カエデ
寒くなると、動きたくなくなってくるものだ。バスケのためならまだしも、それ以外のことで早起きはゴメンだ。
夏が終わってから、あっという間に冬が来る気がする。単調な毎日だからだろうか。変化がない、といえば確かにそうかもしれない。俺自身も、バスケットも、俺と桜木も、変わりなく季節を迎えていた。すべての配置を覚えてしまうくらいこの部屋に来ていた。いい加減照れも緊張もなく、自由にしている。寝そべったり本を読んだり、そのことに口では文句を言うアイツも、特別怒っているわけではないらしい。それでも、俺達にはあまり会話はなかった。
日曜日の朝、またこの部屋で朝を迎えた。不思議なことに、最近は目覚めたとき、一人なのだ。この部屋の主が、いないから。最初は「あれ?」と思ったが、すぐに「まあいいか」という気持ちでもう一度眠りに入る。たいていは、2回目に目覚めたときにはキッチンにいるからだ。どこに行っているのか知らないし、聞こうとも思わなかった。なんとなく、わかっている、と思う。
ところが、その日の朝だけはたたき起こされた。
「おいっ起きろキツネ!」
ふとんの上から体ごと揺すぶられる。嫌でも目が覚めるが、こういうのは好きではない。当然不機嫌になる。
「…うるせー」
頭からふとんをかぶる。毎朝母親との戦いのように、「あと5分」と言わなくて済む休みの日に、なぜ起こされなければならないのか。
「いいから起きろって!」
勢い良くふとんを引き剥がされ、一気に体温が下がる。無防備になった自分が可哀相で、体を丸めてしぶとく寝ようとした。それがわかるらしいコイツも、強引に俺の腕を引っ張った。
「…いったい何なんだよ…」
顔を上げた瞬間、頭からガサガサと音を立てるものが降ってきた。慌てて閉じた目をゆっくり開くと、パジャマやふとんの上にたくさんの落ち葉が拡がっていた。ちょっと暗い紅の葉を一枚取り上げると、頭の上の落ち葉が落ちてきた。
「…何だこれは…?」
俺が寝ぼけているのか、そうでなければなぜこんなものがここにあるのか。
「おめー、落ち葉、知らねーのか?」
「…どあほう…」
「やはり情緒を介さねーからな! じゃぁこの葉っぱの名前知ってっか?」
なぜそんなにもエラそうに言うのだろう。いやそれよりも、朝っぱらから何を、と呆れた方が大きかった。
それにしても「情緒を介さない」というのは、前にも言われた気がするな…。
「これはな、カエデだぞ?」
「…知ってる」
「あれっ… 知ってたのか?」
一枚のカエデを指でクルクル回しながら、ぼんやりと落ち葉を見ていた。自分の名前について、知らない奴はいないだろう。「楓」という名が付いているのだから、この木のことだけは知っていた。
「カエデはきれーだろ? だから俺の名前にされたんだ」
これは大ウソだった。俺は、まだ寝ぼけているに違いない。
「バカ野郎だなぁおめーは。カエデとおめーは別モンだろうが、それにな…」
「…? それに、何だ?」
桜木は、カエデを一枚拾い上げて、同じようにクルクル回しはじめた。
「このカエデ、散ってたんだぞ? 冬には消えるんだ」
キシシシシとおかしな笑いをして、俺を指さした。このどあほうは、カエデと俺を引っかけて、どちらも「散る」と言いたいのか。なんとなくムッとした俺は殴ろうかとも思ったが、言い負かしたくて寝ぼけた脳をフル回転した。
「あ…」
「えっ?」
「てめー、2回散る運命だ」
「はぁあ?」
コイツは人のことをバカにしながら、自分のことは気付かないのだろうか。
「桜も花も散る」
「なにっ!!!」
「しかも、花は何でもアリだから、年中散るんだなてめー」
そんなことに満足して、俺はカエデの葉の中に潜り込んだ。心の中では、俺ってかしこいってほくそ笑んだが、顔には出さなかった、と思う。
桜木は、ムキになった。
「ちくしょう! カエデのくせにエラそーにっ!」
「…何言ってんだ。てめーは花だろうが」
「ぬっ! カエデの分際でっ!」
拳が飛んできそうな気配だった。なんでこんなしょうもないことでケンカできるのだろうか、俺達は。
「うるせー花のくせに、気安く呼ぶな」
その一言で、ウソのように桜木は固まった。そして自分も固まった。
図らずも言葉にしてしまったせいで、名前を呼んでしまっていたことに、ようやく気が付いたのだ、お互いに。
かなり、長い時間、そのままでいた。背中を向けていてヨカッタ、と思うくらい、俺は困っていた。桜木も同じ思いだったのだろう、俺の横に同じように寝そべって、温かい背中を合わせてきた。間に挟まったカエデの葉が、クシャッと小さな音を立てた。
「…毎週バ…散歩に行く公園があってよ…。そこに『楓』という立て札がある木があってだな。だんだん紅い色になってきてて、今日は、その、もうキレーな落ち葉になっててよ…」
もの凄く小さな声で、ボソボソと呟いた。俺の表情は少し弛んだのだが、あちらを向いている桜木には見えなかっただろう。それでも、お互いの心拍が上がったのが、背中から伝わってくる。
「…桜、見たな…。花…は見てねーな…」
桜木と花を見たい、と思ったわけではなかった。それでも、それくらいしか、俺には言葉に出来なかった。
しばらくして、桜木が寝返り、俺の背中に頭を押しあてた。ゆっくりと長い両腕が俺の腹の前で合わされる。またカエデの葉がクシャリと潰れた。
「……楓……」
直接伝わったその響きに俺は目を閉じ、桜木の腕に自分のを重ねた。
2000.12. 7 キリコ