会 話
これまでも、こういうことは何度かあった。俺が望む望まないの問題ではないらしい。勝手に言い寄られているだけだ。別に俺がモテようと努力しているわけでもないのに、俺のせいだとアイツは怒る。
3年生にとって卒業までのこの短い時間は、高校時代の終わりを充実させようと勤める期間なのかもしれない。難しいことはよくわかんねーが。赤木先輩たちも、もうすぐ卒業だ。
2月のこの寒い時期にはさすがに屋上に人はいない。俺ですら、自主的には来ない。呼び出され、凍えながらする話は、集中力をなくし、気を遣う余裕もなくなる。もっとも、俺はハナからそんな気はねーから、結局はいつも通りなのだが。
「付き合って、とは言わないから」
だったら、なんでわざわざ告るんだ。
「卒業式のとき、ボタンをくれないかしら…」
これまでの、おどおどした女たちとは違って、やけに尊大な態度だった。ある意味サバサバしていて気持ちいいが、その要求は、
「ボタンの代わりがねーから困る」
俺は、ただ事実を言っただけだ。卒業する奴らはもう制服もいらねーだろうが、俺はまだあと2年間あるのだから。
「…そうね」
相手はそんなことは最初からわかっていて申し出てるんだろう。しかし、俺には叶えられないことだ。寒いのはもうゴメンで、話も終わったと帰ろうとしたとき、肩をグィと引っ張られ、頬に何か感じた。柔らかい、温かいようなでも冷たい感触。どうしてこれが記念になるのかわからねーが、こういうことも初めてじゃない。
「ごめんね…」
それだけ言って、俺の横を通り過ぎ、自分だけ先に降りて行ってしまう。
本人が記念に思ったとしても、こちらの感情はどう考えてくれてるんだろう、と俺は大きなため息をついた。
この一部始終を、桜木が見ていたのだ。なぜコイツがこんなに怒るのか、わからない。知らない先輩のために怒っているらしいが、なんでそんなことが出来るのか。
「てめーっ! ヒドイと思わねーのか?!」
胸ぐらを掴んで、唾を飛ばしながら怒鳴る。真正面に顔を出され、少し赤い鼻に、コイツも屋上は寒いんだ、と気が付いた。俺も寒ぃーんだよ。
「…しかたねーだろ」
俺としては、割と誠意を持って答えたつもりだが、この言葉は気に入らなかったらしい。
「もっと言い方があったんじゃねーのか? コクるのが、どれだけ勇気がいるのか、わかってんのか?!」
本当に、自分のことのようにムキになっている。いや、もしかしたら振られまくりの自分に置き換えているのかもしれない。
ぎゃぁぎゃぁと、いつまでも文句を並べられ、聞こえない努力をする。うるせーんだよ。
「…じゃぁ、話したこともない奴が、どれだけ俺を知ってるって言うんだ」
この一言は、深く考えて言った訳ではない。これまでの経験で漠然と感じていたことだろう。それをやっと文章化する機会が来ただけだ。
桜木は、ウッと黙り、しばらくして俺を解放した。5限目の予鈴が鳴っても、俺は屋上に座ったままでいた。桜木も、俺の隣に座っていた。
少しでも風のこない場所で弱い太陽を感じながら、どちらも何も言わずにいる、そんな時間は俺は嫌いじゃなかった。ゴチャゴチャうるさいのよりは、いいという意味で、だ。
桜木は、時々俺と二人でいようとしているように見える。一度家まで送って以来、居残り練習の後、勝手に付いてくることがある。自転車を取られるので、仕方なく並んで歩く。何も言わないので何を考えているのかわからない。いや、猿だから、何も考えてねーに違いない。
そして、未だに慣れない瞬間がある。今もまさに驚いたところなのだが、桜木は俺の手を掴んでくる。握りしめる。比べてないが、たぶん俺より一回り大きい熱い手で、俺の手を包み込む。こうされるようになってから、自分の手が冷たいのだと、初めて知った。
シーンとした中で、改めて思う。コイツは、人前では俺にケチをつけてくるが、二人だけならば何も言わない。他の奴らとは、いつでも賑やかにするくせに、俺とは話そうとしない。なのに、一緒にいたりする。よくわかんねー奴だ。そして、そんな時間を決して嫌がってない自分も不思議なのだ。「…さみーな」
「…ああ」いつも、これだけだ。けんか以外の会話、は。
だが、今日は教えてくれた。というか、わかったのだ。「おめーの手、いつも冷てーんだ」
呟くように言ったそのセリフに、俺は桜木の方を向いたが、奴は俯いたままだった。
俺の手が、冷たいから、その熱い手で温めてくれてるってのか?
じゃぁ、自転車を押しているとき、ハンドルを掴んだ手の上に熱い手を乗せてくるのは、そういうことだったのか。勝手に自転車を押すのは、俺が自分の手をポケットにでも入れれるように、なのだろうか。
気になるってんなら、手袋くらいくれればいいじゃねーか。どあほう。
心の中で、呟き返して、冷たい手で握り返した。
お互い何も話さないから、わかってないことも多いが、少なくとも、桜木は、俺の手が冷たいことを知っている。
2000.9.24 キリコ