春の遠足。
 高校生にもなって「遠足」はないだろうと、現役高校生なら思う。教師が楽しんでいるのではないか、と。しかし、引率する方としては、学校に来ているときよりも、一層気を遣うものである。特に、問題児をかかえるクラスの担任は。
「じゃぁみんな。一応自由行動だが、園内から出ないように。俺はここにいるから、何かあったらすぐ来なさい。15時集合だ、いいな?」
 「はぁ〜い」と素直そうな合唱。担任は、ため息をつきながら、駆け出す背中を見送った。問題児軍団という名の(一見)不良グループと、とにかくケンカばかりのバスケ部員がいるこのクラスでは、学校だけですでにトラブルだらけであり、この遊園地内で何が起こるか、考えただけで胃が痛くなるのだった。

「おい花道、何か乗るか?」
 呼ばれて降り返った赤い髪のガクランが桜木花道であり、その肩あたりから問いかけたリーゼントが親友の水戸洋平だった。
 洋平としては、遊園地に大きな興味はなく、どこかでゆっくり座る方がいいと思い、暗に何も乗らないよな、という問いかけのはずだった。ところが。
「何から乗ろっか、洋平? やっぱり目指せ乗り物制覇、だよなー!」
 よく見るとその手元には園内の案内図があった。いつから持っていたのかわからないが、すでに相当くたびれている。
 洋平は、親友の意外な一面にため息をつきつつ、同意した。
「まずはキョーレツなのにしようぜ? 花道」

 一方、解散ときいて、真っ先に静かな芝生を探したガクランもいる。桜木花道が天敵と思っているキツネこと、流川楓だ。休めばうるさく言われるし、取り敢えず参加して、寝てればいいと考えた流川の考えは、甘かった。遊園地に静かな場所など、存在しないのだ。
「ちっ… ここもウルセー…」
 ジェットコースターの大きな音を避けても、乗り物がある限り、人がいる。遊園地には一人では来ない。つまり、話し相手がいるのだ。だから、どこもかしこも賑やかである。
 結局、影になる草むらを探して、ガマンしつつ寝転がった。人の声も、だんだん子守唄程度にしか思えなくなる頃、夕方からバスケしようと心に決めて意識を手放し始めた。そのまま寝たら、誰が15時に発見してくれるとか、そういうことを考える流川ではなかった。


 親友のお薦め通り、キョーレツな回転コースターから挑戦した花道は、叫び声とともに聞き取れない言葉を発していた。本人はちゃんとこう言ったつもりだった。
「降ろしてくれーーーーーっ!!」
 不思議でゾッとする浮遊感が来たかと思えば、突然ガクンと急カーブ、猛スピードで地面を目指して落下するかのような走りに、花道は臆面もなく泣き叫び、吐きそうになっていた。
 ようやく地上に降り立ったというのに、ふわふわする足に花道は自分をコントロール出来ないでいた。
「花道? 大丈夫か?」
「…あ、ああ…」
 そう言いながら、斜めに前進する。返事をしようと振り返るから、ますますおかしな方向へ行く。それでも倒れないあたりは、かすかに残った反射神経のおかげか。
 かなり進んだところの草むらに、花道はドスンと倒れ込んだ。小さな石ころすら避けられない状態だったから。
「「イテーーーッ!!」」
 その声は、心配して付いて回る洋平の耳に、2重に聞こえた。
「花道?……流川?」
 巨体が折り重なって、二人とも頭を抱え込んでいた。

「…チッ ちょっとは静かだと思った、のに」
「ぬ! なんだとーー!! この万年寝たろう!!!」
「うるせーサル」
 3人であぐらをかくのは初めてかも、と洋平は関係ないことを考えながら、今更驚きもしないケンカを見つめていた。この二人が罵り合っているとき、口を挟める人間はいないだろう、としみじみ思う。
「…流川、静かなトコ探してるのか?」
 流川は洋平をまっすぐ見て頷いた。割と素直なヤツなのに、と洋平は心の中で小さく笑い、ぶつかり合うしか出来ない親友をおかしく思った。
「昼寝したいんだろ? あそこなら、暗くて静かなんじゃないかと思うけど?」
 そう言って指さしたのは、少し離れたところにあるオバケ屋敷。外から見える雰囲気も黒っぽいが、中は暗いに違いないと流川も考えた。何しろ明るいところに幽霊は出ないのだから。
 流川がもう少しノリのいい男ならば、なるほどとポンと手を打ったかもしれない。あいにく、クラスで、いや学校で最も愛想のない男である。小さく頷いただけで、黙ってスタスタオバケ屋敷に向かった。
 その姿に洋平はまた笑った。単純なヤツだと。ところがその横の花道は親友が大嫌いな奴に親切なのをおもしろく思えないでいた。
「なんだよ洋平…」
「まぁいいじゃないか」
 あのままケンカを続けてもめ事を大きくしてしまうよりも、この二人を離しておいた方がいいと思ったとは、さすがに口には出来なかった。

「よし」
 大きな掛け声とともに、花道は立ち上がり、オバケ屋敷に行くと宣言した。
「え…なんで?」
 せっかく顔を合わせないようにしたのに、花道は追いかけるようなことを言う。そんなに一緒にいたいのかといぶかしみながら、いっそう大きい親友を見上げた。
「あのキツネを驚かせてやる! 俺もオバケだっ! 行こうぜっ!」
「お、おい? 花道?」
 嬉しそうに走り出した親友を、洋平は困り切って呼び止めた。しかし、洋平は立ち上がらなかった。決して誰にも言わないが、実はオバケ屋敷が苦手なのだ。

 桜木花道は、裕福ではない家庭に生まれ育ち、遊園地で遊んだ記憶がほとんどない。だからこそ、楽しんでみたくて、乗りたいもの、やってみたいこと、全部するつもりだった。
 しかし、本日2つ目の遊戯場で、早くも自分が遊園地に向いていない人種だと理解した。
「ぎゃあああああああああっ!!!」
 真っ暗なのは平気なのに、威かされると反応してしまう。相手が作り物だとわかっても、目を覆いたくなるような光景に、花道の足は思うように進まなかった。190cm近い巨体は蹲ったまま、日頃のエラそうな態度も見る影もなかった。
 もたれられる壁から壁へ、丸めた背中をはわせて進む。真っ暗な中、もたれるものが急になくなった瞬間、頼りがなくなり身体が重力に従った。
「ゲッ!」
 短い叫びは、以外にも柔らかい衝撃で止まった。必死で起きあがろうと思うのに、もたもた手を付いた先に温かいものに触れ、一層慌てふためいて尻餅をつく。ぼんやりと見える「横たわる温かい」そして「人間ぽい」ものに、花道は恐怖で叫ぶことも出来ず、失神しそうだった。
「…ひ、ひっ、ひっ…人? し、死体かーーーーー?!」
 絞り出した声に反応して、その死体がピクリと動く。花道は、尻餅のまま後ずさった。
「…ウルセー…」
 花道には一瞬あの世から声にも聞こえたが、妙に聞き覚えのある声に、ここがオバケ屋敷だということも忘れてしまった。

「…おめー、平気そうなフリしてんな?」
 自分が怖がっていたことを棚に上げて、ほとんど見えない中、気配の先を指さした。問いかけられた流川も、見えないながらもその指先を叩く。お互いの行動パターンを良く知っているからこそ出来るワザだといえる。
「…作りモンだ」
 それを聞いた花道は、もっともらしいとも流川らしいとも納得したが、それでは怖がっていた自分が情けなく感じ、素直に「そうだね」と言えるはずもなかった。
 それにしても、オバケ屋敷の中で眠れるとは相当な神経だと一層呆れたのだった。

 流川楓が昔からモテる男であったと自覚していたとしても、これだけ熱烈な、けれど迷惑なコトはなかった。いや、これまでは、有り難いともはた迷惑とも思っていなかったのだ。
 しかし、今日ほど、心の底からウンザリしたのは初めてだった、と書いたことのない日記に記録しておきたい気持ちだった。
「ひっ!」「うぎゃっ!」「お、威かすな!!!」
 などなど、ただでさえ大きな声を絞り出し、その度に同じくらいの巨体にしがみつく巨体は、ラグビーのタックルのようで、流川は何度もコケそうになる。こんなヤツ置いてさっさと出ようとするのに、ガクランのすそを握りしめ、必死でついてくる花道に、罵声を浴びせる気力も失っていた。何度も何度も首を絞められ、全身で巻き付かれたから。

 洋平は、親友を心配しつつ、オバケ屋敷の出口で待っていた。中から聞こえる悲鳴が花道のものだとわかっても迎えに行くことも出来ず、ただじっとしていた。そして、「暗くて静か」という自分の情報が正しくないことを知って、流川がキレるのではともため息をついた。ケンカは恐くはないが、ウソは嫌いな洋平だった。
 影の中に、真っ黒いガクランを見つけることが出来たのは、それだけ真剣に洋平が待っていた証拠だろう。
「流川……?」
 招き寄せようとしたクラスメイトは、一人ではなかった。ぼんやりとした表情で立つ流川に、まるでこなき爺のように張り付くガクランが見え、洋平はあんぐりとした。
「…は、花道…?」
 そう呼んだ瞬間、流川は大きなため息をつき、花道はやっと顔を上げて大慌てで地上に降りた。洋平は、よくあの巨体を背に乗せてまっすぐ歩けるもんだと、そして花道も天敵によくしがみついていたものだと、二つのことに驚いていた。
「あ…いや、その…これは…… る、ルカワが怖がるからよー」
「……どあほう」
 明るい日差しにホッとしているらしい花道は、やはり流川を怒らせることばかり言う。案の定、オバケ屋敷出口前はケンカで埃立った。

「ヤメロって! 花道! 流川!」
 洋平の必死の仲裁もどこへやら、二人はいつも通りだった。誰が呼びにいったのか、遠くから走ってくる教師の青ざめた顔に、洋平はため息をついた。そして、この二人が、ケンカばかりだが、かなり意識し合っていることを認めた。

 

 

2001.7.3 キリコ

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