寒空の下で

 

 観光に興味があるとは思えなかったが、
「せっかくここまで来たんだ、案内しろ」
 天気のいい朝、いきなりそんなことを言う。ガイドブックも何も持っていない桜木は、ここに住んで半年以上の俺をアテにしているらしい。ま、行ってみればわかるだろうが。

「うがっ ここはどこだ?」
「…知るか」
「…さっきから思ってたんだけどよー、オメーもしかして詳しくないのか?」
「……たいして」
 本当は全然知らないのだけど、そう言えないのは負けず嫌いのせいだ。
 こちらに来てから、俺はほとんどどこにも出かけていない。興味がないから、ってのもあるだろうが、俺はただバスケットをしたかったから。
 けれど、桜木が見たいというのなら、付き合ってやってもいい、程度には興味が湧いたのだ。
 桜木は、俺のガイドブック(ほとんど真っ新だ)を手に、ああだこうだと頭をひねる。ストリート名のおかげで、割とわかりやすい。けれど、方向を間違えると大変だった。
「オイ、今この通りだからよ、もしかして逆方向か?」
 小さな地図を、二人でのぞき込む。実のところ、俺は全然目に入ってなくて、ぎゃあぎゃあ騒ぎながら楽しんでる桜木を、見ていた。
「結構来ちまってから気付くな、どあほう」
「うぬーーっ! テメーがもっとしっかりしてりゃよー!!」
「ウルセー、勝手にアテにすんな」
 殴り合いまで行かなくても、こんなケンカばかりで、なかなか目的地に着かない。

「ジョーダンだ」
 でっかい像を見上げた桜木が、ほけっとした顔をして呟いた。単なる像なのに、いつまでも見つめている。いや、これは俺も半年前にやったことだけど。
 バスケットをやる人間にとって、やはり憧れの人物というのはいて、カリスマという言葉が流行っているが、そんな感じだろうか。
 いつまでも、そこを動かない桜木が、上を向いたまま尋ねてきた。
「おめーは、NBAとか目指してんのか?」
 小さな声で、吐き出した息が真っ白で、そんな姿がやけに目に焼き付いて、俺も真面目に答えようと思った。
「…わかんねー」
 桜木は、「ふーん」とだけ言った。俺は、本当に素直に答えただけだ。
「テメーは?」
「…わかんねー」
 俺は、「ふーん」と言わなければいけない気がした。

 薄暗くなってきた空は、どんよりとしていて、雲の切れ間から見える夕日が貴重に見える。というようなことを、桜木が言った。
「さみーとこだな」
「…ああ」
 でっかい湖は凍っていて、風は冷たくて、でも静かで、二人きりだった。ベンチに座って、今度はいつまでも空を見ている。何が楽しいのかはわからないが。
 寒いから、肩を寄せ合っていた。桜木は、手袋をした俺の手を引っ張って、脱がしやがる。
「脱いだらさみー」
「そうだな」
 そう言って、自分のポケットに連れて行く。桜木の体温で暖かくなったポケットで、桜木の手のひらの温かさに包まれて、その手だけがこの寒い中で唯一気持ちいいところだった。顔は凍りそうだった。
 日本の冬の格好をした桜木は、元々薄着のせいかジャケットだけでここにいる。いくらアイアンボディを自負していても、絶対に寒いはずだ。俺は、マフラーを桜木に貸してやった。風邪を引いてほしくなかった、のかもしれない。
「…それじゃ、おめーが寒いだろ?」
 桜木は優しい顔をして、でも鼻は真っ赤だけど、たいして長くないマフラーを両方の首に巻いた。自然と頭がぶつかって、冷たい髪がカシャリと音を立てた。
「ルカワ、寒くねーか?」
「…ねーよ」
 こんな寒い中で、外に座る俺達はおかしいヤツだと思われるだろう。本当は体中がガタガタ震えている。桜木だって同じだった。けれど、動こうとは思わなかった。

 こんなに会話したのは、初めてじゃないだろうか、ってくらい、話をした。一日中一緒にいることはあったけれど、一日中言葉を交わしたことはない、と思う。もう明日には、会話出来なくなるから、頑張ってしゃべってる、って気もする。お互いに。
「おめーが英語しゃべってんの聞いたら、なんか宇宙人みてーだな」
「なんだそりゃ…」
「あんな成績でもよー、住んでりゃ話せるようになるのか?」
「ジツリョクだ」
「おめーのどこにジツリョクがあるってんだよ、バスケばかのくせに」
 それは、テメーもだろうという言葉は言わなかった。
「日本に帰ってきたら連絡しろよ? 引っ越してねーからよ」
「…気が向いたら」
 あの部屋に桜木がいるのならば、桜木の行動は俺には想像出来る。そのことになぜかホッとした。
「ちくしょう、大学に行ったら、俺だってダチもたくさん出来て、そうそうハガキも書いてやんねーからな」
「いらねー」
 忙しいといっても、きっとコイツは書いてくる。勝手にそう思っていた。
「このっ!……まぁいいや」
 ふんって言って、そっぽを向いてしまう。しばらくシーンとしてしまい、桜木がいい加減スネたのがわかった。
「…桜木」
「…あんだよ」
「テメー、もうすぐ誕生日。先に言っとく」
 桜木は、勢い良く振り返る。そのせいで、頭がゴツンと音を立てた。
「「イテッ」」
「あ、わりぃ…」
「…やっと18歳なんだな、テメー」
 それ以上何も言わない俺の、次の言葉を待っていた桜木がシビレを切らした。
「…ルカワ? それだけか?」
「これ以上何言ってほしいんだ?」
「てめっ このっ! 「おめでとう」くらい言えよ」
「…もう言いたくなくなった」
「くそーーーっ! ま、キツネだからな。もう日本語も忘れちまったんだろーよ」
 さっきよりもっとフテくされ、今度はベンチの端に移動しようとした。けれど、首と手が繋がっていて、俺まで引っ張られてしまう。正直なところ、移動するとシリが冷たい。けれど、半分は桜木の温もりが残っていた。
 俺は、ほとんど動かず、上半身だけがついていったので、かなりもたれた状態になる。桜木の左腋あたりに顔を埋めて、暖をとる。あったけーと心から思った。
「…桜木」
 返事をしやがらないアイツは、体だけピクリと反応する。けれど、振り向きもしない。
「桜木花道」
「うるせっ! 気安く呼ぶな」
 呼びかけて、何を言いたいのかわからない。「おめでとう」ではなくて、バスケットをしてて嬉しいとか、ここまで来てくれて嬉しいとか、素直に言えたらいいなと思ったり。やっぱりムリのようだ。けれど、一つだけ前進してみよう。
「…スキだ」
 また、桜木は勢い良く振り返る。俺は、顔を上げなかった。
 桜木は、何も言わずに、俺の頭のてっぺんに自分の頬を当てた。

 

 重たくてスミマセン…
2001.10.18 挿し絵アップ

宙に浮いてるのか花流

2001.9.27 キリコ

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