バスタオル

 

 必ず一人はいる。一人どころじゃないのが普通だ。
 憧れと期待、そして現実の厳しさに、挫折とまでは言わねぇが、ついてこられないヤツらはいる。いて、当然なのだ。

 去年、たまたまいなかったからかもしれない。
 それが今年、新入部員一人が退部届けを出した。今のところ一人、というだけかもしれないが。キャプテンに直に渡したのは大した勇気だと思う。ただ逆に、キャプテンにとってはかえってキツかったらしい。
 桜木花道が、静かに落ち込んでいるのだ。

 入部して、数週間で辞めていくヤツらの気持ちが俺にわかるわけはない。バスケが苦痛に感じたことのない俺には。
 辞めたいヤツ、やる気のないヤツは、さっさと出ていけという俺の考え方は、桜木には出来ないらしい。
 人は人だ、と言ってやりたい。
 けれど、そこまで落ち込むとは思わなかったくらいの沈みぶりに、俺の毒舌も空回りしていた。

 覇気のないかけ声とともに、部活を終了する。練習量が変わらなかったことを、ちょっとだけ見直した。
 居残りもせずに帰ろうとする。俺の方を見ないアイツに、俺もムシを決める。けれど、アイツは部室で待っていた。

 呆れるくらい、一言も話さない。沈黙が嫌いなわけじゃないが、気分良くない空気は俺にもわかる。半歩前を歩く桜木に焦れて、俺は自宅へ向かおうとした。けれど、すぐに熱い手が俺の手をつかみ、引っ張るように歩き出す。握ったまま、けれどやっぱり無口だった。


 とにかくお互い何もしゃべらず、けれど促されて風呂に入る。一緒なのは久しぶりで、その狭さにため息が出た。
 無言で俺の体を洗うその表情は、長くなった髪に隠れてよくは見えない。けれど、ずっと眉を寄せたままなのには気づいていたし、俺に何を求めているのかわからず、黙って桜木のやりたいようにさせていた。
 俺はずいぶん気が長くなったと、心の中で笑った。

 ぼんやりと窓に座る桜木は、どこか一点を見つめている。視線の先は畳らしく、猿頭でいろいろ考えてるんだろうと見当をつける。
 ポタポタとかすかな音を立てるしずくが、濡れたままの桜木の赤い髪から伝う。肩に掛けたバスタオルは何の意味もなしていなかった。
 そこまで放心してるのか、といい加減呆れながら、けれど俺は思ってもない行動に出る。畳が濡れるからだと言い訳してみた。
 顔が影になって初めて、俺がそばに立ったことに気づいた桜木は、無表情のまま顔を上げたが、俺はすぐにバスタオルで頭部を包んでしまった。
「なっ…?」
 小さな驚きの声をムシして、俺は桜木の頭をガシガシとこする。しばらくすると、桜木の肩からも力が抜けて、されるままになっていた。
 後から気づいたのだが、部活が終わってから聞いた言葉はこれだった。


「…練習、キチーんかな……」

 タオルがすべての水分を吸収したんじゃないかと思われる頃、桜木が小さく呟いた。俺への問いかけではなく、ずっと続けていた自分への問いかけを口に出しただけなのだろう。
 俺には、肯定も否定も出来ず、かといって慰める言葉も出てこなかった。
 どんなに練習がキツクても、俺には、いや桜木にもだろうが、目標がある以上、それに向かって努力することに、苦労はない。大事なことだと知っているから。
 じゃあこんな時、何を言えばいいのか。「キャプテンなんだから、しっかりしろ」とか言えば元気になるか? 「お前はいいキャプテンだ」とでも?
 考えて出てきた言葉は、その場には相応しくないだろう。
 けれど、何か言ってやろう、と口を開いたとき、自分でも驚く単語が出た。

「…ハナミチ」

 自分も驚いて、桜木も驚いて勢い良く顔を上げる。ずれ落ちそうになったバスタオルを、俺は大慌てで両手で掴む。有無を言わさぬタイミングで、顔を合わせないようにした、つもりだった。
 けれど、俺は一瞬で泣き目なった桜木の顔を見たのだ。ということは、自分でもわかる熱い頬を見られたかもしれない…。不覚…。

 桜木は、バスタオルをかぶったまま、俺の胸に張り付いてきた。

 

2001.4.27 キリコ

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