Fox&Monky
秋の夜にしてはそれほど寒さを感じない夜、流川は日課をこなしに出かけた。
バスケット選手にとって、ランニングは大事だ。腰が強くなることで、安定感が出るから。そのために、流川はほとんど毎晩欠かさず、一定のペースを保って、夜の街を走る。
本当は砂浜の方がもっと有効であるが、夜ではちょっと暗くて走りにくいのだ。
同じ場所でなくても、どれくらい走れば何キロなのか、だいたいわかるようになっていた。いろんなところを走ることで、さりげなくバスケが出来そうな公園を探したり、走りやすいルートを見つける。
自分のコンディションを考えて、今夜は距離を伸ばそう。そう思ったのが、運の尽きだった、のかもしれない。いつもより暖かい、そう感じたのは間違いじゃなかった。けれどそれは、天気が移り変わる前兆だった。どこか、よくわからない街の中で、雨が降ってきた。流川は「ちっ」と舌打ちして、ペースをあげて家へ向かう。けれど、少し戻ってみても、方向がさっぱりわからなくなった。その上、雨はひどくなる。体を冷やしたくはなくて、仕方なく軒下に身を置いた。
「…む」
腕組みしながら、ぼんやりとこれからの行動を考える。困った状況ではあったが、流川には頭をかく以外に出来ることはなかった。静かな住宅街は薄暗くて、人も通らない。コンビニでもあれは傘もあるだろうが、あいにく流川は無銭状態だった。ここに居続けてもどうにもならず、丈夫な足を頼りに何とか帰ろうと決意したとき、大きな傘をさした長身が見えて、流川はちょっと驚いた。
相手も雨宿りの人物を認め、ものんきな鼻歌を止めた。
「ルカワ? 何やってんだ…」
「…雨」
が降っているから雨宿り、と心の中で答えた。
「…そのカッコ… 走ってたのか、テメー」
「そう」
「で、雨に降られて困ってんだな」
困ってて大変そうだね、なんて同情のかけらもないような言い方に流川はムッとする。そんな相手に、傘に入れてくれとも金を貸してくれとも言いたくなかった。こんなことで貸しをつくるくらいなら、
「…なら、カゼ引く方がまし」
「は?」
「…こんな夜に何してやがる」
雨の中、財布以外持っていなさそうな軽装を不思議に思った。
「それがよー、牛乳買うの忘れたんだ。寝る前に必ず飲むのによー」
意外にも素直な返事がおかしかった。
「一日くれー飲まなくても死なない」
「けどよ、カルシウムとか摂れば身長伸びるだろ? ってなんでテメーに説明しなきゃなんねー」
「さっさと行け」
「なっ! 勝手にしやがれ」
大きな傘がこちらを向いて、ホッとした。
俯いて、雨の中に飛び出す決心をする流川の頭に、大きな傘がぶつかった。
「この野郎、俺様のシンセツをありがたく思えよ」
「…ヨケーな世話」
「って言うと思ったけど、このまま風邪でも引かれるのも後味悪ぃし、近くにあるファミレスは安いから、そこまで入れてってやる」
流川が口を挟む間もないくらい、勢いよくしゃべって、花道の体はすでにほとんどそちらに向いていた。
「どあほう… 入ってやる」
「ちっ 礼儀を知らねー奴だな、テメー」
「金がない。借りてやる」
目的場所について、傘から出た流川は、いきなりそう曰った。
学校や部活だけでも会うのはうんざりと思う相手に、ただでさえ気の重い、雨の夜の買い物途中に顔をつきあわせてしまった。今日は厄日に違いない。
「俺も今、千円一枚だけなんだよ。牛乳買うんだ」
花道の返事にを聞いても、流川は相変わらず無表情だったが、結局軒下で雨が上がるのを待つのだろう。それでは、ここまで連れてきた意味がない気がした。
「ちっ つくづく俺様って優しいのな… 中で待ってやがれ」
「は?」
「飲み込み悪ぃなー しょうがねぇから、牛乳のおつりを貸してやる。だから待ってろ」
「…ふーん」
それ以上何も聞かず、あっさりと流川は安くて有名なファミレスに入った。確か、コーヒーでもジュースでも飲み放題ならば、雨が長く降っても大丈夫だろう。
ここまで考えて、「なんで俺が」とまた舌打ちした。止む気配のない雨にウンザリして、コンビニを出たときには流川のことも忘れかけていた。このまま俺が戻らなければ、ほんの少しせいせいするかもしれない。ザマーミロと心の中で舌を出しながら、けれどどことなくイヤな感じがして結局ファミレスの前に戻ってきた。
窓の外から中をうかがって、落ち着きなく自分を待っているだろう相手を捜す。
ところが、呆れたことに、見慣れたパーカーはテーブルに突っ伏していた。
「やっぱ寝ギツネじゃねぇか」
向かいの席にドカッと音を立てても、流川は目覚めなかった。
眠った人間に特有の規則正しい呼吸と、つぶった左目と、少し濡れたままの黒い髪を見ていると、なんだか花道はおかしくなってきた。
「テメー、俺がバックれるとか、考えねーのか」
口に出してみると、ますます不思議な感じだった。
花道がお金を持って自分のところへ戻ってくると、全く疑わなかったらしい流川に、これまで感じていたような距離感がちょっと縮まった気がした。
このまま自分が消えても、流川は気づかないまま朝まで待つんだろうか。そんな意地悪なことを考えて、花道は小さく笑った。
金を置いていくのもいいけれど、目が覚めたときの相手の反応が楽しみで、花道は落ち着く姿勢に座り直した。
「だいたいよー、この辺は俺のナワバリなんだぜ。どこまで走ってやがるんだ」
自転車でもかなりの距離を、ただ黙々と走る天敵の姿を花道は目をつぶって想像した。
「迷子になったなら、そういえばいいのに。テメー、帰り道知ってんのかよ」
ピクリとも動かない後頭部に話しかけながら、花道は頬杖をつく。次第に瞼が重くなってきて、赤と黒の頭を並べるように眠ってしまった。
目覚めたのはほぼ同時で、ビックリするくらいの至近距離で目があって、どちらも飛び起きた。
雨は上がっていた。