それぞれの卒業
そもそも手紙なぞ、出したことはない。年賀状もほとんどない。そんな俺がハガキを買った。宛先はたった一つ、ローマ字なのに暗記するくらい、緊張して書いた。書いたものの出し方がわからず、洋平に助けを求めた。エアメイルというヤツはどうやればいいのか。洋平は、驚きもせず、笑いもせず、誰に出すとも聞かずに一緒に調べてくれた。久しぶりに声を聞いてから、3日程経った頃のことだった。
「花道、いるか?」
ドアのノックとともに、洋平の声がした。今日は大学へは行かないといっていたから、遊びに来てくれたのかもとすぐに返事をした。
「おお、入れよ」
相変わらず何もない部屋で、洋平が持ってきたジュースを飲む。お菓子は独り占めしたけれど、洋平は何も言わない。いつものことだった。
大学のバスケはどうだとか、俺の話ばかりを洋平は聞きたがる。自分の話はしなかったなと後から気付くくらい、俺は楽しくしゃべっていた。
「…ところでさ、返事は来るのか?」
「返事?」
「エアメイル」
いきなり話題が変わったうえに、相変わらず誰のことなのかわからない。けれど、別に言わなくても、洋平も聞かないでも、知っているんだろう。俺が、ルカワに手紙を出したことを。
実は、あまりにもタイムリーな質問だった。たった一度だけ届いたハガキ。書いてあったのはたった3文字。呆れるくらい、ルカワらしくて、吹き出した。けれど、ちょっと寂しかった。その後は、何通送っても来なくて、ムカつきながらも、またペンを取ってしまう。休みの日には、郵便屋のバイクの音に飛び出すようになってしまっていた。
「…ちっとも来ねー…ったけどよ」
「けど?」
「…今日、来た」
たったそれだけで頬が熱くなる。こんなことがなぜ恥ずかしいのか、洋平の前だからかもしれない。そっぽを向いてしまった俺は、その時洋平がどんな顔をしたのか見ることが出来なかった。
「へぇ、良かったじゃん。元気そうなのか?」
洋平の口調は、本当に良かったなと言ってくれている。けれど、そう言われれば言われるほど、俺はあさっての方向を向いてしまう。そして洋平はのぞき込んでくる。しまいには、背中を向けていた。
「し、知らねーよ、アイツが元気かどうかなんて」
だいたい、この俺様がハガキをまめに出してやっているのに、アイツときたら滅多に返事も寄こさねー。元気かと問うこともなければ、素っ気ない単語を並べるだけのハガキ。ムカつくのに待ち遠しくて、珍しくて貴重にも思えるから、自分でも不思議だ。ものすごい勇気を振り絞って書いている一行。「好きだ」という言葉は空耳としか思えず、こっちからも匂わせないよう言葉を選ぶ。たくさん言いたいことはあるけれど、がっつくことはしたくない。その辺はプライドの高い者同士の、永遠のすれ違いかもしれない。
「花道?」
口には出さなかったものの、考え込んでしまっていたらしい。洋平がおかしそうに笑っている。すべて見透かされている気がした。
「ふん、やめようぜ、あんなヤツの話なんか」
洋平は、優しい目をして笑った。「それにしても、お前が大学生になるとはな」
「ぬ? この天才がなれないはずはねーだろうがっ!」
力拳を作って立ち上がる。俺は、洋平の前では未だに強がってみせてしまう。けれど、見せかけだと洋平は知っている。そのことを俺も理解している。けれど、いつまでも桜木軍団のままでいたい、変わりたくないのだ。たぶん。
「春子ちゃんに声かけられて、間違ってバスケットを始めたと思ったけど…」
「…ぬ?」
「しっかりバスケットマンになったな、花道」
あぐらのままの洋平が俺を見上げる。相変わらず優しい雰囲気のままの瞳が、ちょっとだけ寂しそうに見えた。それは見間違いじゃない、と思う。
「俺は、家を出る。ちょっと花道とは遠くなるけど、別に会えなくなるわけじゃないしな」
ハハハと乾いた笑いを響かせる。シリアスな話題を避けたいのに、何のギャグも思い浮かばない。冗談、ではないのだと、真面目な表情が言っている。
どのくらい見つめ合った、というか、睨み合ったというか、目が離せなかったのだが、そんな緊張をといたのは洋平だった。
「おっと、もうこんな時間か。これからバイトなんだ」
「あ…ああ、そっか…」
ぼんやりと立ったまま、ろくに身動きできなかった。スタスタと玄関へ向かう洋平の背中に、俺はかける言葉も見つからず、また見送ることも出来ないでいた。
「あ、そうだ花道?」
「えっ?」
「…結構安いチケットもあるみたいだぜ」
「な、何の?」
振り向いた洋平の顔は、今まで知っている中で一番大人びていた。俺より小さいけれど、俺より器が大きくて、洋平なしで俺はここまでやってこれたとは思えない、大事な俺の親友。
「ハガキじゃ、らちがあかないんだろ? 元気かどうか確かめたらどうだ?」
「あ、アイツのことなんか…」
「気にしてないとか言うなよ、花道? たまには素直になれ」
「…洋平?」
「ルカワがいなくなってからの、お前の猛特訓を見てもらえよ。な、花道」
「おい洋平?!」
「来週の卒業式でな」
俺の返事を聞かず、右手を振って階段を下りていく。その足音がなくなるまで、俺は部屋の真ん中に立ったままだった。
いきなりいろんなことがありすぎて、一つ一つ自分の中に取り込んでいく。その度に、会話の裏を考える。実はすごく大事な話だったのだと、遅れて気付く。
洋平と離れてしまう。いつかは来ることだったかもしれないけれど。
バスケットと流川楓を選んでしまったのだから、そう言われた気がする。
寂しくて、ほんのちょっとだけ涙を浮かべた。俺たちは、卒業する。高校を、ってだけじゃなく、たぶんいろんなことから。
2001. 8. 7 キリコ