パスポート
だいぶ前のCMで、「ディス イズ パスポートサイズ」ってのがあった。言葉は覚えているけれど、いったい何の宣伝だったのかは記憶にない。
初めて乗る飛行機の中で、初めて手にしたパスポートを見て、そんなくだらないことしか考えられなかった。昨日の夜は眠れなかったので、空の上で寝ようと決めていたのに、ちっとも睡魔が訪れない。あまりにも、心臓がドキドキうるさくて。手に汗握って、とりあえず瞼は閉じておく。興味ない映画の音声は、まったく理解できなかった。
この天才が、珍しく緊張しているらしい。大学に、入学する。この俺が。
大好きなハルコさんに誘われるようにやり始めたバスケット。
大嫌いなキツネをギャフンと言わしたくて、必死に練習したバスケット。
俺は、バスケットをしに、大学に行く。まだ入学してないけれど、練習には参加していた。大学のバスケット部は、すげー熱気で、俺は必死だ。アツクなる。懐かしいゴリと、また出来る。昔みたいにボンボン殴られはしないけれど、よく叱られる。それがまた、嬉しかったりする。
そのバスケ部が、春休みの遠征に来ているはず。もちろん俺は居残り組だけど、残った奴らと練習するよりも、違うことをしておきたかった。今のうちだと思ったから。ところで俺は内緒で来てるので、空港でもアメリカに来てからも、コソコソしなければならない。別に悪いことをしているわけじゃねーけどよー。それにしても、日本語が通じない。なぜ、世界共通語じゃないのだろうか。授業なぞマジメに聞いたことはないけれど、それなりに英作する。場所名を言うと、紙に書いてくれたりする。親切だったり、不親切だったり、いろんな奴がいる。まぁ日本も同じか。
ここは、寒かった。雪がまだたくさんあって、これじゃぁバスケット、外で出来ねーなともらった地図を見ながら歩く。風は本当に冷たくて、マフラーくらいしてくれば良かったとちょっと後悔する。けれど、ジャケットの下は、汗をかいていた。
公園を抜けたフェンスの向こうから、聞きなれたボールの音がして、引き寄せられるように進んでしまう。そこには当たり前だが、外人がいて、すんげーうまくてじっと見つめてしまった。やっぱアメリカってすげーと思ってたら、バスケットに誘われた。
ルカワに会えないかも、という想像もあった。会いたがらねんじゃねぇかって。何しろ、アイツがこっちに来てからずーっと音沙汰なしだったから。もう、忘れられたかな、とか。金髪のねーちゃんとヨロシクやってるかな、とかはあまり思わなかったけど。友達もいなくて、寂しくしてるんじゃねぇかと心配もしたが、久しぶりに聞いたデンワの声は、相変わらずのフテブテしさで、ムカついて、安心した。メシ食って、バスケットしてるなら、生きてるに違いない。なんといってもキツネだから。
金髪のにーちゃんとバスケしていたはずなのに、気がついたら真っ黒い髪がツヤツヤ光っていて、俺のそばを通りぬけると、やっぱり懐かしいルカワの匂いがして。本当は、泣きそうになった。視線を合わせて、互いの行く先を推測する。けれど、本当は動きを見ているだけじゃなくて、目が合ったことだけで嬉しくて。頬が赤くなったのは、運動したからだけじゃなくて。いつの間にか殴られて、殴り返したら、初めて口を開いた。
「何しに来た」
質問っていうより、尋問。すんげー睨まれてるのに、迫力もなく、スネられたような感じ、がした。
「バスケット」
おめーとバスケットするために、飛行機に乗ってきた。あんなに長い時間じっとしていたのは初めてだ。たった一人で、実はちょっとだけ不安だった。格好悪いから、口には出さねーけど。
上達してやがったルカワは、態度は変わってなくて。俺の答えを聞いてから、一発お見舞いしてくれた後、黙って背中を向けた。俺が動かないでいると、「早く来やがれ」、だと。
「フン、エラそーに」
文句を言いながら、その背中から目を離さずにいた。ほんの少し早足で、横に並んでその顔をのぞき込む。ジロっと睨まれたけど、どこから見ても流川楓で、「ああ本物のルカワだ」と心の中で呟いた。
また、頬がアツクなった。
2001.9.7 キリコ