バスケットマン桜木
俺の人生が、ここまでバスケット中心になるとは…思ってた。いや、やっぱりそうでもないかも。桜木花道、25歳。日本のバスケットを背負う人になりに戻ってきた…つもりだ。我ながら、やや弱気発言だけど。
そもそも、不良と呼ばれたこの俺が、大学に進んだこと自体が奇跡のようで、でも実際真面目にやっていた。バスケット中心の学生生活。勉強の方は相変わらずだけど、それでも留年しなかった。最初の2年はゴリもいて、怒られたり助けられたり、もの凄く楽しかった。春の海外で学ぶツアーとかいうのには、俺も参加出来るようになった。堂々と、アイツがいるシカゴに行けた。もっとも、アイツは高校を卒業したあと、カリフォルニアの大学に行っちまったけど。
つい先日まで、俺はアメリカにいた。これこそ信じられないような現実だったが、NBAにいたのだ。とあるコーチに学生時代に目を付けられて、誘われるままに上陸した。深く考えていなかったというのが本音かもしれない。俺はそこで、苦しい思いを味わった。大学のバスケが厳しいといっても、所詮は日本で、すべてが日本語で、知っているメンバーばかりで、俺の悪ふざけを呆れながらもノッてくれる、そんな奴らに囲まれていた。ところが、アメリカでのバスケットは、孤独で、日本で認められた俺と同レベルが山ほどいて、実は俺って全然敵わないんじゃ、と情けなく思った。英語がわからない時点で、一歩も二歩も遅れている気がする。そして、おそらくは肌の色への差別。黄色とか、いろんな悪口を、さっさと覚えてしまった。俺は、日本に逃げ帰りたいと思った夜もあるし、寂しくて身近なコトに逃げたこともある。だけど、ドラッグだけは手を出さなかった。―ドラッグと女に手を出すな
今から思えば、このハガキに救われた面もある、なんて正直に思う。
けれど、事実と付き合わせると、手遅れだった、とも言える。まるでアイツに見られたような、ドキッとするような文面に、なぜか落ち込んだ。エラそうに忠告すんな、とも思ったけれど、それよりも後ろめたさの方が大きかった。罪悪感を感じるのは、一度は「恋人」だと宣言したからか。今でもそうなのかと第三者に尋ねられたら、首を傾げるしか出来ないけれど。「好き」だと感じるよりも、もっといろんな意味でアイツと関わっていたい、そんな風に決心するための栄養剤となったハガキ。いつもは聞いたこと以外何も言わないアイツが、初めて自分の意志で書いた文だと、純粋に感動した。この日、ほんの少し涙が浮かんだのをよく覚えている。
俺よりも、もっと若いときに、たった17歳でアメリカに来たアイツも、いろんな思いを通ってきたのかもしれない。あの時俺は、置いて行かれたことにいじけたように、何の連絡もしなかった。ガンバレとか、言ったこともない。アイツが頑張らないわけはない、という自信もあったし。けれど、自分がアメリカに来てからやっと気が付いたのだ。きっと、理想と現実の狭間で、自分という存在をそこに認めさせるまでに、アイツはどれくらい努力したのだろうか。
アイツが乗り越えてきたのだから、という励みがあった、なんて絶対口にはしないけどよ。結局、NBAで2年くらいいた後、自分の路を、改めてじっくり考えた結果が、今いるこの部屋なのだ。ここは、会社の社員寮で、かなり広くゆったり造られている。仕事とバスケットとで埋め尽くされる毎日に、せめてリラックス出来るようにという配慮がいっぱいだ。この会社から誘われるままに来たようでいて、今回は俺はちゃんと考えた。日本に帰って、桜木花道は何をするのか、何をしたいのか、本当に考えた。
引っ越しの荷物はそれほどなく、備え付けの家具の中に入れきってもまだ余るスペースに、ほんの少し落ち着かない。新しい部屋だからか。それとも、新しい生活に、だろうか。
たった数年離れていた日本では、いろんなことが変わっていて、ちょっと異邦人だ。一度も帰国しなかったし。街中や消費税やらが変わっただけじゃなく、俺の周りの人間関係も以前とは違う。例えば、洋平の結婚。これは、一番ビックリした。心からオメデトウと言いたいような、でもちょっと寂しく感じるのはなぜなのか。他にもいろいろあるけれど、やはり「結婚」という言葉はあちこちで聞こえてきて、そんな年齢になっちまったんだなぁとしみじみ思う。自分はどうだろうと考えても、答えは出ない。女性を相手に出来ないことはないけれど、おかしなことなのかもしれないけれど、俺は、ルカワがいいのだ。なぜだろう。
2001.10.23 キリコ