ありえない日常

 

 目覚めたとき(もうかなり日は高かった)、すでに桜木は起きて、俺の机に座っていた。手元に教科書があったが、ぱらりと見ては閉じる、という繰り返しで、いかにもすることがないという感じだった。俺はというと、体がだるくて、起き上がるのが面倒だった。だから、声をかけずにまた目を閉じた。
「あ…」
 小さな呟きに、またその背中を見る。割と目に付くところに置いておいたハガキを、桜木は手に取っていた。見覚えがあるだろうその字。当たり前だな、本人が書いたものなのだから。
「勝手に触んな、どあほう」
 掠れた情けない声しか出なかった。ヤッた朝はそうだったと思い出す。
「あ、ルカワ? いやなんかよー、ほんとにちゃんと届くんだな」
「…切手貼れば当たり前」
 俺のハガキも届いているのだろうか。いつか日本に帰ったとき、俺は自分が送ったハガキを見たいとは思わない。なんか、イヤだ。
「ま、そうなんだけどよ… なんか遠いようでも、ハガキが届く距離にいるんだな…」
 ほとんど独り言のように、まだハガキを持ったまま呟く。
 今の俺達の距離は約1メートル。今はSEXも出来る。起きたらバスケに行くだろう。別に約束したわけじゃねーけど。
 けれど、本当の俺達は、ハガキが約一週間かかるような、そんなところにいる。宇宙にいるわけじゃねぇから、デンワも通じた。けれど、バスケットもSEXも、殴り合いも出来ない距離ではある。
 それで? だから?

「ハラ減った。メシ食いに行こうぜ」
 桜木の現実的な言葉に思考はそこで止まった。コイツはホテルすら取らずに来たくせに、やけにエラそうだ。俺がいなけりゃ、メシも食いに行けないくせに。
 俺は、手助けなしには立ち上がれなかった自分にイラついた。


 バスケットをしにきたという桜木を、取り敢えずいつものメンバーに紹介する。みんなデカくて、桜木が普通に見える、そんな奴らばかりだ。どこまでも日本語のままの桜木は、ボールが飛び交ってすぐに自分の実力を思い知らされただろう。それは端で見ていた俺にはよくわかった。けれど、アイツは諦めることを知らない。相手が強ければ強いほど、ガムシャラに食らいつこうとする。それは、今でも変わらない。
 ため息をつきながら、それでもずっと真っ赤な髪を目線で追った。今の桜木を目に焼き付けておいて、またいつか会ったとき、上達してなかったら殴り倒すために。
『カエデ? 今日はやらないの?』
 キリがついたのか、ギルだけが俺の隣に座る。俺は、正直なところ混じりたかったけど、…ちょっと体がキツイ。
『…後で』
『ま、いいけどさ。ところでアイツさ、ヘタなのかスゴイのか、よくわからないよ』
『桜木?』
『そう。ねぇ、『桜木』って何て意味?』
 外人さんはよく聞きたがる。『楓って何て意味?』とかな。
『あー、チェリーブラッサム…だったかな…』
『…なんだか似合わない可愛い名前だな…』
 ギルは勢い良く立ち上がり、『チェリー!』と呼んでいた。桜木がすぐに自分のことだと気が付いて、怒っているのが見える。おかしな光景だった。
『俺、アイツのこと良く知らないけど、ああいうタイプって、自分より上の奴らと一緒にやる方が伸びるんじゃない?』
 真面目な口調で、桜木から目を離さずに言う。そんなことを俺に言われても、俺はアイツの監督じゃない。
『さあ… 基礎が足りないとも思うし』
『経験もだな。でも…』
『? ギル?』
『ま、決めるのはチェリーだしな』

 結局俺は、ほんの少し桜木と組んだだけで、ほとんど見学だ。ちょっと、ムチャし過ぎたようだ。
 部屋に戻った桜木は、興奮して眠れないと騒ぐ。俺は、眠かった。
「クリスって子もすげーよな、女の子なのに男に混じって負けねーし」
 いろんな奴らの評価の途中で、クリスが出てきてちょっとだけ目を開ける。
「…女ってわかったか? すぐに?」
「え、見りゃわかるじゃねぇか。確かにでけーけど」
 ベッドに腰掛けたままの桜木が振り返った。
「じゃあ…いくつだかわかるか?」
「そ、それはよ… さっぱりわからん。みんなわかんねーけど、取り敢えず高校生らしくねぇよな」
 正直な答えに、なんとなくホッとした。俺にはわからなくて桜木にわかったら、きっとムカついていた。やっぱり俺は負けず嫌いらしい。
「でさー」
「テメー、いい加減にしろ」
「ぬ?」
 まだ話したりなさそうな桜木を制して、ベッドに引きずり込んだ。
「どあほう。寝るぞ」
 桜木は、俺の耳元で、まだ話し続けた。
 目を開けたら桜木がいる生活。変なのに、当たり前、そんな感じだ。

 

2001.9.17 キリコ

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