ROOTS



 そのせいだけではないが、高校時代に比べれば、彼らの会話は少しずつ成り立つようになった。ケンカで終わったり、ジュニアに話が逸れたりする。けれど、いろんなことを二人で決めなければならないのは確かだった。何しろ、二人は同居から同棲中となり、一人息子を養う身だから。
「ルカワ…ジュニアは幼稚園ってのは行かねーのか?」
「…日本と違う」
「む…そりゃわかってンだよ」
「…プレスクールの後、キンダーガーデン…で、小学校…らしい」
 流川にもこの辺りはスーにでも聞かなければわからない。義務教育ではないプレスクールは、アナベルたちの希望で通っていた。
 会話は、いろんなところへ飛ぶ。夜のソファで座りながら、静かに話を進めたりもする。けれど、ジュニアが不在の夜、彼らのベッドは用途が拡がってくる。
「技術でナンバーワンではなくても、有名にはなった。白人や日系であってもWNBAで活躍できるという希望を見せたつもり、とアナベルはよく言っていた」
 流川はたまには珍しくよく話す。寝物語をすること自体、滅多にないことだった。
「俺はナンバーワンがいい…」
 しばらく間をおいて、枕に向かって流川は呟いた。花道は、高い天井を見たまま次ぐべき言葉を考えた。うまく言えないのがもどかしかった。
  
 花道が疑問に思っていた学校の制度は、ジュニアが実際に登校し始めてから納得した。日本との違いに戸惑うのは、花道ばかりではない。当然、ジュニアもかなり興奮した。
 学校での成績というものを初めて親の立場で見たとき、流川も花道も自分たちの親から言われたことと同じことを口にすることに気が付いた。彼らも、どれだけ言われてもその生活を変えられなかったため、それはすぐに止められた。
『…ダディ…ハナミチ、なんで最近何も言わないの?』
「…元気であれば…」
「ベンキョウはしたい奴がすればいい」
 二人ともややぎこちなく言った。勉強を強制できるほど秀でた親たちではないという自覚がある。低空飛行の成績でも、したいことが出来ればいいと思ったのは事実だった。
 ジュニアは、学校からのプリントを手にしたまま、目を剥いた。あまり怒られたことはないけれど、今回は不気味だった。このことが逆に、ジュニアの勉強意欲を上げた。彼は、父たちに勉強に関する質問は無駄だということを、小学生の間に悟った。
 バスケットだけはジュニアの自慢で、可能な限り試合を観に行った。友人たちを連れて行き、彼らと共にいることを自慢する。男同士で暮らしていることを指摘する同級生もいたが、ジュニアはあまり気にしていなかった。母と祖父母の記憶があまりないせいもある。気が付いたらずっと三人だったので、誰かが欠けたり増えたりするとは考えられなかった。


 そんなある日、ジュニアの血液型が判明した。本人はわかったのが嬉しそうで、すぐに流川や花道のものも聞きたがった。
「えっと、ダディは…なに?」
「……俺は知らない」
 花道は少し驚いた目をしてから、自分の血液型を自慢げに言う。
「ちぇっ ハナミチと一緒かー」
「……あんだジュニア? 「ちぇ」ってのは嬉しいときには言わねーぞ」
『…俺、使い方、間違ってないよーだ』
「あんだとー!」
 ソファの回りで始まったおっかけっこを、流川は無表情に見ていた。
 小学校に上がってから、一人部屋をほしがったジュニアは、アナベルが使用していた部屋で寝始めた。それでも、流川と花道は一緒に寝るのを止めていない。
「…オイ、俺ァ…オメーの血液型、知ってっぞ?」
「……ふーん?」
 流川はその話題に触れたくなくて、顔を壁の方に向けた。
「オイ、ルカワ? アナベルさんは何型だったんだ?」
「……なんでそんなこと聞く」
「いや…なんつーか…」
 前から何となく感じていた疑問。
 まず、ジュニアが流川に似ているところは、仕草以外は見あたらないことだった。母親に似ていると言われればそれまでだが、どこか一つくらいはあるものではないだろうか。それと、流川の性経験の未熟さだ。これは、花道の主観だったが。
「もしかして……ジュニアって…」
「うるさい。ジュニアは俺の子だ」
「……そう、だよな…」
 ゲストルームでの大声は、キッチンへ向かう廊下にまで響く。深夜の二人の会話のつもりで、そこに人が通るなどとは想像していなかった。けれど、ジュニアはたまには起きるのである。
 その言葉に、まだ8歳だったジュニアはキョトンとするだけだった。何を当たり前のことを、と首を傾げた。血液型の話も、もう忘れるくらいだった。ただ、その会話はずっと忘れられず、後日深い意味を知ることになる。

 平和で、このままずっと、と思われたアメリカの生活は、流川のケガで中断した。シーズンの終わりの頃ではあったが、花道がいうところの契約違反は実行され、花道だけではコートに立たせてもらえなかったのである。
 それだけがきっかけではなかったが、流川はどこか諦めめいたものを感じ始めていた。30歳台に乗り、衰えこそすれこれ以上成長しない筋肉に、流川は見切りをつけたのかもしれない。ケガの治りが、若い頃とは違うのだ。
「ナンバーワンになれなくてもいーのか?」
 ずっと以前の何気ない言葉を、花道は流川自身の代わりに言う。何も言わなくても、流川の思考がわかっていたから。
「……アナベルの言うとおりなのか…」
 自分が一番になりたかった。けれど、一番になるためにはもっと時間が必要だった。
『カエデに出来ること、全部やった? バイトなんていいのよ』
 意外にも、このときの流川には、かつてのアナベルの言葉の方すぅっと自分に入ってきた。それくらいには彼女を好きで尊敬していたのもあるし、人生の先輩として諭された気がした。
 このとき、流川は次世代を育てることに目を向けた。
「桜木…お前はまだいける。こっちに残れ」
「……はぁ?」
「俺はジュニアを連れて日本に帰る。オメーは何でも…結婚でも好きにしやがれ…」
 その言葉に、花道は真剣にキレた。回復したばかりの流川を、思いっきり殴った。
「このバカ野郎! 勝手なこと言うな! 今更ケッコンとか、俺に言うなっ」
 泣きそうな顔で怒っている花道に、流川は目を見開いた。
「テメーは俺を見くびってんのか? 俺はずっとお前といるって言わなかったか?」
 胸ぐらを掴む花道に、流川はひるむことなくまっすぐに目を見返した。
「……聞いてねー…」
「………はっ?」
「…俺は、テメーから何も聞いてねー」
 毒気を抜かれた花道の単純さは、昔と変わらないと流川は思う。
「あ……あれ? スキとか、言ってなかったっけ?」
「……誰がだ」
 流川の額の血管が浮く。深い関係なのに、なんとなくしか互いの気持ちがわからない。そして花道が言ったつもりになっているところが、流川のカンに触った。
「…俺は桜木がスキだ。俺はちゃんと言った」
「ちょ、ちょっちょっと待て! 俺が先に…」
「…もーいい」
 向かい合ったまま、首だけプイと横へ向ける。ケガのことで落ち込んでいたはずなのに、ずいぶん明るい気持ちになっていることに、流川は気付いた。
「る、ルカワ…その、俺…ずっと気になって…」
 いい大人が相手を口説くことも出来ないらしい。もっとも、もうその必要はないのだが、キメるべきときに締まらない花道に苛ついた。
「うるせー。俺の方が気にしてた」
「そ、そんなことねーよ! 俺ァずっとてめーだけを追っかけて来たんだからな!」
 周囲から言わせてもらえば十分告白し合っている。そして、ジュニアはわざとではなく聞いてしまっていた。
「……ふーん…やっぱり二人はさー」
「ジュニアっ!」
「…やっぱり?」
『ま、俺は別にいーよ。ママも死んじゃったし』
 ジュニアの驚きのひとかけらもない態度にこそ、彼らは驚いた。
 認めてもらえた、と喜ぶ余裕は、彼らにはなかった。
 それから一年後、流川はジュニアと花道とともに、日本に帰国した。日本を出てから15年。カルチャーショックを息子と共に迎えるくらい、久しぶりだった。
 日本では、流川と花道はやはりコンビぶりをアピールして入団した。プレイヤーとしてはだいぶ年齢がいっていることもあるが、実力では負けないつもりだった。そして、日本の中学生にあたるジュニアは、インターナショナルスクールに途中入学した。日本に住むことになった彼は、それから真面目に日本語を勉強した。どこにでも適応し、前向きなところは花道に似ていると流川は思った。
 彼らは、日本での慌ただしい日々を過ごし始めた。

 日本に移っても、流川も花道も全く離れようとはしなかった。別々に暮らして、違うチームで対戦するというのは、今のジュニアでも考えられなかった。バスケットをするのは、NBA以外でも当たり前らしい。彼らは、息子の目から見てもセットであった。
 いったいいつから、と気になったのは、ジュニアが彼らを好きだったから。
 両親、父親二人というのは、どちらも合わない三人家族だったが、ジュニアは流川と花道の影響を強く受けている。そして、彼らのようになりたいと思っていた。
 そんな彼が、湘北高校へ進学したがったのは、ごく自然なことかもしれない。




2003.10.5発行
2009.10.28UP
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