Fox&Monkey


 

  
 流川は移動教室へ向かうため、のんびりと廊下を歩いていた。一応理科の教科書は持っているが、筆記用具はシャーペン一本。あくびをしながら、おおよそ熱心に聞く様子ではなかった。
 賑やかな廊下はそんな流川を気に留めるものも少なく、皆より一つ頭大きい流川の視線も、誰ともぶつかることはなかった。
「流川くん!」
 後ろから高い声が聞こえて、小さく眉を寄せながら流川は立ち止まった。ゆっくりと振り返ると、間違いなく自分を目指してくる小柄な存在がいて、とりあえずそこから動かなかった。
 想像以上に時間がかかるんだな、と気長に待った自分を褒めて、もう一度自分を呼んだ相手を見た。同じクラスの女生徒だった。人を掻き分けて小走りに来た相手は、息を切らしているためにまだ話せない。流川は、運動不足、と心の中で呟いた。
「あのね、今日私たちの班、準備当番でしょ」
 相手が自分を見て「私たち」というからには、自分も同じ班なのだろう。流川はそんなこともわからなかった。
「…準備当番?」
「そ、だから早く!」
 呑み込みの悪いクラスメイトの腕を、その女生徒は引っ張った。おそらく流川にそんなことを出来る生徒は男女いずれにしろ少ないのではないか。気軽に自分に触れる相手を思い出し、その人物以外の手に流川は驚いた。
 グングン引っ張る相手の手を振り払えなかったのは事実だった。こんなにも違うものなのか、と関係ないことを考えていたのだ。自分が知っている手は、大きくてごつい。そして硬いのに。これは違うのだ。柔らかくて小さい。そんなことに、流川は驚いていた。
 本当に同じ、
「ニンゲンなのか…?」
「え、何?」
 まだ腕をつかんだままの相手が振り返る。首を思いきりのばして自分を見上げる。本当に小さいんだなぁと初めて女性を見る気分だった。
「手、はなせ」
「あ…ごめんなさい」
 いきなり顔を赤くした相手に、流川はいつも自分に告白する女性を思い出した。
 恐縮するクラスメイトは、先ほどまでの勢いもなく、廊下で立ち止まる。急いでいたのではないのか、と流川はイラついた。
「…準備、何すんの」
 その女生徒もパッと顔を上げた。現実に、戻ってきたようだった。
「あ、そうだ。こっちよ、準備室に先生がいるから」
 そういって駆け出した。今度はただ促しただけだった。

 

 その夜、流川は真っ暗になった部屋で一つの行動を起した。
 隣のふとんで寝ようとする相手の手を、まず引っ張った。
「ルカワ?」
 その大きな手のひらを、今日つかまれた腕に乗せる。同じようにしろ、と心の中と左手に力を入れることでで命令した。
「…何やってんだ?」
「……デカイ、アツイ、カタイ…」
 抑揚のない声で、流川は感想を漏らす。何のことを言われているのかわからない花道は、問い質したくて身体を起した。
「あ…もしかして、今日の噂の相手のことか?」
 花道の質問は、流川にはわからない。
「…何のことだ」
「オメー、今日女の子と廊下で手、繋いでたって噂だぜ」
 暗闇で流川は眉を大きく寄せた。自分には覚えのないことだった。
「…チガウ」
「……そうなのか?」
 実はこの噂を聞いたとき、花道は胃のあたりがムカムカした。何がおもしろくないのか、とにかく不機嫌になった。けれど、それをわざわざ聞くのは、プライドが許さなかった。
 流川はそれ以上何の説明もせず、花道もつかんだ腕を離さなかった。
「比べてんだろ」
「…?」
 小さな花道の声は、流川には届かない。あまりにも躊躇いがちな声は、聞きたくても聞けない葛藤を表していた。
「結局、テメーも男ってことだよな」
「…何言ってるかわかんねー」
「ふん。俺もわかんねーよ… タマってんなら、するか?」
 流川は大きく目を見開いたけれど、それはやはり暗闇には映らなかった。
 ここまではっきり意識のあるときに、しかも「やろう」という言葉でスタートしたことはなかったのだ。
 その夜、花道はいつもより乱暴だった。それくらいは、流川にもわかった。


 

 


2002.5.29 キリコ
  
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