ROOTS
流川とジュニアの生活に、花道が加わってからまもなくのことだ。ジュニアはあっという間に花道に懐き、ほとんどベッタリくっつき回った。端から見ていると、花道の方が父親だった。学生でもなく、働くでもない花道は、一日中ジュニアのそばにいる。バスケットコートに出かけるときも一緒だ。流川はというと、学生生活に戻り、以前のように忙しい日々となる。帰る頃にはジュニアは寝る時間だった。
「なんつーか、俺がいねーとヤバかったんじゃ…」
広いキッチンは、花道には使いやすい。シンクが高いのも嬉しかった。そんな場所で夕食の準備をしながら、花道は自分の立場がわからなくなることもあった。
なぜ、自分は飛んできてしまったのか。
流川の家庭の訃報は日本でも放映され、直接本人が映らなくても、大変だろうことは想像に難くない。助けを求められたわけでもないのに、花道はすぐにアメリカに飛ぶことを決意し、実際に行動を起こした。
なぜか、ということは、自分でもわからない。
そして、久しぶりの再会にも流川は何も言わない。家に居着いても、文句も言わない。今後のことを話し合ったことはなかった。けれど、登校時間に「行ってきやがれ」と言うと、少し頭を下げる。それは、花道に家を預けることに同意したとも取れる。
とにかく、花道はあやふやな環境でアメリカでの生活、流川とジュニアとの毎日を過ごしているのである。
実際には、流川もジュニアも大きな喪失から立ち直るためには、花道の明るさは必要不可欠だっただろう。そこまで自覚して立ち回ったわけではないが、花道は出来るだけいつも通り流川に接し、慣れない子育てに精を出していた。
『…ハナ?』
「おお…起きたンか、ジュニア」
『うん…』
ジュニアという子どもは、母親や祖母によく似ていた。白人の血が濃く出ているのである。大きな目や白い肌は人形のようだ、と花道は思う。流川はまた違った色白だ、とまで考えてしまった。
小さい存在は、花道には抱き上げても何の苦にもならない。首に巻き付けられた小さな手の温かさに、最初は驚いたものだった。一目で、大事で可愛い存在となった。けれど、それが流川の息子だとは、未だに信じられなかった。
「よく寝てたな…腹減ってねーか?」
『…なぁに?』
一つ大きな問題は、言葉だった。ジュニアは日本語を知らない。花道は英語がわからない。まして3歳の子どもが話す英語は、流川でも難しいらしい。けれど、子どもというものは、同じ言語であっても、意志の疎通はなかなかうまくいかないものなのだ。花道はそこまで育児に詳しくないが、どこまでも自分流に会話していた。
「メシにするか?」
『「メシ」はわかった、ハナ』
「よし。じゃあ、顔洗って来い。ルカワは今日は遅くなるから」
『…「ルカワ」って…ダディのこと?』
「……だでぃ」
何気なく発せられた言葉だったが、花道を驚かせるには十分だった。
本当に流川の子なのか、と。
花道の役割は、家政婦だけでなく、親としても大きい。とにかくほとんど24時間ジュニアがべったりと離れないのである。当然、花道が使うゲストルームがジュニアの寝室となった。
花道は子どもと寝たことはなかったためか、こんなにも柔らかく温かく、意外と重いことに初めは驚いた。泣きながら寝たり、夜泣きで眠らなかったり、花道は細切れに眠る。けれど、それは花道だけが体験していることではなかった。流川までが、花道のベッドで眠っていたからである。
「…あんでテメーまで…」
「……」
流川は何度尋ねられても答えなかった。いつも二人より遅れてベッドに入り、ジュニアの隣で眠る。その小さな背中に額を当てるようにして、流川は眠りに落ちる。
深夜に目が覚めたとき、ジュニアをあやしながらそんな流川を見ていると、切ないような笑いたくなるような、不思議な気持ちになる。
再会したときにはずいぶんやつれていた面影は、だいぶ以前のものに戻ってきていた。こうして寝顔を見ていると、高校生のころと大差ない。けれど、妻子持ちなのだ。それが、こうやってジュニアと一緒になって自分に甘えてくる。花道は、イライラするような気もするし、いじめたくもなる。
「…ガキだな…」
自分でそう言えるようになったあたり、花道も大人になった。
花道と流川がまともに話し合ったのは、それから約二ヶ月後、流川の大学が夏休みに入り、花道のビザの都合でそろそろアメリカにいられなくなった時期であった。それまでは、買い物代を流川にもらうときや、一日の予定のことやら、そんな日常の簡単なことだけだったのである。
「ルカワ…俺、日本に帰らなきゃなんねー」
「………なんで…?」
ソファに並んでバスケットのビデオを観ていたとき、花道はボソリと呟いた。その膝の上で、ジュニアは船をこいでいた。
流川の反応に、花道の気分は浮上した。自分が帰国することを嬉しがっているようには見えなかったから。
「なんでって…俺ァ観光ビザとかいうので来てるからな…」
「……ああ…」
流川もそれほど詳しいわけではないが、ビザが別に必要なのは知っていた。ただ、花道が本当に帰国するのか、それとも一時帰国なのかが、気になった。それなのに、素直に聞くことも出来ない。そしてそれは、花道も同じなのだ。
「で…その、なんつーか…」
「……ジュニア、来い」
流川は突然ジュニアを自分の膝に乗せた。寝ぼけたジュニアは、大人しく流川の腕に抱かれる。最近、ようやくジュニアに触れることが出来るようになっていた。
「あの、そのよ…タイヘン…だったな…」
花道がそのことについて何か云うのは、実はこれが初めてだった。流川は驚いて顔を上げた。
「いや…オメーとちょっと違うけど、俺も親父が死んじまったし…」
だから自分はやってきたのだろうか。少しは流川の気持ちがわかるから?
花道は考える前に思いついたまましゃべり続ける。だんだん早口になっていく。
「俺がいたからってどうってわけでもねーんだろうけど、なんつーか、ほっとけなかった…のか? あれ?」
一人で首を傾げる花道は、最後には奇声を発する。そのノリが懐かしくて、流川は皮膚の下で微笑んだ。
「……どあほう…」
「オメッ このォ…と思ったけど、なんかそれも久しぶりだな…」
穏やかな花道の反応に、流川も笑顔で返す。花道との会話も久しぶりだが、笑うということ自体、長くしていなかった気がする。それは、アナベルたちと暮らしていたときからかもしれない。
初めて和やかな雰囲気となり、俯いてジュニアの頭を撫でる流川に、花道は勇気をふるった。
「そ、そのよ…俺、またここに来ていいか…?」
「………いつでも来やがれ……ジュニア…が喜ぶ」
花道はギャグのように片方の肩を落とした。少し意味が違うし、喜ぶのはジュニアだけなのだろうか。
「ルカワ、俺、アメリカに引っ越してくる。ビザが取れたら来るから…ここに住んで…」
最後の方は、また考えなしに発していた。自分で言っておきながら、花道は自分で驚いて手で口を押さえた。もちろん、流川も驚いた。
「…今更何言ってやがる…勝手に住んでたくせに」
「……あんだと、この野郎! 俺がいなきゃ、死にそうな顔してたじゃねぇか!」
「…勝手にコロスな」
ツーンと顔をあちらに向ける。TV画面はいつの間にか他の番組に変わっていた。
「オイ、俺がいなきゃ、オメーもジュニアも飢え死にしてたぞ! 絶対だっ」
「…絶対なんて法則はねー」
「んかーーーっ! ああ言えばこう言いやがるっ! カワイクねー野郎だぜ」
可愛くてたまるものか、ならば放っておけとまで思う。けれど、口に出せなくても感謝しているのは本当なので、流川はそれ以上言い返さなかった。
自分の最も動揺した、情けない姿を見られてしまった以上、花道にはそのことに触れられたくなかった。素直にありがとうが言えない自分がもどかしかった。
「…ジュニアの方がよっぽどスナオ…」
「おっ わかってンじゃねぇか…」
流川は高校時代のような鋭い目をして花道を見返した。
「…で、テメーはアメリカで何するつもりなんだ…」
「何って…バスケット?」
今度は流川が脱力する番だった。けれど、その言葉が嬉しくて、その日をすでに待ち遠しく思っている自分を自覚していた。
花道がアメリカに来てから、まだ一度も流川とプレーしていなかった。
花道は自分が一時的とはいえ帰国する前に、二人での生活を確立せねばと考えた。こんなことは一緒に暮らしていれば自然と出来ているものではないのか、と不思議に思う。けれど、流川は高校時代と変わらず、バスケットのみが得意分野らしい。
「だーーっ あんだ、その手はっ」
なぜ花道の方が子どもの抱き方がうまいのか。そのことがまずおかしいと思う。花道とて、ぎこちない手つきで触れていた。けれど、意外と頑丈らしいことに気付き、だんだん遠慮がなくなっていった。一緒にバスケットをしても、花道は特別扱いしなかった。
それが、流川は両腕の上に子どもを置く、という感じだった。その状態のまま、動けないのである。寝ているジュニアから、という判断は正しかったらしい。そうでなければ、居心地の悪さから泣かれていたに違いない。
「ご両親やアナベルさんは、テメーがそんなだから抱かせなかったンじゃねぇの」
花道は、口の中で呟いた。あまり触れたくない話題であり、流川自身から家族のことを聞くのが嫌だったのだ。
それから、起きているジュニアを抱き、片手抱きまで習得したのち、風呂や食事まで花道流を教えた。素直に頷く流川に、花道の胸はちょっとトキめいた。流川に蘊蓄垂れる日が来るとは思ってもいなかったから。
それにしても、もしも花道が来ていなかったら、本当にこの二人はどうなっていたのだろうか。花道には想像すら出来なかった。
「ま、天才桜木さまが来たからにはっ」
「……どあほう…」
ジュニアは二人の会話にキョトンとしていた。
2003.10.5発行
2009.10.28UP
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