ROOTS



 それはかなり昔のこと。
 流川は18歳にしてプロポーズされた。相手の女性は美しく活発で、プロバスケットのプレイヤーだった。自分より少し低い目線で、明るい色の双眸をまっすぐに向けられた。掴まれた両手は、冷たく小刻みに震えていた。態度は高圧的にも見えるのに、その瞳は少し気弱に光っていた。鈍感な流川が観察できるくらい、冷静だったのだろう。もっとも女性を前にして緊張する彼ではない。
 それまでにも何度か話をしたことはある。食事も奢ってもらった。それくらいの付き合いのアナベルが、急で直球の申し出をした理由も、流川はそのとき聞いた。
 とにかく、さすがの流川も結婚の申し出は初めてで、実はかなり驚いた。
 けれど、アナベルは真剣だった。日本へ戻った彼を追いかければいいと最初は突き放そうとした流川だが、彼女にはそれほどの勇気がなかったらしい。実行力のあるアナベルらしくない、と流川でもわかる。そのプライドの高さから、振られたことを言い出せなかったらしい。
 結局、アナベルが妊娠3ヶ月の頃、流川は結婚を承諾した。全米でも有名人の彼女は、これで面子を保ち、将来有望の若いバスケットプレイヤーを夫として自慢することが出来たのである。もちろん、流川を大切に思っていたのは本当だった。
 流川は、女性と結婚することで、花道を忘れることが出来るのかも、と思った。計算して動ける彼ではないが、およそ見込みのない相手を想い続けることが、こんなにも苦しいと思わなかったのだ。アメリカに来てからは、逢いたくて仕方なかった。表向きには永住権のためとし、流川は花道のいない人生を歩もうとしていた。そのためとはいえ、よほどの決心だった。

「…カワ…オイ、ルカワ? ルーカーワッ!」
 ぼんやりと過去を思い出していた流川は、やっと花道の呼び声が耳に入った。まるで目が覚めたかのように、大きく目を見開いた。
「……あれ…?」
「聞いてンのか、この野郎」
 流川が過去にトリップしたのは、おそらくこの体勢のせいだろう。
 花道は、流川の両手を自分の両手で包んでいた。かつて、アナベルが彼にそうしたように。
「……桜木?」
「てンめー聞いてねーな! この重大発言をっ」
 流川はかすかに首を傾げた。
 その耳元に囁かれた言葉に、流川はまた両目を見開いた。思わず指に力が入り、それがわかった花道も力強く握り返す。
 一生のうちに、2回、同じ言葉を聞くことがあるだろうか。
 少し首を仰け反らせ、その顔を確かめる。目元が赤い花道の表情は、真剣だった。かすかに震えて、汗をかく手のひらは、流川よりも大きかった。
 乾いた唇が必死で紡いだ言葉は、自分でも思ってもみないことだった。
「…男同士は…ムリ…」
「ば、バーロー! ホウリツなんてどうでもいいんだよ!」
 花道ならばそう言うと思った。そう言うだろうと思った。
 流川の両目は驚きを示したまま、その表面を涙が覆った。溢れて零れ始めるものに戸惑ったのは、流川自身だった。
「…ルカワ…ずっとバスケットしような…」
 涙を隠すように抱きしめられ、流川は瞳を閉じる。
 アナベルとの結婚を選んだ自分に、こんなことが起こるとは思いも寄らなかった。
 まだまだバスケットの現役として、そしてこれからの若い世代を見守ることを役目として、互いをライバルと思い、一生を共にしたい。そう素直に言える年齢となった。
 知り合って20年目のことである。

 流川は返事の代わりに、背中に軽くしがみついた。
「……まだ…俺の方が強いもんな」
「な、なんだとこの野郎!」
 甘いムードは、長く続かなかった。




 ジュニアがアメリカへ旅立ったのは、大好きな父のときと同い年になったときだった。
 そして、父よりも早くプレイヤーとして有名になる。同じNBAの世界に飛び込み、各チームはトレードの交渉に忙しかった。
 そんな彼がインタビューでよく口にする言葉があった。

『俺はアナベルとカエデとハナミチの息子。名前は神様と一緒なんだ。クールだろ?』

 
 
2003.10.5発行
2009.10.28UP
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