ねる前に、時間となり会場に押しやられてしまう。その少年も名残惜しそうに彼らを見送った。
「ねえ、今の子、知ってる?」
「……知らない」
というのが、その年代のメンバーの答えだった。
「背は高いけど、まだ子どもよね…。もしかして、誰かの子ども?」
鋭い彩子が顔を見渡すが、誰もが首を傾げるばかりだった。
では、今この場にいないメンバーの子なのだろうか。
「彩子さん、もう少し先輩のお子さんじゃないですか?」
「……そうね…あの年齢だものね…」
なんとなく詮索を止めて、彼らは歴代のバスケット部員と会話を楽しんだ。インターハイに出場した彼らは、当然注目の的だった。
「今更だけど…流川は? 桜木花道は?」
彩子はやっと気付いたという風に問うた。
「あれ…あいつらって、アメリカ?」
「えーっと、確か日本に帰ってたような…」
「…あんだよ、あいつらはセットなのか?」
三井にはいろんな情報が飛び交う中で、彼らが一緒に行動しているようにしか聞こえなかった。実は、部員の誰もそれほど詳しいわけではなかったが、彼らがともにNBAに所属していたことも、同時に引退して日本に戻ったことも、知っていた。ただ、日本にいることはわかっていても、会ったことはなかったのだ。
「あの…」
円陣を組むように話していた面々は、その小さな声に振り返った。遠慮がちだった声の持ち主は、先ほどの受付の美少年だった。
「あの、今、流川楓と桜木花道の話をしていましたか?」
顔に合わない流暢な日本語に、一同はポカンと口を開けた。
「え……あ、ああ、そうだ。……君は?」
真っ先に冷静さを取り戻した赤木が、元キャプテンらしく聞く。
「あ、お…ボク、流川楓の息子です…」
ペコリと深々とお辞儀する少年は、非常に礼儀正しかった。それに対する大人たちの反応は、驚きで何も言えないという、かえって失礼なものだった。
しばらく物珍しそうに見られ、代わる代わる自分に近寄る大人に、さすがに少年もたじろいだ。その沈黙の後、会場に絶叫がこだました。
「そういえば、いっちばんに結婚しやがったよな…流川のヤロウ」
会場の隅っこで、少年はウーロン茶を抱えていた。囲まれて、凝視されて、コップから視線が外せなかった。彼は父ほど無神経ではないらしい。
「えっと、父は今は東京にいます。俺は4月から湘北高校の生徒になるので、今日はお手伝いで来ました。俺は今おばあちゃん家にいるんで…」
「ってことは、流川はお母様と?」
「…いえ…花道がいます」
二人で住んでいるということも、全員には驚愕だった。
「…そんなに仲良かったか? あいつら…」
「ケンカばかりしてた気もするけど…なあ、赤木?」
「…そうだな…」
「俺…父と花道の昔のこと聞きたくて、今日皆さんを探してました」
三井はその謙虚な物言いを、肩に体重を乗せることで止めた。
「おう、待て。俺らン方が、オメーに聞きてーことばっかだよ」
「……なんですか? 三井さん」
「…いったいいつから一緒にいやがるんだ…」
その質問に答える前に、少年は首を傾げた。
「えっと……俺の母さんが亡くなったとき…だから、俺はうんとちっちゃくて……でも気が付いたときには家にいましたけど…?」
「ああ…そういえば、ニュースで見たよ…。流川の結婚もニュースで知ったんだ」
昔からそういう人だったのか、と少年は楽しそうに笑った。
「お前よ、タッパあるけど、バスケ、やんのか?」
「…もちろん」
「父親の影響か?」
三井は自分で口にしながらも、流川に「父親」という言葉が合うとは思えなかった。
「…いえ…どうかな…アメリカでは自然にバスケットやってましたから…」
「で、なんで湘北なんだ? アメリカ帰り、ってのも変だが、レベルが違うだろ?」
少年は穏やかに笑って俯いた。
「…そうかも…でも、楓もそうだったから…」
「……何が?」
「どこでプレーしても一番になる、というような感じでしょう?」
流川の高校時代を知る面々は、お互いの顔を見合わせる。確かに、流川がこの高校に入学してきたのは、誰にとっても驚きだった。けれど、大きなプラスだった。
「あの、花道が、高校に入ってからバスケを始めたって…ホントですか?」
部員はまた同じように顔を見合わせたけど、それはすぐに苦笑に変わった。
「ああ、ホントだぜ。お前にも見せたかったよ…」
三井は過去を思い出し、ひたむきだけど下手くそで、でも自信だけ満々な花道を懐かしんだ。
「まあ、積もる話はこれからだ。おい、ガキ」
「……ガキじゃありません」
流川にあまり似ていない息子は、これも似ずに礼儀正しい口調で話した。
「なんで流川と桜木は、ここへ来ねー?」
「………さあ…?」
ニッコリと笑う様子は、父親である流川にはないものだった。けれど、小さな仕草はどことなく似ている。食べ方は、花道に似てしまっている、と誰もが思った。
流川と花道に育てられたこの少年は、どんな人生を歩んできたのか。
彼らを知るメンバーは、全員そのことを知りたがった。
これは、一途だけど不器用で、バスケット以外何も出来ない父親の人生。
2003.10.5発行
2009.10.28UP
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