ROOTS
湘北高校の卒業式で、バスケット部員が集まった。送り出される三年生は、元主将である桜木花道と、彼とともに入学時から在籍していた桑田たち三名、および途中入部者である。後輩たちが一人ずつに声をかける。全員が花道に背中を強く叩かれていた。
「オメーら、後を頼んだぞっ!」
目を細めたままのその姿は、照れと戸惑いが隠されていると誰もが知っている。涙もろい面もある花道の、明るく別れるための方策だった。
花道のそばで、マネージャーだった赤木晴子はずっと泣き通しだった。それは、後輩たちの想像通りであったが、わかっていてもつられてしまう。それでも、後輩の手を握りながら「頑張ってね」を言い続けるその姿勢は、やはり最上級生だった。
快晴の空の下で撮った集合写真は、花道の大学生活が始まる前に届いた。つい先日のことなのに、もう遠い過去のような気がする。制服を着た自分が、何やらこそばゆかった。真っ赤な髪をした自分は、誰よりも目立っている。よく見ると、一番後ろの列には桜木軍団がいた。花道は小さく笑って、軽く目を閉じた。ゆっくり瞼を開いて見直した写真の中には、副主将であった流川楓の姿はない。無意識のうちに探していた自分を否定するために、花道は大きく首を振った。
花道と流川は、高校時代ずっと同じコートに立った。スターティングメンバーでもあり、彼らの代わりになる体格の部員がいなかったのもあるが、実力的にチームの要であり、日頃のケンカっぷりからは想像できないくらい息のあったプレーをするからである。安西監督はそんな彼らをよくわかっていた。それぞれの弱点を克服するよう小さな指示を出し、常に二人の動きを観察した。安西が考える以上のコンビぶりは、彼らが自発的に開発したものである。
インターハイに出場できなかった年も、日本中のメディアが注目した。すでに一年生で出場したそのときの健闘ぶりや流川の全日本ジュニア合宿参加などのせいかもしれない。彼らは高校バスケット界では有名人だった。けれど、そんなことを気にする風でもなく、それよりもただ練習に明け暮れた。学校の体育館以外でも二人で特訓するようになったのは、二年生になってからすぐのことだった。
「動きがトロイ」
「あんだとっ! ヘバりかけてるテメーに言われたくねーぞ」
「…さっきのだとこっちにいるべきだ」
「…お、オメーの指示は受けねぇよ」
小競り合いを続け、いつの間にか互いの動きを想像できるまでになる。流川の冷めたため息が元で、殴り合いになって終わる。そんな毎日だった。
花道は、高校に入学する以前からよくケンカをしていた。バスケットを始めてからも、ケンカをすることに変わりはなかったが、相手が限定されたと思う。花道は、18年弱の人生の中で一番手を出した相手は流川だと気付いた。どうでもいいことだけれど、もう殴り合うことができなくなったことが、想像以上に寂しいと写真を見て思った。
花道の瞼に何度も蘇るシーンがある。それは、三年生の夏の終わり、流川がアメリカに旅立つ寸前のことだった。インターハイに出場したものの、日本一になれなかったお盆の頃、花道は部屋で一人ぼんやりしていた。目標を失ったわけではないけれど、何をすればいいのかわからなかったのだ。進路など、深く考えたことも、相談したこともない。もしかして卒業しなければいけない年だっけ、とそのときにやっと認識した。いつまでも同じ制服を着て、同じユニフォームを着て、同じコートでプレーできる、そんな錯覚をしたままだったのだ。
うだるような暑さの中、黒い雲のおかげで部屋も少し陰る。洗濯物を取り込もうと立ち上がったとき、大粒の雨が降り出した。その雨の音を、花道は鮮明に覚えている。そのときには、流川がアメリカに行くらしいという噂は聞いていた。そんな会話を本人としたことはなかったし、改めて尋ねたりもしなかった。花道は、正直なところ羨ましくて仕方なかった。経済的に苦しい花道には、留学なぞ夢のような話だった。
「ちっ…」
流川のことを思い出して舌打ちしたとき、玄関にその本人が現れた。いつの間にかなり始めたカミナリを背景に、びしょ濡れの流川は「っす」と挨拶らしきものをした。
「……ルカワ?」
黒い髪から水が滴る。俯いたままの姿からは、その表情は読みとれない。ずぶ濡れの割には、胸に抱えるボールはほとんど無事のようだった。自分よりもボールを大事にしているように見えた。
「あんだよ…バスケしに来て、雨に降られたンか」
流川は返事もせずに、花道が投げてよこしたタオルを受け取った。
「ま、ヒゴロの行いってヤツだな。こんなドシャブリ…」
「桜木」
花道のセリフを遮り、流川は低い声を出した。
「明日、アメリカ行く」
「……へっ?」
「だから、バスケしようと思った」
その宣言を理解するまでに、花道はいつもより時間がかかった。流川の口から具体的なことを聞いて、戸惑ったせいかもしれない。
「…テメーと」
「な…何言ってやが…」
口がうまく動かないことに、花道は一層動揺する。思いもかけない言葉が次々と出てきて、これは夢だろうかとすら思った。
花道はゴクリと唾を飲み込んで、抱えていた洗濯物を放り出した。
「あんだよ、オメーはよっ 勝手にアメリカ行くって決めて、明日だってわざわざ自慢しに来やがったのか? ぁあ?」
「……自慢…なんで?」
花道の激昂に対して、流川は冷静な声を出した。いつも自分を苛立たせることばかりいう花道だが、今日のは極めつけだった。流川は、花道もいずれはアメリカに行くと思っていたから。
「他人事か? お前はもう諦めやがったのか? もうバスケットを…止めるのか…?」
冷たい目で問われて、花道は少しウッと呻く。
「バカ野郎! 止めるわけねーだろっ 俺ァな、オメーより後だけど、実力に差が付くモンか! いいか、ちょこっとテメーが先に行くだけだ!」
真正面から人差し指で顔を指された流川は、目を寄せたものの怒らなかった。花道は、そのときの表情を忘れないとすぐに思った。穏やかで嬉しそうに見えたけれど、負けるものかという顔。流川と知り合ってから、初めて自分に向けられたものだった。
「……ル…カワ?」
玄関に立ったままの流川は、花道を少し引き寄せた。首筋からの雨の匂いを、花道は今でも思い出せる。背中に回された長い腕の存在感も。
「…桜木…早く来やがれ…」
肩から伝わった小さな声は、真摯なものだった。静かな動きで触れたものが、勘違いなのかもわからなかった。驚きとともにうっとりとしかけたとき、流川の腕からボールが落ちた。バウンドの音で、花道はハッとした。
「な、な、なんだよ! キツネのくせにくっつくな! このアチーのにっ」
気持ち悪いから、と言うつもりが、生憎と口はそんな動きをしなかった。照れたのを知られたくなくて出た言葉は、それでも拒否の言葉に近い。
流川は突き放されたまま、クルリと踵を返した。
それが、高校時代、流川を見た最後だった。
2003.10.5発行
2009.10.28UP
next