雨の夜桜 

 

 春休み最後の土曜日。来週の入学式の後、新しいバスケ部員が入ってくるかもしれない。そうなると、俺達は先輩と呼ばれるようになる。
「後輩の面倒は、この天才がっ!」
 そう言いながら、シュート体勢に入る。意識が余所へ向いているとき、桜木のシュートは決まらない。
「…おい花道、それで先輩ってか?」
 キャプテンが鋭いツッコミを入れる。手厳しいようにも感じるが、事実だ。デキのいい後輩が入部してきたら、どうなることやら。
「ふ、ふん! 天才も木から落ちるってヤツだっ!」
 ドリブルしながら、体育館の端まで走っていく桜木に、誰も指摘しなかったが、ちゃんと自分で猿だと自覚してんのかと呆れた。思わず呟いた「どあほう」という言葉も、今日は聞こえなかったようだ。
 キャプテンが俺の方を向いた。
「流川? お前、今日も残るのか?」
「…うす」
「じゃ、これ頼むな」
 そういって、体育館の鍵を渡す。いつものことだ。
「花道ー? お前も居残って、せいぜい練習に励めっ!」
「リョーちん!」
 笑いながら桜木を軽くあしらう様は、前赤木キャプテンに似てきた気がする。俺達のけんかを止めるのもうまい。いや、彩子先輩の方がビシッと止めるかもしれない。ハリセンで。

 外は春の雨で鬱陶しい。夕方になれば止むかと期待したが、からぶりだった。
 桜木と二人で残っても、それぞれ練習することが多い。俺は俺で自分の力を伸ばしたいし、アイツはアイツできっと俺に敵わないのが嫌なのだろう。教わるのは絶対に避ける、と思う。口でエラそうにしてても、アイツが俺に届くにはまだまだ時間が必要だ。そのことを、アイツは自覚していても、認めたくないに違いない。いや、そんな殊勝なヤツかもわからないが。
「…ルカワ? ボチボチ帰らねーか?」
 ボールを止めて、桜木が話しかけてきた。確かにだいぶ集中してやっていたが。
「…勝手にあがれ」
「ふぬっ! せっかくこの俺が声かけてやったのにっ!」
「……」
 なんだ、その尊大な態度は。声をかけられずとも、そろそろあがろうとしていたのに、こういう風に言われると反発したくなる。結局は、コイツの言うことを素直に聞く気はないってことか。それでも、さすがに疲れた俺は、一人部室に向かった。後片づけは、コイツに任せよう。
 部室でのんびり着替えていると、息を切らした桜木が入ってきた。
「こらルカワ! モップがけくらいしろよ!」
 きっと、一人でやってきたんだろう。ごくろーさん。
「…てめーの方が、後だったじゃねぇか…」
 最後の部員が片づける。理屈に合ってると思うが、気に入らなかったらしい。怒った顔をしたまま着替えだした。Tシャツを脱ぐ音、シャツを着る音、これらの衣擦れの音がやけに耳に付く。こんなにうるさい雨の中で? 男の着替えなんか、と思うのに、横目でその動きを見てしまっていた。
「……後輩が来たら、きっとそいつらがする」
 ボタンを留めていた桜木は、顔をあげて俺の方を向いた。意味がわかったのか、特に返事もしなかった。
 別に、新人がすべきだ、という考えでいるわけではないが、きっと部活の上下関係というものの一つだ。俺が居残ったなら、俺がする。それだけだ。
 俺達は、先輩になるんだ、桜木。

 暗い雨の外を見つめ、ため息をついた。汗で濡れるのと、雨で濡れるのは違う。きっと制服がドロと共に濡れる。まぁ洗濯するのは、俺じゃねぇが。
「…なぁルカワ。…ちょっと寄り道しねぇか?」
 まっすぐに家に帰るのもうんざりしていた所に、隣に立つ桜木が誘ってくる。
「イヤだ」
 即答する。どこへ行くのも、こんな日は嫌だ。
「…なぁ、行こうぜ? たぶん今日しか見られないんだ…」
 何のことかわからないが、今日しか、という言葉に少し反応した。それでも説明しようとしない桜木を見つめ、先を促した。
「…こっちだ」
 シトシトなどとかわいい雨じゃない中を、二つの大きな黒い傘を並べて歩く。今日は俺は歩いて来ていたから。ときどき桜木が前を歩き、真っ黒い傘と真っ黒いガクランで、その存在が見えなくなる。確か前にもそんなことを思ったな、と自分の記憶力を感心する。
 桜木について行くと、学校から少し離れた広い公園の中に入っていき、こんな雨の中に何しに来たんだと尋ねたくなった。
「…オイ?」
「こっちだ」
 取り敢えず通じたらしく、返事をしてきた。
 こんな雨の夜、当然人の気配もなく、舗装されてない公園内は当然水たまりだらけで、俺達の足下はドロドロだ。それでも、俺は大人しくついていった。
 桜木は、公園の奥の方の大きな木の下で止まり、俺を振り返った。
「これ、何の木かわかるか?」
「…サクラ」
 それっくれーわかる。まさか、この咲き終わったサクラを見せに来たってんじゃねぇだろうな…。サクラは、学校にもある。今年は早めに咲いてしまい、入学式を待たなかった、と誰かが言っていた。俺は、そういえば咲いていたな、くらいしか、覚えてない。
 俺は、その大きなサクラの木を見上げ、ため息をついた。
「…もー散ってる…」
 特別怒っているわけではないが、散ってしまっているサクラの木に、感動はしなかった。
「下を見ろ、ルカワ」
 傘でよくわからなかったが、桜木は下を見ていたらしい。泥だらけだろうな、と下を向く。
 そこには、サクラの花びらがたくさんあった。うまく表現出来ねーが、その木の下だけ、雨がそれほど当たらないからだろうか、この花びらはこの木から落ちたのだろうか、それは、
「サクラのジュータン」
 まさしく、桜木の言う通り、だと俺も感じた。薄いピンクで、地面が被われていた。俺は、驚いた。
「…このサクラ、大きいだろ? 毎年散った後、ジュータンみてーで、俺は好きなんだ。散ってしまった花びらも、こんなにきれーなんだ、って思うんだけど…」
 ずいぶん流暢に話していたと思ったら、突然声が小さくなりだした。
「…きれーだな」
 俺がそう言うと、我が意を得たり、とまた話し出した。
「サクラが咲いて、必ず雨が降って、その後きっと風が吹く。花びらがここにあるのは、きっと今日だけなんだ」
 だから、俺を連れてきた、というのか。
「…だから、今日はおめーにも見せてやろうかなー…なんていう、俺の広い心に感謝しろよ? ルカワ。きっとてめーは、情緒ってモンを理解してねーだろ?」
 何が情緒だ、とは思うが、反論は出来ない。俺は、サクラが咲いていることも、散ってしまったことも、その花びらがどうなるのかも、気付きもしなければ考えたこともない。
「今年のサクラは終わっちまった。来年も同じように咲くかもしんねーが、今年のサクラは今だけだ」
 正直言って、毎年入学式の頃咲いてる花だ、としか認識してなかった。
 俺は、そういう考え方を、ときどき桜木から教わっている気がする。俺には、桜木みてーなものの見方は出来ないからだ。改めて、気付かされることが多いと思う。そんな桜木を、不思議に思う。
 知らないコイツに驚かされて、その度に実感する。
 この、巨体で真っ赤な髪でバスケ歴は1年で、俺にキスしたがるコイツの中に、どれだけ俺の知らない桜木がいるのか、他人に興味を持ったことのない俺が、知りてーと思う。
「……きれーだな…」
 同じことを呟く。言葉がうまく出てこなかった。
 桜木が、小さく笑ったのがわかった。そして、真っ黒い傘の端からニュッと手を出し、俺の手を握る。息も白くなるような、この冷たい雨の中でも、コイツの手は温かかった。

 

 

2000.10.2 キリコ  

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