髪
俺の髪は真っ黒だ。特別気にしたことはなかったが、あの真っ赤な髪を意識しだした頃、俺の髪はどうだったっけ、と疑問に思った。おかしな髪型にセットしてくるアイツとは対照的に、俺は何もしていない。そんなところに時間をかける気力がねーんだろう。それよりももっと寝ていたいからだ。
その桜木が、髪を切ったのだ。後輩達は、大爆笑したら怖いかもという思いを持ちつつ、必死で笑いをこらえているようだった。一方、桜木と同級の俺達や先輩達はその姿は見慣れている、と言ってもいい。確か、去年試合に負けてしまったのが自分のせいだとのぼせたアイツは、けじめだかなんだか、髪を切った。ボーズみてーに。そして今、まだ何もしていないのに、またボーズになった。
「おい花道? どーしたんだその頭」
そういって指さしながら、宮城キャプテンは笑っている。一度は見たことがあっても、やはりなんとなくおかしいのだろう。
「ぬ? 変か? リョーちん」
そういって、頭をボリボリかく。
マネージャーが「かわいい」と言って頭を撫でる。桜木は大人しく上半身をかがめ、顔を少し赤くしている。そのとき、俺の胸あたりが音を立てた気がした。何だろうと疑問に思いながら、俺の体は勝手に動いていた。
手に持っていたはずのボールは、桜木の切ったばかりの頭を直撃した。
「な、何をするっ!」
桜木が、キッと俺を睨んでくる。俺はそれに安心して練習を始める。けんかもいいが、今は部活を始めたい。タイミング良く宮城キャプテンの号令がかかる。
桜木は、ずっと俺の横顔を睨み続けていた。後で知ったことなのだが、桜木は県大会に向けて、気持ちを引き締めるために切ったのだそうだ。意気込みは理解出来るが、なぜそれが髪を切ることなのかはわからなかった。これを教えてくれたのは、水戸だ。
「アイツもよく切ったよなぁと思うんだ」
屋上で水戸が遠くを見ながら呟いた。
そういえば、俺は時々水戸と桜木の話をする。話をするというよりは、ただ聞いているだけなのだが、なぜコイツが俺に言うのか、未だにわからない。俺達のことを知っている、のだろうか。
「……たかが髪じゃねぇか…」
伸びてきたら切る、くらいにしか考えたことのない俺は、その考えがわからなかった。
「…そうだな」
水戸は、人の意見をちゃんと聞く。だから、一度は肯定する。
「だけどさ、アイツにとってあの髪の色と髪型は、桜木花道としての大事なスタンスなんだ。目立ちたいとか、不良とか、そういうのじゃなく。……わかるか?」
水戸が、俺の横顔を見ているのがわかった。
「……なんとなく…」
実のところ、男のプライドとかいうものをどこかに持つ、というのはなんとなくわかる、という「なんとなく」だった。それが、髪の毛だというのがどうにも理解出来ないだけだ。
水戸は、俺の顔を見たまま小さく笑った。目を合わせると、「仕方ねーな」という表情にも見える。不思議なのだが、俺は水戸に対してキれたことはない。どんな質問をされても、俺は割と大人しく答えてしまう。怖いと思ったこともねーんだが。たいして話したこともないが、コイツは人をよくみているやつだ、と思う。
「…あいつはバスケットマンになったからな…」
そう水戸は、少し寂しそうに呟いた。
俺がこの言葉の本当の意味を理解するのは、まだまだ先の話だった。
それから数日後、いつものパターンで俺は桜木のふとんの上にいた。
実は、いつものことだいつものことだ、と何回自分に言い聞かせても、その日だけは落ち着かなかった。何が違うんだろう、と自分に尋ねる。特別何もないとしか、自分では返事できない。
これがパターンの一つになってしまった、桜木にしがみつく俺は、そうしたまま目を閉じていた。ほんの少し手を上に滑らせたときに、俺はやっとわかった。
桜木も、俺がいつもと様子が違うことに気づいていたらしい。
「……おめー、どうしたんだ?」
そんな言葉は、パターンの中に入っていなかった。俺は、どうした、と聞かれても答えられなかった。腕にギュッと力を入れると、桜木はそのまま続けた。
俺は、やけに緊張して、なのにさっさとあおられてイッてしまった。
昼間より少し掠れた低い声も、全身に吹き出る汗の匂いも、包み込んでくる腕の熱さも同じなのだ。よく知っている夜の桜木なのだが、今日は違うのだ。まるで知らない人としているかのような錯覚に、俺は戸惑っていたのだ。だけど、熱を与えようとする手や唇はいつもと変わらないから、押しのけずにいられた。
ただ髪型が違う、というだけなのに、いつもの桜木っぽくない、というだけで、俺は落ち着かなかったのだ。
呼吸が整うまで、俺は目を閉じたままでいた。
「…おめ、ダイジョブか?」
これ以上、パターンからはずれないでほしいと思うのだが、そう口にするのも情けなく、「何ともねー」としか言わないでいた。見つめてくる視線に何となく耐えられず、俺は自分で立ち上がろうとした。ところが、意外と力が入らないことに気づいた瞬間、俺はペタンと座り込んだ。
「オイッ」
と、心配そうに、桜木は俺の両脇に手を入れた。
結局支えられて、風呂で流される。黙々と決まった仕事をする桜木は、いつもの桜木だ。二人分の情欲が吐き出された俺のお腹あたりを、俺を立たせたままいつも念入りに洗う。
立て膝の桜木の上から、そっと頭に手を置いてみる。チクチクするような感触に、一度は手を引っ込める。これまでなら、俺の指が隠れてしまう髪だったのに、今は差し込んでも倒れない長さだ。こんなときにふと、頭を撫でていたマネージャーを思い出して、同じようにしてみる。かわいい、とは思わないが、想像していたより、触り心地は良かった。
「……ルカワ?」
呼ばれてハッとする。気がついたときには両手で桜木の頭を撫でていた。そして、呼んだと同時に目の前にあっただろうオレを掴んできた。いつの間にか、オレは重力に逆らっていたのだ。
次の瞬間、お湯がかかったわけでもないのに、やけに熱い感触にオレが包まれた。熱いだけでなく、脊髄がビリビリくるような快感に、俺は立っていられなかった。
「…ふぅ…ん…」
誰の声かわからないような、そんな言葉にならない声しか口から漏れなかった。湯船につかまった俺は、エコーとなった自分の声に余計に煽られて、またさっさとイッた。
「ルカワ…」
脱力した俺の耳元で、桜木が色っぽい声で呼ぶ。男のコイツにおかしな表現だが、そうとしか言えないような声だった。桜木はゆっくりと俺の右手をジブンに導き、そっと握らせた。やたらと熱いソレに、俺はドキリとした。力の入りにくい手で掴んでも、ただ握るしか出来ない俺に、桜木はそのまま自分が動き始めた。俺の肩を抱き寄せるようにきつく引き寄せ、俺の肩口に口付けながら、そして俺は自分の手でコイツを握りしめながら、初めて絶頂に導いた。
二人でしばらく風呂場でぼんやりしていた。ハァハァという荒い呼吸だけが、またエコーしていた。桜木は俺を抱きしめたままだ。
俺は、こういうパターンもアリか、と先ほどまでの緊張もどこへやらで、すぐに順応してしまう自分自身が、怖い気がした。
2000.10.16 キリコ