寒いから
桜木は、久しぶりにクラブをサボった。風邪でガッコを休んだのをのぞけば、アイツは真面目だった。そんなアイツがここにいない理由は、きっとさっきのアレだろう、と思う。そうするだろうな、と思ったら、本当にアイツは現れなかった。
はっきり言って、顔を合わせ辛いと思ったのは、俺の方だ。俺は、会ってどうすればいいのか、わからなかった。
バスケをしているとき、頭の中はバスケのことだけになり、余計なことをいっさい考えずにいられる。そう思って、また居残ってみたが、今日は、今日だけは、妙に落ち着かなかった。さっきまで他の部員がいたときの方が、思い出さずに済んだ。
この俺が、バスケに集中出来ないほど、俺はショックだったのだろうか。
確かに、嬉しいとまでは思っちゃいない。
だが、何度も洗いたいと思うような嫌悪感は、未だに感じない。自分が桜木自身を意識しているからだ、と気付いたとき、本物が現れた。
体育館の入り口で、桜木はふてくされた顔で立っていた。ガクランのままで。
俺は、ドリブルしたまま目を合わせた。ボールの音でもなければ、間が持たない気がした。桜木が話しかけて来ないなら、俺からすべきなのか、と思ったり、俺は殴るべきだと思ったり、いろんな考えが次々に入れ替わる。命令もなくボールだけを俺は追う。無心になれたとき、俺はどうするだろうか。「…ルカワ…」
桜木が、小さく呼んだのが聞こえた。でもボールの音の方が大きく、俺は無視した。
「サボってんじゃねーよ、初心者」
そう言いながら、シュートする。シュッと心地良い音に、俺の気分も浮上する。先ほどまで雑念が多かったのか、あまり決まらなかったのだ。人間は、案外単純なのかもしれない。
まるで火山が噴火したように怒ったアイツは、俺に向かって飛びかかって来た。俺は持っていたボールを投げる。コントロールもいらないくらい、真正面にいたアイツの顔面に直撃する。一瞬止まったが、それでも殴り掛かってくる。
だいたい、なんで俺が殴られなきゃいけねーんだ。
もう数えられない殴り合いを、不毛に繰り返す。実は俺もコイツもバカなのかもしれない。それでも、話をするよりも近い気がする。バランスを崩したアイツを避けた俺は、背中から転けた。殴られて倒れ込むのは嫌だが、自分で転けるのは仕方ない。それでも、そんな隙に殴られるのがけんかの常套手段だ。そんなに鈍くはないつもりの俺は、すぐに構えを取った。だけど、コイツは殴っては来なかった。それというのも、同時に転けたからだ。
腹の上に、ドスッと倒れてきたコイツは、とにかく重い。さすがにウッと来た。みぞおちにくらったからだ。何しやがる、と文句を言おうと口を開いたら、小さな笑いが出てきてしまった。いったい何がおかしいというのだろうか。自分に聞いてみたい。
その「プッ」と吹き出した俺の顔を、桜木はマジマジと見てきた。驚いた顔で、まるで俺が俺であることを確かめているようだ。
「…ルカワ? 今、もしかして笑ったのかソレ?」
俺が笑ったらおかしいとでも言うのだろうか。
「…だったら何だ」重たい桜木は、いつまでも俺の上に乗っていた。人の胸の上に頬を押しつけて、黙っている。俺の心臓の音でも聞いているかのようだ。
シーンとした時間がまたやってきた。やっぱり嫌だとは思えない瞬間。
仲が良いわけでもない俺とコイツが、なぜ一緒にいて、そしてどちらも何も話さないのに、なぜこの空間が心地良いのか、俺にもわからない。理屈はわからなくても、感覚でそう感じているのなら、それに従う。言葉で言い表せない感情もあるってことだ。
胸や腹に伝わる体温は、動いた後で温まった体にも熱いと感じる。コイツは俺より、よほど体温が高いに違いねー。目を瞑ると、その熱さをよく感じれる。
どのくらいそうしていたのか、ゆっくりと目を開けると天井が見える。あまりじっくり見たことのない場所に、妙に感心し、電灯にカバーがしてあるから、ボールをぶつけても怪我はしねー、とか、どうでもいいことを考えてしまった。
上を向いて吐き出した自分の息が白く、ぼんやりと天井を隠す。ここは寒いところなのだと気が付いた。
「……さみー」
素直に呟いた。こういう時間もいいが、寒いのは叶わない。
桜木は、体を起こし、退いてくれるのかと思えば、予想外の行動に出た。
俺の腕を顔の両側で包み込み、体全体で俺に覆い被さってくる。電灯に頭が入り、俺の顔に影が出来た。吐く息が白いのも見えたが、しばらくしたら、すべて影に被われた。握りしめてくる大きな手と、白い息を吸い込んでしまう熱い唇を感じ、俺はまた目を閉じた。
2000.9.24 キリコ