懺 悔

 

 俺が目覚めたとき、窓から入る日差しはかなり眩しかった。雨は降ってねぇなと思いつつ、自分がどこにいるのかピンと来なかった。桜木の家だ、と思い出した途端、体がゾクリと粟立った。

 目を閉じて、人の気配を伺うが、たぶん何も感じない。シャワーやトイレの音もしない。すぐそばにあるキッチンもシーンとしている。もしかして、俺一人なのかと、何とも言えないため息が出た。一人で安堵した、ともいえるし、一人だからどこか寂しく感じた、ともいえる。

 ふとんをそっとめくると、なぜかちゃんとスウェットを着ていた。確か、途中まで脱がされて、そのまま眠ってしまった気がしたが。そんなことを思い出し、体が反応しそうになったのに驚いた。
 なぜ、大嫌いなはずのアイツに触れられて、俺はイッてしまったのだろうか。
 考えるよりも、とにかく俺は怠かった。どこに行ったか知らねーが、アイツがいない間に帰ろうと思ったり、でももう一度寝直したいと思ったり、ボーっとしてる間に少し眠っていたらしい。

 ドアをノックする音が聞こえ、目覚めたが、体を起こそうとは思わなかった。相手は何度かノックし、ドアノブを回した。驚いたことに、鍵は掛かってなかったようだ。
「…花道? いないのか?」
 水戸が中に入りながら聞いてくる。俺は、自分がどう接すればいいのか悩んだ。しかし、隠れる時間もなければ、場所もなく、玄関からここはほんの数メートルだ。水戸が俺を見つけるのに、時間はかからなかった。
「……流川?」
 俺は、ふとんの端から顔を出し、驚いて見開いている水戸の目をまっすぐに見つめた。

 

 水戸は、桜木を捜しに行った。心当たりがあるんだろう。アイツらは、付き合いも長いようだし。
 俺は、あくまでふとんから出ず、また眠りに落ちるところだった。
 ドアの外で、桜木と水戸の気配を感じ、耳を澄ましたが、話している内容までは聞こえなかった。
 しばらくして、桜木だけが家の中に入り、水戸が少し大きな声で「誕生日おめでとう」と言って去っていくのがわかった。
 桜木は、俺のそばに座った。しばらく、座り心地が悪そうに、貧乏揺すりしていた。

「………ルカワ。すまねぇ…」
 いきなりそう来たか。桜木が、俺の顔をのぞき込んでいるのが何となくわかる。俺は、顔半分を枕に埋め、寝たふりをしていた。水戸が、そうした方がいいと言ったからだ。それにしても、コイツが俺に向かって謝る日が来るとはな…。
「…俺、あんなこと…いきなりするつもりじゃなかった…」
 ってことは、いつかはするつもりだったってことじゃねぇか?
「…正直言って、なんでかわかんねんだけど、俺、お前見てっと、その、体が反応しちまって…」
 今、コイツが顔を赤くしていることがわかる。突然あんなことをしでかすような奴だが、そういう方面にはどちらかというと純情な方だろう。このテの話のとき、コイツは必ずどもる。
「べっ、別に、男が好き、とかそんなんじゃなくて…」
 俺は男だ。どあほう。男の俺に反応するなら、ホモなんじゃねぇのか? いや、ちょっと待てよ。その理屈から言うと、俺もホモってか? 冗談じゃねー…。
「洋平に、教えてもらったんだ」
 お前は水戸がいなきゃダメなようだな。もっとも、今の俺も、多少水戸に頼ったが。
「…なんてーか、俺、おめーんこと、結構、気に入ってる、ってゆーか、惚れてる、とかじゃねぇけど……キスしたいなーって思うのは……」
 後の方の言葉は、ゴニョゴニョしてよくわからなかったが、コイツが俯いて真剣に話していることは感じ取れた。ちょっと待て。なんだその「気に入ってる」だの「惚れてる」だの…。
 頭がパニックになりそうで、自然と眉を寄せてしまっていた。桜木はしばらく黙ったままだった。俺の方に体を倒してきたのが気配でわかり、妙に落ち着きなくなり、俺はいったいいつ起きたらいいのか、聞いてなかったことを後悔した。
「……ルカワ?」
 ホントにそばで聞こえた。俺が起きているのがバレたかと思ったが、桜木は俺の唇を舐めてきた。
「…ココ、切れてんじゃねぇか……」
 もう血も出ていない唇を桜木は何度も舐めた。昨日、声を出さないように食いしばって出来た傷。てめーのせいだ、と思った瞬間、舐められたままでいることにした。
 唇の、端から端を舌でなぞり、ゆっくりと離れていく。たったそれだけのことなのに、俺の口はおかしな声を出すことを許してしまい、桜木も俺も驚いた。
「…ルカワ? 起きたのか?」
「……………どあほう……」
「…体、ダイジョブか…?」
 コイツは心配性だ、と思う。自分のことには結構無頓着なくせに。
 そういえば、さっき水戸も俺の体を心配してくれてたな。なんのことだろう、尻は大丈夫かってのは。
 いい加減目を開けてもいいだろうと見上げると、すぐそばに心配そうに見下ろしてくる桜木が見えた。しかし逆行であまりはっきりとは見えないが。それでも、コイツが顔を洗ってないことも、頭がボサボサなのも、見て取れた。確か、コイツは外から帰ってきたばかり、だったよな…。
「…てめー、そのまま外に出てたのか」
 思わず小さく笑ってしまう。格好つけのコイツが、こんなボサボサ頭で顔も洗ってねー状態で、どこに行ってたんだか。すれ違う人は、さぞかし怖かったろうと笑えてくる。
「……洋平にも同んじこと言われた……」
 てめーを知ってるヤツならみんなそう思う、と言いたかったが、妙にシュンとしているコイツにこれ以上の追い打ちもいらねーかと止めた。
「…やっぱどあほうだな…」
 本当にどあほうだと思う。手の掛かるヤツ、って感じだ。水戸も面倒見がいいんだろう。お節介ともいえるが。
「………そんなことねー」
 いつもと反応が違って、少し驚く。顔を横に向けて、拗ねているように見える。そんなに口をとがらすんじゃねーどあほう。
 目を瞑って頭を枕に沈めると、ホッとしたため息が出た。
 俺が、桜木の顔を見てどんな反応をするのか、自分でもわからなかった。質問責めだった水戸にいろいろバレてしまい、こうしておけ、と言われて大人しくそうした。そのおかげなのか、水戸が桜木に何か言ったからなのか、今、俺達はいつも通りだ、と思う。
 そのことに、何故か安堵して、ため息ばかり出た。
「…ルカワ。殴っていいぞ…」
 そう言って、歯を食いしばって目を瞑った。けんかはしても、殴れと言われてじゃぁという程、人を殴る趣味はねー。それでも、コレがコイツのけじめだというのなら、そうするのがいいのか、と思った。
 俺が、起きあがった音に、桜木はますます身構えた。勢いをつけようと深呼吸すると、肩がピクリと震える。もしかしたら、コイツが無条件で殴られるのは、初めてなのかもしれない。
「……どあほう…」
 言葉付きで、俺は殴った。アゴがガツンとなる。何に対して殴ったのかわからねーまま殴るのは、後味が悪かった。まだけんかの方がマシだ。だから、けんかにしよう、どあほう。
 2発目は、ふとんから足を出す。きっと構えていない腹あたりを狙ってけっ飛ばした。桜木はうっと呻いて、目を開けた。
「…おめー、何発殴る気だ?」
「…殴れっつったのは、てめーだ」
 そう言って、また振りかかると、桜木は構えた。ここからはきっとけんか慣れしてる人間の本能で、殴り返して来る。そうなると、こっちも逃げたり構えたり、殴り返すチャンスを探す。部屋の中だということも忘れて、俺達は上になり下になり殴り合う。巨体同士の乱闘は、さぞかしうるさかっただろう、と後から思った。
 必死になって、いつものように怒った目を向けて殴り掛かってくるコイツが、何故だかおかしくて、一瞬笑った隙に、結構痛いのが来た。コイツは本当にバカ力だ。さすがに、きまったかどうかはわかるらしく、桜木は慌てて次の拳をしまった。
「ゲッ! ルカワ? オイッ?」
 ふとんの上に頭を倒れ込ませ、俺はほんの少し目がチカチカしていた。
 顔中痛く、荒くなった呼吸を整える。同じくらい動いたはずのコイツは、すでに普通に話せるくらい落ち着いていた。ちくしょう、体力ではかなわねーか。
「…ルカワ? タオルだ」
 またコイツは、冷たいタオルを俺の顔に乗せた。大の字に寝たままの俺は、腕を動かすのも億劫だった。桜木は、俺の顔や頭を拭き始めた。
 大きな熱い手が、タオルの後を辿る。耳や頬を撫でられて、くすぐったくて笑いそうになる。意外にも繊細に動く指が、瞼や頬を撫でる。穏やかに動くその指に、少しだけ、ちょっとだけウットリしそうになったとき、俺の両頬を引っ張りやがり、額に青筋を立てた。ムッとしたのがわかったのか、その頬をあやすように挟み込み、親指だけで、ゆっくりと唇に触れてきた。
「……ルカワ…キスしていいか?」
 これまで一度もそんなことは聞いてこなかったくせに、何を今更。
「もう二度としねー」
 俺は即答してやった。俺の返事に、指の動きも止まったが、また頬を引っ張り、駄々をこねやがった。
「……なぁ、俺はしてー…」
 お伺いってヤツを立てても、人の意見なぞ耳には入らないらしく、勝手に口付けてくる。どうせするなら、聞いてくるなってんだ、どあほう。聞かれても、どう答えていいのか、わからねんだから。
 触れるだけのキスから、チュッと音がするキスへ変わり、離れていく間をぬって、一応文句を言ってみる。
「…俺はしねーって言ってる」
 そう思ってそう言っているのに、俺は首の角度をちょっとだけ曲げて、コイツに協力していた。触れるだけじゃなく、と望んでいるつもりはないのに、勝手に口がうっすらと開く。コイツを迎え入れるために。
 頬を挟んでいた手は、いつの間にか俺の両手を顔の横で固定していた。舌が触れあう度に、俺の指がピクリと動き、その指先にコイツの手を感じたから気が付いた。その手はやはり熱くって、いつもの桜木だ、と安心する。指を絡め合うと、不思議な気持ちになる。
 

初はなる?(笑) ホントは服着てるはず〜


 俺達は、きっとこういうことには初心者で、ムードもなければキスもヘタだ。角度もタイミングも、呼吸のタイミングもわからず、ぶつかり合うように触れあわせ、ときどき歯がカツンと鳴った。舌を絡めることもわからず、ただお互いの口腔内を行ったり来たりする。唾液の音に、少し照れる。
 桜木の舌が、俺の良いところに当たる度に、体の中心に熱が溜まっていくのを感じる。体が反応するのを止めることが出来ずにいた。いちいち手をギュッと握りしめてしまい、それがわかるらしい桜木も、同じ所を責めようとする。
 鼻からしか出来ない呼吸で、必ず漏れる「ふっ」とかいうのがイヤで、キスを止める。
 アゴや頬が触れるとチクチクし、俺よりヒゲがしっかりしているのが気に入らない。
 砕けそうなくらいになっても、負けず嫌いの俺は、絶対に参ったとは言わねー。
 その口が、耳で立てる音に肩がピクッとする。こういう動きは反射ってヤツで、俺の意志では止められない。そんな反射が起こりそうな場所にばかり、コイツは口付けてきやがる。傷ついたアゴあたりや、のけぞった首筋や、浮き出た鎖骨を軽く噛まれたときには、もう声も抑えられなかった。
 トレーナーの上から、胸をまさぐられただけなのに、おかしな気分になり、その突起にまた悩まされる。直接噛まれたわけでもないのに、桜木の口に含まれてタッているのが自分でわかる。ヤメロ、と思うのに、同時にもっとと思い、桜木の首に腕を伸ばしてしまう。自分がキスしてほしいところに、自分で導く。
 じかに触れられて、あられもない声をあげる。そんな声よりも、と口が勝手にコイツを呼ぼうとした。
「……サ、クラ…」
 その声と、ほぼ同時だった。

「ぃようっ! 花道っ!」
「花道ー! 祝いに来てやったぞーー!」
「なんだよまだ寝てんのかー! ケーキあるぞ! ほら特大サイズっ!」

 俺達はビックリして一瞬抱き合った。

 文字通り飛び起きて、入ってきそうになっていた桜木軍団に頭突きをかましている音が聞こえた。きっとプシューーッと倒れ込まれる前に、外に追い出したんだろう、ドアの鍵を閉める音も聞こえた。
 このどあほうは、また鍵も閉めずにいたのか。盛大なため息をついて、俺は服を元に戻した。

 戻ってきた桜木は、立ち上がった俺に驚いたようだ。
「…ルカワ…?」
 その顔は、もしかしてさっきの続き、とか思ってんのかもしんねーが、はっきり言って、そんな気は失せた。
「…バスケしにいく」
 スタスタと、洗面所に向かう。桜木が「エーーッ」と叫ぶのが聞こえ、おかしくて笑ってしまった。滅多に見れない笑顔を見たのは、鏡だけだった。

 

 

2000.9.28 キリコ

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