熱 さ
そのことを聞きたかったのだろうか。その質問の前に、アイツは俺の手をギュッと握り、緊張したらしいことがわかる。
そういえば、5限目が終わるチャイムが鳴った。ということは、1時間近く座り込んでいたことになる。寒さで体が強ばって、尻に根が張った気分だ。それでも、動こうとしない俺はなんだかおかしい気がする。コイツに触れるのを、むやみやたらと嫌に思っていたこともあったのに。「なぁルカワ…」
また手をギュッとして、俯いたまま聞いてくる。顔を上げて先を待つ。
「…お前、なんで照れなかったんだ?」
「……何言ってる」
要領良くしゃべれってんだ、どあほう。まぁ猿だから無理か。
「俺は全部見てたんだ」
「…?」
「…お前、キッ、キスされただろ?」
ああそのことか。なんでそんなセリフをどもってやがる。俺の腕を引っ張るんじゃねぇ。
「…だから何なんだ」
盛大なため息をついてみせる。いきなり何の話をしやがるんだコイツは。
「おまっ! そ、それだけか?」
「何が」
「…平気、なのか?」
平気とか、そういう次元の問題だろうか。俺がしたわけじゃないし、頼んだわけでもない。勝手にされて、嫌なら忘れるしかねーじゃねぇか。
「……たかがキスだろ」
あれっくれーで、ドギマギするような奴、今時いるかしかし。いや目の前に一人いるか。
「たかが、だとー?!」
せっかく静かだった時間が、またうるさくなってしまった。なんでこう、いちいち俺に突っかかるんだコイツは。ムカついた俺は、うざったく手を離す。桜木はますます怒って俺の真正面に立った。
俺は、言いたいことがあっても、スラスラ口に出来ないタイプで、ため息が先に出てしまう。桜木は、今度は俺のために怒ってくれてるのだろうか、いや違う気もする。どんなことにしろ、この俺を責めなければ気が済まないのかもしれない。
こうなると、さっきまで手を預けていたのも気分悪く感じる。そして、ため息の後、目の前にある手が握り拳になり、また殴られると思った。今日は避けるぞ、と体を動かそうとしたが、コイツの方が速かった。
両肩をガシッと掴み、俺は前後に揺すられる。イラつく程コイツの力は強く、その手を払いのけることも出来なかった。
俺は俺なりに、凄味を効かせてると思われる目線を送ったが、やっぱりコイツは動じない。下から見上げても、見下ろしてくるコイツの表情ははっきりしなかった。
「…おまっ…キスに、慣れてんのか…?」
えらくマヌケな質問だと思った。まだキスに拘ってたのか、このどあほうは。
「…だったら何なんだ? てめーには関係ねー」
この俺の一言で、桜木の表情が変わったのがわかった。いったいコイツは何にショックを受けたというのだろう。
俺が、何度もキスされたことがあることに、だろうか。
俺が、関係ねーと言ったことに、だろうか。
こんなときも、やっぱり何を考えているのかわからない相手だった。
そして、次の瞬間、一層わからなくなった。いや、頭の中が真っ白になったからかもしれない。コイツの熱さを、手から感じたことはあった。
それが、今とんでもないところから感じているらしい、と人事のように思いながら、俺は抵抗するのも忘れていた。
俺は、呆然とした。寒さで動きにくい体で一生懸命走った。アイツを殴った記憶はあるが、階段をどうやって降りたのかはわからない。気が付けば教室だった。でも、6限目の授業中で入る気にもならず、フラフラと部室に向かった。
俺は、何をされたのだろうか。その時のことがフラッシュのように光ってわからない。だけど、その感触だけはしっかり覚えていて、やっぱりアイツは熱い男なのだと思った。
これが、俺のファーストキスってヤツなんだ、としばらく気付かなかった。
2000.9.24 キリコ