バカは風邪ひかねーはず 

 

 

  バカは風邪ひかねーって、俺でも知ってる。それなのに、病欠という言葉から、最も離れていそうなアイツがクラブを休んだ。水戸の話では、風邪らしい。

 1月の、雪の降りそうなある日、待ちに待った放課後のことだ。いつものごとく1年が準備する。そこに、来るべきはずの赤頭が、クラブが終わることになっても来なかった。たった一人、休んでいるだけなのに、なぜかいつもと雰囲気が違っていたのは気のせいか。
「今日は大人しいのね、ルカワ」
 いつでも元気そうな彩子先輩が言う。大人しくしているつもりはねーんだが。
「やっぱり桜木花道がいないと、けんか相手もいないし、寂しいんじゃないの?」
 それだけ言って、笑って去っていった。
 確かにけんか相手はいないが、寂しいって何だ? アイツがいないから、練習がスムーズだと思っているだけだ。俺は言う相手もいなくなってから、「ちげー」と呟いていた。

 次の日になっても、桜木は来なかった。まぁ俺には関係ねー。
 ところが、何がどうなったのか、クラブで見舞いに行こうということになり、ぞろぞろと行っても、ということで俺が代表になった。なぜ俺が・・・クジ運わりぃー。
 この寒い中、自転車に乗って、渡された住所を頼りにウロウロする。何度も心の中で「なぜ俺が」と思わないでもないが、行かなかったといえば、明日面倒な気がした。桜木の家のそばまで来たとき、水戸に会った。見舞いの帰りだそうだ。
「流川? 花道の見舞いか?」
「…クラブの」
「まぁそれでも、顔出して行ってやってくれ。俺もバイトじゃなけりゃ付いててやるんだが」
 俺は、様子を聞いたら帰ろうと思ったのだが、そんなことを言う暇もなく連れられて行く。こんなとき、口べたなのは損なのかもしれない。

 桜木は、苦しそうに眠っていた。
「さっき、少し食べさせて薬服ませたんだ。しばらく居てやってくれよな」
 そう言って、狭いアパートに二人きりにされてしまった。考えてみると、コイツと二人でいるのはあまりなかったと思う。いやそれよりも、こうして眠っているのを見るのは初めてじゃねーかな。
 真っ赤な髪と、かなり上気した頬を合わせると、赤毛猿じゃなく赤猿だ。額に乗せられたタオルの白が、やけに目を引いた。
 こうして上から見下ろすと、意外と睫毛が長いなとか思ってしまう。コイツは黙っていると、そこそこ格好良い部類に入るのではないだろうか。背も高いし、体格は俺より立派だ。ちょっとだけ開いている唇が、たぶん熱のせいで乾燥してるんだろう。色が悪ぃのもわかる。いつもはもっと明るい色じゃなかったか。いやじっと見たことがあるわけじゃねーけど。
 日頃乱暴に思えるコイツが、今日はやけに小さく見える。ふとんの中に入り込んでいるせいだろうか、苦しそうな呼吸と顔中の汗を見ると、弱々しく見える。
 体力があって、普段は風邪一つ引かないような奴ほど、アブナイというのは本当だろうか。もしもそうなら、コイツなんてまさにそのものじゃねーか。
 そんなことを、見つめたことなどない顔をじっと凝視しながら、考えていた。

 どのくらい時間がたったのか。もしもコイツが目覚めたとき、俺の顔を見たら何か悪態をつくに違いないと思いつつ、なんとなく帰る気にはなれなかった。といっても、俺は看病なぞしたことはないので、ここにいて何が出来るわけでもないが。
 突然呻きながら奴が首を動かした。その拍子に、乗せられたタオルも落ちる。取り上げると温いタオルだった。これじゃ意味がねーと気付く。タオルを絞ってもどって来ると、奴の腕がふとんから出ていた。手のひらも汗びっしょりだ。そういえば、小さい頃熱を出してやたらと着替えさせられたような気がする。もしかして、コイツも着替えた方がいいんじゃ、と思う。
「オイ」
 呼びかけても反応はなかった。勝手に着替えさせるのも、と躊躇ったが、自分が試合の後の汗びっしょりのユニフォームを着て寝るところを想像し、やっぱダメだと思った。人様の家を探るのに抵抗はあったが、奴の家はいたってシンプルだった。タンスから、換えのパジャマを出し、もう一度桜木に声を掛ける。起きやしねー。
 驚いたことに、コイツは俺が着替えさせる間も、呻ってはいたが、目を開けなかった。後ろから抱えるように座らせ、面倒だがいちいち声を掛けてやったのに、だ。呆れた奴だ。
 いや、それっくれーツライんだろうな、とちょっと可哀相になった。直接触れた背中は、異常に熱かったのだ。いつも体温は高そうだが、これはマジで熱い。ヤベーと思った。
 時計を見ると、21時を回っており、相当長い時間自分がここにいたことに気付く。夕方水戸が薬を服ませたなら、もうそろそろいいんじゃねーかと考えた。だから、俺は殴ってでも起こしてやろうと思った。
「オイ。起きろ、桜木」
 何度も何度も揺さぶって、ぼんやりと開いていく瞼を見て、俺はちょっと安心していた。もしかして、目覚めねーんじゃねぇかと思うくらい、眠りこんでいたからだ。これじゃぁ、いつもの俺みてーじゃねぇか。
「うっ……」
 ようやく、目が開いた。でも今ひとつ焦点が合わないようで、しばらく目をしぱしぱさせていた。
「オイ、薬服め」
 横で体を支えていた俺の方を向いて、しばらくじっと見つめていた。やがて、相手が俺だと気付くと、力無く悪態をついた、いやつこうとしたらしい。
「ぬっ! ルカワっ!……」
 突然勢い良くしゃべろうとしたからだろう。むせやがった。ゲホゲホ言う背中を撫でる俺は、結構優しいじゃねぇか、と自分で思う。コイツの面倒を見ることになるとはな。
 よほど苦しかったのか、水を何杯か飲み、大人しく薬も服んだ。その後、バタッと枕に倒れ込み、結局俺に文句を言うこともなく、また眠ったようだ。支えていた腕ごと倒れられてしまったので、腕を引き抜く。そういえば、薬って何か食べさせてからだっけ、と思ったが、もう遅いだろう。先ほどと同じように眠りについている奴の顔を見ながら、帰ろうと決めた。
 ところが、奴が俺のガクランの裾をつかんでいた。眠っているくせに、結構力強くて、はずれない。しばらく座り込み、あっさりと諦めた。猿でも病気のときは、一人でいたくねぇんだなと勝手に想像する。しかし、相手が俺だって、ホントにわかってんだろうか?
 取り敢えず、皺になるじゃねぇかと一本一本の指をはずしながら、強引にひっぺがす。そうして、今度つかんできたのは、俺の手だった。握られたことにも驚いたが、やはりその熱さに驚いた。熱く汗ばんだ手のひらに包み込まれるように握られても、相手が男であり、あの桜木花道だとわかっても、別に嫌な感じはしなかった。それよりも、なんだかこんな奴でも可愛そうだと思うくらい、俺の心は広いと自分で感心した。直接伝わってくるコイツの体温も心音も、何やら不思議な感じがした。これまでけんかしたことはあっても、コイツが生きてるんだとか、考えたことはなかった。その熱さが俺に移ってきているようで、風邪が手から移ったらどうしてくれるんだ、とか思ってしまった。
 お前のいないバスケはなんかいつもとちげーんだよ、どあほう。早く直せよ。
 俺は、いつの間にか、桜木の腹の上に突っ伏していた。

 
 何のバイトか知らねえが、明け方水戸がやってきた。俺はそんな音くらいじゃ起きなかったが。頭の上で、突然騒ぎ出した声に、ちょっとだけ意識が戻ったってくらいだった。
「ぬぉっ?! なんで俺ルカワと、じゃなくって、なんでルカワがここにいるんだ?」
「何いってんだ、花道。見舞いに来てくれたんだろ?」
 諭すような水戸の声が聞こえる。
 ようやく解放されたらしい自分の右手は、奴の力強さのおかげですっかり痺れてしまっていた。血流が止まって、腐ったらどうしてくれるんだ、どあほう。そんなことを考えながら、俺は全く動かなかった。
「とにかく。ルカワに感謝するんだな。一晩中付いててくれたんだぜ?」
「ふん! 俺は頼んでねー!」
 それだけしゃべれるようになったなら、元気になったってことなんだろうな、と思った。確かに頼まれちゃいねーが、と文句もいいたいが、それよりもねみー。
「あのなぁ花道。素直になれよな、人がいて嬉しかったってさ」
「ルカワは何もしてねーぞ!」
「お前、自分で着替えたのか?」
「・・・あれ・・・そういえば・・・」
「な? お前のこと、気に掛けてくれてたんじゃねぇか」
 着替えたことに気付かなかった桜木はバカだと思ったが、水戸の言うことにおやと思ったので、文句を言おうと起きてみる。
「「んなわけねーだろ!」」
 桜木と俺の声は、見事にハモった。水戸は、何やら楽しそうに笑っていた。
 

 

 

2000.7.25 キリコ 

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