出発前夜

 

 インターハイに出発する前日、体に負担をかけないために練習は午後早くに終わった。キャプテンからの簡単な連絡事項だけで、解散する。ただ、
「遅れるなよ」
 と、集合時間だけ、何度も注意していた。
 それ以外は、いつも通りにも見える。でも違う。
 全国へ向けての旅立ちに、勢い付いていない者はいない。日頃、部員をあまり気にしたことのない俺でも、みんなの顔つきが違うことがわかる。オーラのような、メラメラした気持ちが見える気がした。
 いつもヘラヘラしている桜木ですら、今日は引き締まった顔に見える。「ワクワクするぜー」とか言いそうな場面なのに、何も言わなかった。それが意外で、その顔をじっと見つめてしまっていた。
「流川、花道、今日は居残り禁止だからな?」
 帰る寸前に、くぎを差されてしまった。

「なぁルカワ、ラーメンでも食ってかねー?」
 最後まで残った部室で、桜木が珍しい誘い方をした。コイツが俺をメシに誘うのは、これが初めてだった。
「…このくそあちーのに、ラーメン?」
 思わず眉を寄せてしまった。
「お好み焼きでもいいぞ?」
 そんな俺に気付かないのか、また熱いものを提案してくる。
「…どっちにしろ、あちーじゃねぇか…」
 俺が盛大なため息をつくと、桜木はちょっと弁解をはじめた。
「あのなー、暑いときこそ、熱いもん食った方が体にいいんだ! 特にてめーは冷やしちゃヤベーだろ?」
「……」
 何がヤバイというのだろうか。冷え性だといいたいのだろうか。よくはわからないが、俺の体調まで勝手に心配して、それでも誘ってくるコイツに感心して、ついていくことにした。

 外は陽炎が出るような、立っているだけでも汗が伝う暑さだった。そんな中、存在がアツイこの男と、わざわざ熱いメシを食いに行こうとしている、そんな俺にため息を自分でついた。すぐに脱水しそうなのに、桜木は元気良くしゃべり続ける。つばを飛ばしながら、ひたすら口を動かしていた。
「どっちも食いてーだろ? だから、半分コな?」
 人の倍は食べているだろう桜木は、俺が注文したのと違ったものを頼み、それを分け合おうと言ったのだ。一枚のお好み焼きは、一人で食べるものじゃないのか、と不思議に思った。
「これは俺んだ…」
 俺の半分を持っていこうとした桜木に、つい反論する。
「だから、俺のを半分やるからよー」
 全然悪気はないらしいし、当たり前のようだった。ダチってのは、こうやって食べ合うものなのか、と驚いた。
 食べている合間にも、ひたすらしゃべる。つばだけでなく、何かが飛んでくる。俺のお好み焼きに飛んでくるのがイヤで、端に避けたりした。
「コラァ 残すんじゃねぇ! ゆっくりでいいから食え!」
 まるでおふくろみてーなことを、でっかい声で怒鳴る。店中の人間がビクリとしただろう、そして今日は誰も残さないだろう。俺は、なんだか無理矢理食べた気がする。夏バテになっちゃならねぇとは思うのだが、夏は、食欲が落ちる。

 帰ろうと家に向かって歩き出すと、また桜木は引き留める。
「な、なぁ? 海に行かねーか?」
 すぐそばにある海に、行きたいなら行け、と言おうと思って振り返る。それでもその表情と、さっきからしゃべり続けてるコイツに違和感を感じ、黙ったまま付き合うことにした。
 さすがに夕方には泳いでいる人も少なかった。それでも砂浜を歩く制服で長身の俺達は目立っていたと思う。俯いたまま黙々と歩く桜木と、防波堤で座り込んだ。
 生ぬるい風だったが、穏やかな海風に少し目を閉じたりした。波の音もときどき不規則で、じっくり聞き入ってしまっていた。
 誘ったはずの桜木は、ずっと黙ったまま、俺の横に座っていた。
 いつまでそうしているつもりなのだろう。帰ろうとすると、何とか引き留めようとしていることがはっきりとわかる。立ち上がった俺の腕を、熱い手で引っ張る。
「…荷物用意して、行く」
 そういった瞬間、桜木の顔がホッとした気がする。

 桜木の部屋でも、コイツは勢い良く話したかと思えば、いきなり黙り込んだ。そのふてくされた顔を見て、去年の初めての練習試合を思い出した。
「…てめー、緊張してんのか?」
 真っ暗な部屋の中で、天井を向いたまま聞いた。怒り出すかと思ったが、顔を逸らした音だけが聞こえた。
「いや… そういうわけじゃねぇんだがよ…」
 しんみりとした、静かな声だった。少し体を起こして、俺は桜木の顔をのぞき込もうとした。こんな素直な桜木は、おかしいのだ。いつものコイツじゃない、と思ったから。
「ばっ ばっかだなぁ! この天才の俺様が緊張するはずねーだろ?」
 明るいけれど、上擦った声で言う。俺から逃げるように、起きあがって後ずさった。
 暗い中で見えたその表情は、確かに緊張とは少し違うようにも見えた。陵南との練習試合にガチガチになっていたときとは違うのだ。この顔は、もしかして、
「…てめー、コワイのか?」
 からかうつもりでも、茶化すつもりでもなく、真面目に聞いた。自分でも驚くくらい、真摯な声だったと思う。桜木は、返事をしなかったが、俯いたのが肯定とも取れた。
 桜木は、また怪我をするのでは、と怖がっているのだと勝手に解釈した。あの後、長い時間バスケを制限されたことが苦痛だったと感じるくらい、コイツはバスケットを好きになっていて、真剣だったのだ、と再認識した。
 俺は、言うべき言葉も見つからず、黙ったまま桜木の頭を引き寄せた。一瞬体を強ばらせた桜木は、すぐに力を抜いて俺にもたれ掛かった。

 


挿し絵になってない挿し絵…

挿し絵のつもりが、花道の髪型は違うし、裸でもないはず…(><)


2000.11.22 キリコ

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